女子美の中高大連携授業
麻布の空気 〜 主体的に生きる
新米保護者ですが、麻布の教育というか空気について感じてきたことを書かせてください。一番大切なことが、麻布では「主体的に生きる」ということを体験的に学んでいるのではないかという気がしています。そしてこの「主体的に生きる」ことを大切にする空気の中では、生徒は窮屈さを感じず、それがよく言われる「麻布の自由」として表されるのではないかと思うのです。また保護者はこの空気に、大事なことを学んでいることを直観的に感じ、どこかほっと安心してしまうのではないか、と思います。我が家ではそうでした。
「主体的に生きる」ということは人が自分の人生を豊かに送る上で、最も鍵となることではないかと思います。外側から当てはめられた、組織や集団などの成功の尺度から物事を判断し、行動を律することだけでは、人生は楽しく豊かに送れません。いつか「自分の人生は何のため?」と窮屈に思うことがあるのではないでしょうか。しかし、自分らしい生き方をしながら、社会貢献ができる道が探せると、経済的、社会的にどうであれ、個人的には人生に豊かさを感じることができるような気がします。
では主体的に生きる、ために必要なことは何なのか、考えてみると、「何かが起きたときに、条件反射的に物事を処理しない」つまり合間のポーズを置く、ということではないかと思います。しかしまず、ポーズを置いて、それから、何を判断尺度として考え、自分(や自分たち集団)にとりうる行動の選択肢としてどういうものがあるのか、考える。これが、主体的に生きる上で最初に必要な鍵なのだと思います。
現実には現代社会は忙しいし、組織などごとにノルムがあり、何かが起きると、条件反射的に物事を処理することが多くなっています。組織規範でものごとの処理をルール化しておいた方が、組織運営の効率は良くなり、組織が所与の目的を達するスピードは上がります。しかし、これでは、組織(小社会と言い換えても良いと思うのですが)が環境変化対応や、組織の進化が遅れ、脆弱なものとなりかねないのだと思います。
麻布の空気の中で育ちつつある者は、できごとがあったときに、まずポーズを置いて、そして皆で話し合う。何があったのか事実を確認し、事実を共有化する。そして、判断尺度、とりうる選択肢について話し合う、ということが当然のごとく行われるのだと思います。この方法はものごとの処理は非効率です。スピーディに自動処理することに慣れた者の目から見ると、理解しがたいこともあるでしょう。ですが、まずポーズを置くことをしないと、主体的に生きることを放棄し、流されて生きていくことになりかねない。これができるというのは、長い人生では武器になります。他者に勝つための武器ではなく、自分の人生を有意義に過ごす武器です。
言葉にするのは容易ではなかったのですが、我が家が息子が麻布に通っている端々から触れる空気から、感じ取ったことと、半年を経て、ますます安心している背景を改めて考えてみるとこんなところかな。
まだまだ新参者ですので、諸先輩からも学んで参りたいと思います。しかしまずはこの空気を作り、守り育ててくださっている関係者の方々に御礼を述べながらも、つたないながら学んだことを言葉にすることでお役にたてればと願い、また何らかの形で空気を理解したい方々のご参考になれば、と思います。
うちの親父も小学校から旧制中学に飛び級で入りましたが、戦時中で学徒動員されて進学はしませんでした。
昔の麻布は旧制一高などに進学したそうですが、今の麻布は中高一貫校で、中学で高校の内容まで教養的に学んでますがな。
で、進学校で、麻布の他に教養的教育してる学校がありまんの?
希少な学校だと思いますよ。本当のゆとり教育だと思います。
麻布は由緒正しい超名門校。
一方の灘は昭和生まれの新設校。しかもスパルタ(今は違うと灘関係者は必死になって否定するが・・)でなり上がった学校です。
灘が麻布の真似をした学校といっても、出自には天と地ほどの差があります。
麻布と灘では学校の格が違いますし、自ずと目指す所が違うのは当然だと思います。
他校引き合いに麻布の優位性を説明するご父兄。
他校のことを本当にご存じですか。
ここに名前が出ている他校の板をご覧なさい。他校のことなど気にしていませんよ。
むしろ、同様に他校の名前がよく出てくるのは・・・・・・よく似た状況、環境にある学校群です。
そもそも、教養、学問・・・・とは、深く内面を思索するオリジン(基底)を養うためのものであって、生徒全体がそれを理解し咀嚼する能力を獲得するなどということはあり得ません。学校全体の教育がそれを目指しているなどと考えているのならトンチンカンもいいところ。笑止。
教養として最初に教えなければならないのは、Compliance(規範の遵守)です。その中にあっての自由であり、それができて初めて教養ある人物です。
当時の名門校は府立のナンバースクール。府立一中(現日比谷高校)をすべった吉行淳之介は
泣く泣く「アソブ中学」と[削除しました]にされていた麻布中学に進まざるを得なかったんですなあ。
くわしくは「あぐり」を読むこと。
灘を懸命に持上げている関西の方がいらっしゃるようですが、そろそろご退場願えませんでしょうか?
はっきり言って雑音にしか聞こえません。
皆さんそうでしょうけど、こちらから見れば、灘には全く興味がありません。
これは何も灘に限らず地方の学校はみんなそうです。
エデュにも地方板があるようですので、どうぞ地方板で議論なさってください。
読めば読むほど、不思議な気分になるスレッドです。
あの教養を育む名門麻布の関係者とは思えない「自画自賛」と「庇い合い」の嵐。
教養!教養!と麻布に入りさえすれば教養が身に付くと思い込んでおられる諸氏。
それを書きまくらないと伝わらないとばかりに、必死で繰り返す「名門」と「教養」の羅列。
名門も身に付いた教養も、自ら名乗るもんじゃないでしょうに・・・。
それ位、気づいてくださいよ。
これじゃ、麻布の空気〜じゃなくて、麻布のKYじゃん。




































