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【5063768】不思議な能力(霊感??)

投稿者: 同居嫁   (ID:NSDTDM0TKvk) 投稿日時:2018年 07月 22日 23:13

瑠璃子様のスレッド「霊感なのか、直感なのか」
で何度か私の幼い頃からの経験を書かせていただきましたところ、たくさんの方からご質問がありましたので、こちらのスレッドを立ち上げさせていただきました。

私は神奈川に住む、普通の主婦兼パートタイム英語の先生です。
人生における不思議な体験談、あるいは私へのご質問などございましたら、こちらへの書き込みをよろしくお願いいたします。

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  1. 【5073404】 投稿者: 秋桜  (ID:mSspNTvdGvg) 投稿日時:2018年 08月 03日 00:43

    同居嫁様

    1つ1つ頷きながら読ませていただいています。貴重なスレですね。

    同居嫁様は病気についてはどう考えられますか?

    実は偶然がいくつも重なって病気が見つかりました。この段階で見つかることは珍しいとの事です。病気を告知された時、不思議とショックも受けず、「え?じゃあこの流れで検査できたことは、感謝しないといけないな」と思いました。いつもの検診では今年もA判定でしたから。そして偶然がなければおそらくもっともっと後に見つかっていることになる病気です。

    最近はようやく?1日のうち時々不安になることもありますが、あとから調べてみると、たまたまその権威のドクターに診ていただけていて、非常に安心感もあるのでその流れに身を任せようかと。

    運命は9割決まっているというお言葉は、なんだか肩の力が抜けました。なるようにしかならないのかなとも思います。

    同居嫁様、見える方からみると、病気をどう捉えていらっしゃいますか。

  2. 【5074141】 投稿者: 石英  (ID:Sd8L0ire.AA) 投稿日時:2018年 08月 03日 19:51

    同居嫁さま

    お忙しい中、お心のこもったあたたかいお返事を賜わりありがとうございます。
    このようなことはご縁だと思っておりますので、本当に貴重な機会をいただいたことに感謝いたします。余談ですが、私も家人が理系の研究職に従事しており、訳もないですが嬉しい気持ちです。

    我ながら恥ずかしく感じる現在の自分の状況について、無下に否定することなく受け止めてくださり感激しております。
    同居嫁さまの仰る通りと思いました。嵐の前の静けさのように、現在は平穏でも将来には何が起こるかわからない不安について、あるいは老後や健康状態、人生の終盤を迎えること等ある程度予想される事態についての不安があるのだと思います。そして、それに対して自分の自信もしくは自分の価値が見出せずにいるのかもしれません。

    正直なところ、以前は「運命はある程度決まっている」ということに抵抗がありました。避けられるものであれば災難を回避したいという思いもありましたし、自分の可能性や努力の価値も空しくなってしまうようなネガティブな言葉に感じられたからです。
    でも、このたび同居嫁さまからいただいた「物事はなるようにしかならない」というお言葉から、むしろ前向きな響きを感じたことにハッといたしました。
    同時に、今までは他人と比べて「自分は〜できない」「自分は〜がない」とそれこそネガティブなことばかり考えていたことに気がつきました。

    人生や寿命というのは、ある程度決まった大きな流れの最たるものと思います。そうであるならば、その流れの中で「自分がいま存在すること」、そして「自分が今できること」を見つけ、感謝を込めて全うすることが私のささやかな使命なのかもしれません。
    自分が何のために生まれ何のために生きているのか、浅薄な私はまだはっきり確信することはできません。しかしながら、同居嫁さまのお言葉を励みに、自分にできることを見つけながら日々を丁寧に送っていきたいと思います。困難にぶつかった時も、同居嫁さまのお言葉を思い出して勇気を灯していきたいと思います。

    同居嫁さまのお言葉で、心を静かに整えることができ、前向きな勇気をいただきました。私のような者にもお力を分けてくださり、深く感謝いたします。
    これからも同居嫁さまのお言葉からいろいろ学ばせていただきたいと思います。

    同居嫁さまとご家族さまのご清栄とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
    本当にありがとうございました。

  3. 【5075426】 投稿者: 同居嫁  (ID:NSDTDM0TKvk) 投稿日時:2018年 08月 05日 03:22

    蜻蛉玉様

    お返事ありがとうございます。私自身も善く「生きる」という事の真理は一つのように捉えております。
    私は、何だか一人一人「魂の位」のようなものがあるように感じております。
    それは、現世でいくら社会的地位や学歴が高くても、「魂の位」には、そういったことは全く関係がないということを昔から感じてしまっていたので、私が感じている世界が理解できない人にしてみたら、私自身がとても「変な人」のように感じるのだと思っております。

    蜻蛉玉 様からのご質問で

    同居嫁さまは初めからそのような平穏な心をお持ちだったのでしょうか。あるいは努力を重ねた末なのでしょうか。もし努力の末であるならば、気を付けたところなど教えてください。
    それからこれは私の好奇心からなのですが、同居嫁さまとお子さんとの関係はどのようなものなのでしょうか。大変下世話な疑問なのですが、お子さんに腹を立てたり、またはがっかりしたりすることはおありですか?


    とございましたが、私自身も若い頃は血気盛んで、自分の見えている世界に自信がなく、偶然や妄想だと思っていたところがありましたので、それほど平穏な性格ではなかったと思います。非常に俗っぽい人間で、20才の頃にバブル全盛期でしたので、当時流行のボディコンで身を固め、ジュリアナ東京、マハラジャ、キングアンドクイーンなんかにも、週末の金曜日には毎週のように行ったりしていました。
    でも、本当の意味での友人を持つこともなく、どこか心が冷めていて、「死」を意識してばかりいた時代でもありました。
    しかし、20代中盤頃、私が10代の頃に両親や兄弟、友人に言っていたことがことごとく現実になっていくこと、当時大手の会社で人事に携わってもおりましたが、私が「この人は営業で必ず結果を出す。」と感じた人は必ず結果を出したり、私以外面接担当者全員が入社させようとした人を、私だけが「一見この人は大変よい人に見えるが、心に闇を抱えている。」と感じた為、「お断りの電話」をした翌日に会社の受付で受付嬢に入社できなかった腹いせで暴行を加えるという事件を起こしたりした為、自分が感じたり、見えたりする事の意味が分からなくなり、ありとあらゆる自己啓発系のセミナーに参加したり、宗教の本を読みあさったり色々な事をしました。そこから少しずつ私は自分の感じていることを正直に認め始め、自分の感じ取っている事を言葉に出すようになり、変化し始めたように感じます。

    心穏やかに生きるためには、まずは多くの不安を感じる前に不安を感じる原因を作らないよう「動く」事だと思っております。どうしてもご自身が動けなかった結果や人を動かすことが出来なかった結果は「怒り」や「後悔」ではどうにもよい結果には結びつかないという事を深く理解してしまえば、「失敗」は「学び」へと変化しますし、「成功」は「祝福」であるだけだと理解するようになると思っております。

    また、多くの「不安」や「後悔」「憎悪」といった悪感情は、ほとんどの場合、誰かと比較してしまっていたり、他人から見る自分を変な風に客観的に見てしまっていて自分で自分を過小評価していたり、正直に自分の気持ちを相手と対等な人間関係を構築できずに語り合えなかった結果である事がほとんどである気がいたします。
    そういった事が私は割と上手に出来るので、心穏やかに過ごせているのかもしれません。

    二人の我が子との関係ですが、一人は、中堅どころの私立の中高一貫校に通っており、もう一人はADHDと軽度自閉症を持って生まれた障害児童です。
    二人とも、家庭環境が勉強一辺倒で、しかも躾も厳しかった私とは随分違います。

    親子関係ですが、私は「うるさい母」なのではないかなと思います。時々、本当に感情的になっているわけではなく、あえて強いインパクトを与えるために「感情的」に叱ることもあります。これは、子ども達の数十年後の「生き様」に強い善い影響を与えたいと考えているためです。
    子どもと私は別の人間で、子ども自身の「課題」と私自身の「課題」は別物だと思っております。ですので、子どもに対してがっかりすることも頭にくることも、ほとんどありません。
    自分の思い通りに育たない子は、むしろ「面白い」のではないかと思います。

    私自身が全く親の言うとおりには生きておりません。私の私以外の兄弟は親の言う通りに生きていて、結婚相手も仕事も「親好み」ですが、今は「自分の人生は一体何だったのか。」という不平不満でいっぱいです。
    また、多くの方のご相談をお聞きしても、子どもさん御自身の人生選択を尊重しない親御さんに育てられたお子さんは自分の人生をきちんと責任を取ることをせず大人になるので、人への感謝も薄く、その事から自分自身への命への感謝も出来ず、学歴や収入が高くても人からの尊敬を集められず、結局は40,50歳になっても家庭生活が上手くいかないといった結果に陥っていることを多数散見してきております。

    子どもの人生は子ども自身が選び、乗り越えて生きていけば良いと思っております。
    どうしても親のサポートが必要であるなら、子ども自ら「この事は助けて欲しい.」と言い出すまで待とうと思っておりますが、本人の選択により人生の与えられた課題をなるべく多くこなせるか否かが見えるので、時々軌道修正を行うために「お説教」をします。
    主人も私の言っていることに補足を加え子ども達に話してくれるので、比較的本人の個性をそのまま発揮して好きなことを思いっきりしながら「なるように」生きているような感じです。一人は質実剛健、一人は芸術家という個性をふんだんに発揮しながら生きております。

  4. 【5076482】 投稿者: 蜻蛉玉  (ID:19K/tKkothg) 投稿日時:2018年 08月 06日 03:02

    同居嫁さま

    たいへん心のこもったお返事をありがとうございました。また同居嫁さまの若いころのお話、うなずきながら読みました。私もバブルの恩恵を思いっきり享受した年代です。ジュリアナ東京なんて同居嫁さまの口から聞くとは!タイムスリップしたような不思議な気持ちとともに、なんともお近くにいらしたんだなと感慨深かったです。もしかしたら勤め先もご近所だったかもしれませんね。

    魂の位、なんとなくわかるような気もするのですが。私の心は曇りや煩悩だらけで全くの凡人ですが、私の子供のうちの一人は確実に私より魂の位が高いと感じます。小さいころからずっと、先生からも友達からも一目置かれているような子です。でもこの子以外の子どもたちは私と同じ凡人です… 魂の位って生まれながらのものだと思うのですが、どうやって決まるのでしょうね。そして、努力すれば生きている間に魂の位が少しは上がることはあるのでしょうか。

    同居嫁さまはお若いころから、ご自分の力に気づきいろいろ勉強されるに至るまでお辛い思いもなさったのですね。人に理解されなかったりする体験や、自分の感じるものが何かを探し求めていく道中は、ほかの人にはわからない不安や苦しい思いがおありだったのだろうと思います。それらを糧にできたからこそ今の同居嫁さまがあるのですね。

    心穏やかに生きるのが大切。たしかに怒りや後悔はなにも成果を生みませんし、マイナスの感情に翻弄されることは時間の浪費と思えます。同居嫁さまの文章の中の「失敗は学びになる」というところでおっと思い、そしてさらに「成功は祝福である」とあったところで「はっ」となりました。
    成功は祝福である。
    ものごとがうまくいくことは当然の結果や既定のレールなどではなく、自分の努力が神様に認められたそのご褒美ということなのですね。このように謙虚にものを受け止める姿勢が私の課題だと胸に刻みました。

    そして憎悪や嫉妬、まさに他人と比べなければ湧き出てこない感情です。私も常々人と比べることは何のプラスにもならないと自分に言い聞かせています。そして後悔や不安も、自分が勝手に(傲慢にも)思い描いている未来や、シミュレーションしていたものと違った結果になった過去と比べて起こってくる感情ですね。これらのマイナス感情の共通点の根源が、同居嫁さまの言葉により私の中で整理されてきました。
    心を常にフラットに、世界に起こる物事をそのまま静かに受け入れることが第一歩であるしまたそれは人が相手でもそうなのですね。頭では(たぶん)わかります。でも煩悩だらけの私にはハードルの高い努力課題です。しかし努力の方向は見えてきました。

    そしてお子様の話、言いにくいであろうことをお話しいただきありがとうございました。でもそのおかげで、同居嫁さまがお子様をどのように受け入れているのか、私がどのような心持で子どもを受け入れるべきなのかぼんやり分かってきました。
    >子ども自身の「課題」と私自身の「課題」
    このフレーズではっとしたのですが、もしかしてこれは「死後の世界」が前提なのでしょうか。「課題」とは、魂を磨くためのこの世での修行のことだと理解しました。そう思うと肩の荷が下りたような気がしました。今している苦労は今のためではなくもっと大きな目的のためである。今、子どもの学力や進路に関わるほんの少しの予定外(のミス)も私の中ではがっかり、後悔、怒りの原因となりがちでしたが、これも心を凪にして受け止めることができればこの世での修行進めたことになるのか。自分の課題をクリアすることになるのか。もし見当違いでしたら指摘してください。

    子ども自身の人生の選択を尊重する。肝に銘じます。よく言われることであり、私自身もわかっているつもりですがきっと私にはできていないと思います。どうしても子どもに対してはこうあってほしいとかこっちのほうが効率的だとか自分の願望や打算を押し付けてしまいがちです。だからこそ怒りとか失望とかの余計な感情を子どもに押し付けてしまうのだと思います。子どもにとってはいい迷惑ですね。こちらの道も私には遠そうですが、しかしこれも自分の課題だと思って、苦しくなったら同居嫁さまならどうするか考えながらやっていこうと思います。今の私の心持一つによって子どもが将来ちゃんとした責任感を持った大人になるか、自己肯定感をしっかり持った人間になれるか、この子がしっかりした幸せを感じることができるかが決まってくるなら、目先の打算など考えている場合ではないですものね。(心の声:やはり難しいです。が、がんばります)

    同居嫁さま、このたびもまた含蓄の深いお話をありがとうございました。これらを私の中に確実に落とし込むにはかなりの時間が必要ですが、ゆっくり消化していこうと思います。
    また機会がありましたら、お子さんにする「お説教」の内容をぜひ教えてください。そのまま私の中に生きる「お説教」になりそうなので。

  5. 【5076576】 投稿者: 萩の月  (ID:adu.OsPIEIA) 投稿日時:2018年 08月 06日 08:48

    こんにちは。

    このスレッドが立ち上がった時から、ひとつひとつ丁寧に読ませていただき、人として本来あるべき謙虚な姿勢を改めて認識させられています。

    このインターエデュといういうサイトは、三人の子供の中学受験時からお世話になり、受験における情報や、同世代であろうアラフフォー・アラフィフの趣味や生活ついて、大変有益な情報や温かいお返事を頂き、ありがたく思っています。

    ですがその一方、この掲示板の特質からある程度は致し方ないとおもいますが、経済力や偏差値の尺度のみから、他人を見下した差別的な書き込みが多く、そのような書き込みを見て、心が乱されることが多いのも事実です。

    そのような中、この同居嫁様のたてられたこのスレは、たとえて言うならば沼地に咲いた蓮の花のようで、心洗われます。
    同居嫁様、本当にありがとうございます。

    私自身は、首都圏で育ちましたが結婚と同時に地方に住み、子供三人(大学生~高校生)で、個性的な子供達に「成長させられて」います。
    思うようにいかないこともままありますが、同居嫁様のおっしゃるように本当に子供と自分は別の人間ですから、思うようにならないのが当然ですね。
    現在も、2番目の高3がいろいろと難しい状況(進学校入学後全く勉強せず、学年で常時下位10番以内!)で、この先のことなど心配になってしまいますが、
    将来のことは本人に任せつつ、私も時には感情的にならずに「感情的」を装い、親としていうべきことは言い、過ごしていきたいと思います。(そのようにするのは、私にとっては修行ですが・・)

    すみません、それから一つだけ蜻蛉玉さまの書き込みで気になる点が。
    「そしてお子様の話、言いにくいであろうことをお話しいただきありがとうございました。」の下り。

    私事ですが・・私には、重い障害のある弟がいまして、思春期の頃には複雑な感情が入り交じり、弟のことを「言いにくい」時期がありました。しかし、そのような時期を乗り越え、弟の存在は私家族にとり、とても大きなものであり、ある時期からは「言いにくい」が消えてなくなりました。もちろん、こころがそのように変遷する過程には深い深い学びがありました。

    障害を持つ兄弟や、子供・・
    それを、「言いにくい」こととされると悲しくなります。
    同居嫁様のお考えをよく読めばお子様の話は「言いにくい」ことではなく、今の同居嫁様にとって「とても大切な大切な」ことであると私は思います。
    (しかしその一方、障害のある家族を「言いにくい」こととして隠して生きていらっしゃる方もいます。そこには、様々事情があり他人が口を挟むものではないと、重々承知はしています。)

    本来のスレから、少しそれてしまい申し訳ありません。
    同居嫁さまにも、蜻蛉玉さまにも、私の一方的な思い込みで失礼な書き込みかもしれません。本当にすみません。

    ただ、「言いにくい」こととして認識されるのではなく、ありのままに受け止めて欲しいと思い、このスレは「読むだけ」にさせていただくつもりが、出てきてしまいました。

    同居嫁様、蜻蛉玉様、ほかのこれまでに書き込みされた方々、これから書き込みされる方々・・
    これからもこの素晴らしいスレが続くことを心から願っています。

  6. 【5077471】 投稿者: 蜻蛉玉  (ID:k501FMMORXM) 投稿日時:2018年 08月 06日 23:36

    >弟のことを「言いにくい」時期がありました。しかし、そのような時期を乗り越え、弟の存在は私家族にとり、とても大きなものであり、ある時期からは「言いにくい」が消えてなくなりました。もちろん、こころがそのように変遷する過程には深い深い学びがありました。

    萩の月さま

    コメントをありがとうございます。萩の月さまの、深い深い学びがありました、の部分に胸がぎゅっとなりました。色々な思いを経てのことだと想像しました。きっと私には想像しきれないと思います。

    萩の月さまが仰ることで、私も同居嫁さまがさらりとお子さんのことを書いたお気持ちが理解できました。
    私はまだまだ未熟ですので、このようにみなさまに教えられながら学んでいきます。
    萩の月さま、気づきをありがとうございました。


    それから夜に一生懸命考えて書いた私のレスですが、朝になって読み返してみるとなんとも言葉足らずで歯がゆいばかりです。まだまだ同居嫁さまや他のみなさまのレスで学びを続けていきたいと思います。

  7. 【5078494】 投稿者: こっこ  (ID:63LGuYGeqSM) 投稿日時:2018年 08月 08日 03:32

    同居嫁様

    お考えに大変共感しコメントさせて頂きました。
    我が子は知的遅れのない自閉症(俗に言うアスペルガー)です。
    子供は、親とは全く別個の人間で、親として必要なサポートはすれど、思い通りにしようとしてはいけないし、ましてや親の自己実現の道具ではないと、強く強く感じています。
    そう思えるようになる前の自分への戒めも含め。

    子供に特性がなければ、未熟な私はこのような考え方に至れなかったと思い、今となってはむしろ有り難いと思う程です。

    私自身、特別な能力がある訳ではないですが、味方(と言うと語弊はありますが)かどうか、人を見極める力は、子育てを通じて磨かれた気がします。

    スレの内容とズレたコメント失礼致しました。
    これからも楽しみにしております。

  8. 【5082666】 投稿者: 同居嫁  (ID:lUKbwC4oFUk) 投稿日時:2018年 08月 12日 01:30

    ほおずき様

    返信が大変遅くなり申し訳ございません。

    ほおずき様が感じられていることの意味を、私自身の今まで感じていたことと絡めて書かせていただきます。

    「離婚」そのものが人の「寿命」に関係しているかといえば、直接的には関係をしていないと私は感じております。
    私が今まで感じてきたことは、人にはそれぞれ、生まれながら「使命」のようなものがあり、その「使命」を全うするために生まれてきたのではないかということだと思っております。
    学校でいう「宿題」のようなものだと考えていただければ幸いです。
    その「宿題」を行うのに、「宿題」をきちんとこなせる環境がない場合があり、その「宿題」を早くに終わらせてしまう人、「宿題」を現世ではどうあがいても行えないと判断して諦めてしまう人、また数十年先には必ず終わらせられるようなスモールステップでもこなしていっている人、色々なパターンがあるように感じております。
    その「宿題」を早く終わらせて次の「生」へ繋ぐパターンもあるし、「宿題」を次の「生」へ残して諦めてしまうパターンもあるといった感じだということを何やら分かりませんが人の周りに映る映像から読み解いております。

    人それぞれの寿命に関しては確固たる事は、今の私には言えませんが、命が短いから「悪い」とも言い切れないと感じております。
    寿命に関しては不特定多数の方がランダムに散見なさるインターネット上では確定的には語れません。
    なるべき長生きをしたいというご希望であるなら、謙虚に長く生き続けることを強く願いながら、危険回避に努力を惜しまないようにすることが、当たり前の回答になりますが、正解なのではないかと思っております。

    離婚というより、全てではありませんが、祖父母、曾祖父母、高祖父母位の近祖先の生き様のような行いが複雑な絡みで、その子孫に影響することが見えたことが多数あります。

    姓名判断に関しては、よく統計学的に研究をされた占いだと思います。
    私自身は、特に姓名判断を勉強したわけでもなく小学校に上がる頃には不思議に姓名を見ただけでその人の特性、何を好むかのtasteのようなものが見える子どもでしたので、私が10代の頃から名付けてきた方は既に100人は超えています。
    また、名付けたように生きている方ばかりです。
    やはり、誰から見ても「読めない」名前を付けること、「言葉の意味を考えず」に付けることは、名前から自己イメージを持ち、一生ついて回るので、深く思慮して付けることは大事だと思っております。

    面白いのは、学力の高い、経済的に豊かな家庭のお子さんほど読みやすく分かりやすい名前を付けていらっしゃいます。これは林修先生の「初耳学」というテレビ番組でも放送されていました。

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