入学後の不安が安心へ明誠の宿泊研修
中学受験ママの息抜きスレッド
日々の子育てお疲れ様です。
そんな私達の日々の潤い、美容、ファッション、音楽や趣味を語りませんか?
お互いの批判やら、浅いなどのマウント等もやめてくださいね。
ゆる〜くいきましょ?
渋渋推しも困るよ。
エデュを渋渋宣伝ツールにしてるから。
投稿者: あらゆるルートで渋渋を知ろう (ID:V3J7tixgT5M)
投稿日時:2026年 02月 20日 21:23
この書き込みはしつこいさん (ID: Ncgbzgae.NY) への返信です
>こんなとこで毎日連投してないでYouTubeでもやったら?
余計なお世話。
こうしたエデュのような場においても、無知な、もしくは無関心な層に対して有用な情報は伝達できるよ。
その意味ではYouTubeに頼らずとも、渋渋の良さを知らしめる手段としてエデュは有意義とは言えるだろう。
私が病気の既往を書くのは、悲劇のヒロインをやりたいからでも、不幸自慢をしたいからでもない。
多分伝えておきたいから。
いのち、を考える時には心に消えない傷がある。
大好きだったおばが、私の目の前でダンプに跳ねられて自殺した。
「家族が悲しむ。」「みんなあなたが好き。」「命は大切。」「命は地球より重い。」
そんな言葉、本気で死を望む人間には一切届かない。
死ぬ直前、おばは私の顔を見ていた。
というか。私の目だけを見ていた。
絶望の顔ではない。
苦悶でもない。
満面の笑顔で。
あの笑顔だけが、今でも脳に焼き付いて離れない。
だから私は、軽々しく「頑張れ」とか、「生きていれば良い事ある」と言えない。
本当に死を望む人間に、綺麗事は届かない事を知っているから。彼女にとって“死”こそが唯一の救いだったのだと、私に分からせて余りある笑顔だった。
本気で自殺に走る患者をメンタルクリニックは拒否する。結果、入院施設のある病院に回される。
精神科病院の閉鎖病棟。鉄格子のある窓、ベッド、他には何もない。首吊りを警戒してか、シーツもなかった。ドアには鍵、暴れる場合は拘束、さるぐつわも家族の同意により使用される事も。
外には怒号と奇声が響き渡る。動物園かと見まごう程。寧ろまともな人間すらこれでは気が狂う。
「守る」という名目で、人間が人間性を削られていく空間。守るというのは何を何から?
家族の体裁か?倫理観か?それはエゴではないのか?
ここでは死ぬ事はできないと悟ったおばは、そこから出るために全力で「治ったフリ」をした。
そして退院直後、退院を喜ぶ親族の前で、走るトラックの前にこの上のないタイミングで立って、家族が助ける間も、ドライバーが避ける間も無く10tダンプに踏み潰された。私を見つめた直後に、私の視界から一瞬で消えた。あのタイミング、時間で私を認識できたのか?私を選んで目を合わせたのか。分からない。ただ。
あの笑顔だけが、今でも脳に焼き付いて離れない。
だから私は、「死にたい」という言葉を雑に扱えない。同時に「生きている」という事も雑に扱えなくなった。
私は20代で希少ながんになった。
自覚は全く無かった。ないどころか絶好調だった。
皮肉にも、がん家系故に臆病な私が頻回に行っていたがん検診のお陰で発見された。
故に私は絶好調な時程、死の影がよぎる。嫌な十字架を背負わされた。
がんの方は生存率3割以下だった。
最初に思うのは、なんで美しくて頭の良い私がこんな目に?だった。納得できない。
キリスト教徒である私がよく聞かされた理屈、夭逝したクリスチャンにかける慰め、「神様があなたを欲しがったんだよ」なわけない。私はお世辞にも性格は良くない自信がある。
お見舞いに来る連中がほざく。
「今はがんは治る病気だから。」
医師でも私に良く言った。予後の悪いがんなどまだいくらでもある。
あんた、8割ハズレのくじを引いた事あんのか?
治らない人が大半のがん患者に取って、この言葉は全く響かない、というより寧ろムカついた。
神様、こんな性格の悪いあたしを天に召さないで。
私は死の恐怖に苛まれ、やさぐれて周りに当たった。
救ってくれたのは思いもしなかった。
私から最も遠く、私が死ぬ程勉強しても届かなかった理IIIに、努力感すらなく受かってしまった、人間味の薄い兄。
そもそも見舞いに来るタイプじゃないのに突然現れて、開口一番、こうほざいた。
「よお。元気か?」
んなわけねーだろ。空気が読めないにも程があるが、不覚にも笑ってしまった。
そんなに会話の弾む相手じゃない。しばし沈黙の後、ヤツは言った。
「致死率100%の病気ってねーんだよな。エボラも、狂犬病でもほぼ100というけど、100とは言ってねーんだよな。おばさんも、仮に使えても病気を自殺手段には使はなかっただろうな。」
なんという場違いで突拍子もない発言。死を目の前にしている人間に、私の目の前で自殺した身内のエピソードをぶっ込んで来るとか、デリカシーという概念を遥かに超えた超絶的外れ。
が、私にはめちゃくちゃ響いた。
そうか。仮に私がこの病気で自殺しようとしても確実には死ぬことはできないんだと。
私はよく例え話として東海村JCO臨界事故の話をする。無論、極限被曝された方の苦しみを軽く扱う意図は一切ない。
ただ、人間の身体の“生への執着”を象徴する話として、あまりにも強烈なのだ。
作業員の方は、致死量を遥かに超える放射線を浴び、細胞の再生能力そのものを失った。
白血球すら作れない。
皮膚すら再生できず、崩壊していく。
それでも、唯一、最後まで機能を失わなかった臓器が一つだけある。それが心臓。
生まれてから死ぬまで、休むことが一切なく、生の象徴そのものである心臓。循環器を志す医師の多くが、この心臓の底知れぬ力に魅了される。
なのに、その心臓ですら、ストレスにはあっさり負けてしまうのだ。
不整脈。
心不全。
突然死。
つまり人間は、物理的損傷だけではなく「絶望」でも死ぬ。最強の臓器すら太刀打ちできない事がある。
死の影を突きつけられて、とてつもないストレスに苛まれていた。
が。逆じゃん。
ゼロじゃないならストレス感じて相手に有利にさせてる場合じゃない。
「お前、出来は悪いけど、無駄に足掻けるのが1番の強みじゃねーの?足掻いてる時のお前が一番カッコいいと思うぞ。」
ふざけんな。バケモノのあんたに、私の何が分かる。まさかこんな人間味のない兄にボロボロ泣かされると思わなかった。
でも私は、その日から切り替えられた。
ストレスで自分から生存率を削るのをやめた。
ゼロじゃないなら、足掻く。
その結果、私は生存率3割に入り、さらに次の病気でも少ない側を引き続け、今まだ生きている。
だから私は書く。
病気を書く。
死を書く。
傷を書く。
それは承認欲求ではない。
人間は、自分が壊れる瞬間まで、自分は壊れないと思っているから。
日本人のがん検診率は、先進国の中でも低い。
しかも理由が「見つかるのが怖いから」。
アホか。
見つからない方が怖い。
10代だって、がんになる。若くても死にかける。
絶好調でも、生存率3割以下を告げられる。
それを私は、自分の身体で知ってしまった。
だから、どこかの誰かが、検診に行くきっかけになればいい。
或いは。
今まさに死にたいと思っている誰かが、
ゼロじゃないなら、もう少し足掻いてみるか、と思ってくれたらいい。
私が掲示板に傷を書く理由。
そんな感じなんだと思う。






























