在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
NNに行ったら裏切り者扱い
四谷大塚の直営校に通塾しておりました。
四谷大塚の学校別対策講座が始まった秋頃、早稲アカNN模擬試験での親向け説明会で感銘を受けました。四谷大塚の学校別対策との違いが歴然でしたので、週末だけNNに通うことにしました。
それ以降、四谷大塚の平日授業で裏切り者呼ばわりされ、秋以降、1度も四谷の先生と面談はありませんでした。幸いNNの先生方の熱心な指導で、第一志望に合格できましたが、後味の悪い結末です。
正月特訓ではNNに通いましたが、四谷大塚から受けてもいない正月特訓の費用を引き落としされました。
合格報告に行った際も、冗談半分でしょうが子供に裏切り者と声をかけていました。
私もできれば四谷大塚の学校別対策コースに通わせたかったのですがあまりのクオリティの違いに、やむなくNNを選んだのです。
クオリティの高い授業を提供してくれればこんなことにはならないのに、自分のことを棚に上げ子供を裏切り者呼ばわりする感性が四谷大塚の現状を表しているなと残念に思いました。
そう思います。
私はなんとなく、スレヌシさんのお子さんはもう高校生以上だと思います。
大学受験が近くなった、ことで昔のことを思い出したのでは?
心に残っていた、もんもんとしたものを 今になって言いたくなった。
そんなかんじでしょう。
言われた直後では きっと何も言う気もおきないとおもいます。
言ったところで、すぐ身元がわかってしまいそうですし。
苦情申し立てしたところで、お金も返ってこないし、かえって嫌な思いするだけで、何にもなりません。
その先生がクビになったりして恨みをもたれたら、もっと最悪です。そんな人格のひとだったら何をされるかわかりませんし。
誰がボランティアのように、今通ってる生徒さんのために、なんてかんがえるでしょうか?
みんな自分の子のことしかかんがえてません。
とくに、エデュママはそうではないでしょうか?
みんな 子供自慢が多いし、上から目線だし。
情緒で物を考える方が多くて驚きます。私は「保護者の猛攻撃」さんのご意見に近いですね。
逆に「感受性の違い」さんの
>四谷という塾は、「みんなでがんばって、いっしょに合格しよう」というメンタリティがある塾なのです。
>「先生や子どもたちが、スレ主さんのお子様に対して情愛を持ち、いっしょに合格しようという気持ちを持たれていた場合、『裏切り者』という言葉にも、いっしょにやりきれなかった「口惜しさ」みたいなものがあったようにも思います。 」
というご意見には驚きのあまりのけぞりました。四谷大塚っていつからスピリチュアル系塾になったんでしょうか???
みんなでいっしょに合格ができないのが「受験」じゃないですか‥。
更に、いっしょにやりきれなかった「口惜しさ」が「裏切り者」という言葉につながるって話にはもはやポカンとするしかありません。
四谷が好きな皆様同様、私も通わせていた校舎の先生方には感謝していますよ。
でも四谷大塚の組織としての方向性には疑問を感じますし、この先、生き残れないんじゃないかと心配もしています。
そもそも中学受験の勉強は、合格だけを目的にしてるわけではありません。その過程で得た、知識なり、自学自習の習慣なり、先生を含めた仲間は、たとえ残念な結果になっても一生の財産として残るもの。
受験の過程で得た仲間を大切にする習慣は、情緒ぬきにどう合理的に考えても一生にわたって得することだし、それを大事にする塾が衰退するとはとても思えません。
逆に、四谷大塚には、たとえ受験で非効率になっても、体系的な理解や考え方、予習を起点とする自学自習の習慣、仲間も大事にする心まで教える塾であり続けてほしいと思います。
「逆に、四谷大塚には、たとえ受験で非効率になっても、体系的な理解や考え方、予習を起点とする自学自習の習慣、仲間も大事にする心まで教える塾であり続けてほしいと思います。」
そう思います。
NNの早稲アカが実績重視でテクニックの注入や営業トークを売りにしているなか、四谷のような塾が生き残るのは大変かもしれませんが、頑張って欲しいです。
>NNの早稲アカが実績重視でテクニックの注入や営業トークを売りにしているなか、四谷のような塾が生き残るのは大変かもしれませんが、頑張って欲しいです。
この議論って、男子旧御三家校&栄光 vs 新興進学校の議論に似ていますね。
前者が四谷、後者が早稲アカ)。
サピ生も、入学してからの伸びしろが少ないとか言われたりするそうですから、後者かも。
でも、中学は合格してなんぼしょう。合格しないと、後の展開がありませんので。
↑このご意見は、本当に四谷生の親御さんですか?
心の教育の解釈を間違えてるのでは?
受験で非効率になっても、なんて、それはないですよ。
自学できる力を身につけようというのは非効率でいいということではなく、それが受験にとっても成果を出す方法だということですよ。
でなければ予習シリーズの改定があのようにはなりませんよ。




































