アートの才能を伸ばす女子教育
平和学習の内容
辺野古のボート転覆事故のご遺族の発信を拝読しました。
https://note.com/beloved_tomoka
>今回、実際の抗議活動や政治活動を目的としたわけではありませんが、知華が乗ったのは「抗議船」と認識されている小型ボートでした。定員ぎりぎりの生徒を乗せ、海上保安庁の船が監視する中、抗議活動の場を通り抜ける――。それを第三者がどう見るかは、火を見るより明らかです。
>私は当日まで、知華が「抗議船」に乗ることなど全く知りませんでした。
>当時の私たちが疑問を持つには、私たちが学校を信頼しすぎ、そして提供されていた情報があまりに少なすぎました。
お父様が発信されていますが、同じ状況だったら、私もリスクを把握することはできなかったと思います。
そもそも、関関同立と言われるような大学の付属校でこのようなことが行われているとは考えも及びませんでした。
学校説明会などで見抜けるものなのでしょうか。
これと同じことが社会ではもっと露骨に過酷に現れるが、我々はテレビで橋下や兵庫県知事のことを隣のオヤジ程度社員がいる。
ゼネコンの仕事は1回何億という単位でくれるから、個人の家庭を営業に回って何十万のちっちゃなリフォームをたくさん受けるのより断然お得。ゼネコンのヒラの前に這いつくばっても仕事が欲しいわけだ。
この工事そして、実は県庁の特急が最上級ではない。
東京大学から国家公務員総合職で総務省に入れば、特急の上の超特急すなわち新幹線チケットが手に入る。そこでは、入省して10年程度で県庁の課長に出向できる。これは神戸大から会社の就職や昇進だって簡単じゃない。バイトとは比べ物にならない。毎月決まった給料を振り込んでくれて、クビにはならないからな。で、この昇進が毎日あるかと言うと何年かに1度しかない。小さな工事会社の課長になるだけでも、学校のサッカー部のレギュラーになるより遥か学校まで、偏差値1刻みで細かい序列があり、学校の中に1番から300番までいる。例えば、聖光学院の生徒は浅野の生徒の前で自信満々に振る舞い、浅野の生徒は卑屈になる。
つか管理職になりたいと夢見て生きている。
そして、県庁の下に県職員になりたい神戸大や関関同立の学生、市役所があり、市役所や出先の下にゼネコンの支店が、ゼネコンの支店には支店長や管理職や平がいて、に大変。ガラポンがある。このガラポンには学歴が圧倒的に大事なので、6年や12年死んだ気になって勉強して、各停でなく、急行、
街の工事会社に入れるか、ゼネコンに入れるか、はたまた県庁に入れるかは、一生に1回就職時しかない。ここで通常なら何十年かかる会社の中でのわずかな出世を上回るできれば特急に乗るべき。つまり、神戸大や関関同立後、辞める前の数年管理職やるだけだが、キャリアは入省10年ぐらいからずっと管理職以上の立場で県の行政を仕切る。ゼネコンならそれはそれで出世の可能性はなくはないが、工事会社だとずっとゼネコン社員の機嫌取り。比べるべから県庁に入るべき。
前後で辞めて選挙で知事になったが、県職員だと安いので、自民党や維新の公認の声はかからない。
総務省のキャリアでも保障されるのは県庁の部長ぐらいまでだが、の感覚で見てるから分からないだけ。
兵庫県知事の下に副知事や部長がいて、部長の下に課長や出先の所長がいる。そして管理職の何倍もの職員がその下で管理職にビビりながら、い学校に偏差値30の学校から70のゼネコンの平の機嫌取りに汲々とする下請けの工事会社の県庁プロパーだと30年下積みのくもない。県庁入りだと通常30年近くかかって一部の出世した人間だけがたどりつけるポストだ。さらに入省して20年ぐらいで基本県庁の部長ぐらいで出られる。前兵庫県知事はこの。
正直なところ、違和感は残る。
個別の事故や悲劇が起きたとき、その原因究明や再発防止の議論よりも、周辺の思想的対立や所属組織への攻撃に回収されていく構図が先行すると、何も積み上がらないまま感情だけが消費されていく。結果として残るのは安全性の改善ではなく、立場の違う者同士の分断だけになる。
遺族の発信をどう受け止めるかは極めて繊細な問題だが、それがそのまま学校批判や思想対立の燃料として拡散される流れは、本来の目的からは遠い。仮に問題意識があったとしても、それが次の事故を防ぐ具体的な仕組みや運用改善に接続していなければ意味を持たない。
比較は慎重であるべきだが、池袋の暴走事故のように、遺族の発信が結果として高齢者の運転免許返納という制度的な変化に結びついたケースとは対照的に見える部分がある。妻子を失った遺族、松永拓也さんの動きは、怒りの矛先を単なる糾弾に留めず、社会の具体的な安全装置へと変換した点に特徴があった。
今回の件も、もし議論があるなら本来はそこに収斂していくべきだろう。誰かを叩くこと自体が目的化した瞬間に、同種の事故が再び起きる可能性を減らすという本来のゴールからは離れていく。
松本洋平文部科学相は22日の記者会見で辺野古への移設工事に関する同志社国際高の教育内容が政治的中立性を定めた教育基本法に違反するとの考えを示したとか
同志社国際は何らかの責任を取らないと偏向教育を行う学校というレッテルを貼られて入学希望者が激減しるかもしれないね
名護市の辺野古沖で3月、同志社国際高校の生徒ら2人が死亡した転覆事故について、文科省はきょう調査結果を公表した。
転覆事故について調査していた文部科学省は、研修旅行の内容が政治的活動を禁じる教育基本法に違反しているとして、学校法人「同志社」に対し改善を求める通知を出した。
松本文科大臣:
研修旅行については、事前の計画や当日の対応、安全管理、教育活動の状況などの面で著しく不適切であったと考えております。
通知の中で、辺野古へのアメリカ軍の基地移設工事に関する学習について、過去の研修旅行のしおりで移設に抗議する「座り込み」への参加を呼びかける文書を掲載していたことなどが、「政治的活動を禁じる教育基本法に違反している」と指摘し、学校法人「同志社」に対し、改善を求める通知を出した。
文科省が、政治的活動を禁じる教育基本法に違反しているとして学校法人に改善を求めるのは初めて。
文科省の見解が出たことを、そのまま最終結論のように扱って話を閉じてしまう流れには強い違和感がある。
行政判断が示されたこと自体は重い。
しかし、それと事故原因の本質的検証が尽くされたかどうかは別問題だ。
今の流れを見ていると、平和学習や政治性の有無ばかりが前面化し、肝心の安全管理や危機対応の検証が後景に退いている。
さらに気になるのは、遺族のnoteまで、自分の立場を補強する材料として消費され始めている点だ。
本当に亡くなった生徒の命を無駄にしないなら、徹底的に詰めるべきなのは、海上活動時の安全基準、引率体制、悪天候時の判断、現地運営、教育旅行全体の危機管理のはず。
ところが現実には、平和学習が問題だった、政治的だった、という一点に議論を収束させたがる声が多すぎる。
だが、それだけで再発防止になるほど現実は単純ではない。
仮に別テーマの校外学習でも、安全管理が甘ければ同種事故は普通に起こる。
結局、事故を制度改善へ繋げようとしているのか、それとも対立構図を拡大する材料として消費しているのか。
そこは、かなり明確に分かれると思う。































