在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
「カーネーション」スレッド
本日より「カーネーション」スタートです。
皆さま、ご自由に感想をどうぞ。
誠に勝手ながら、ネタばれは禁止とさせていただきます。
ホームページ、新聞予告等での情報はお控え下さいませ。
それでは半年間よろしくお願いいたします。
今日は既に3回(BSと地上波で2回)見ましたが、
3回とも泣けてしまいました。
皆いなくなってしまいましたね。お父さんも、勝さんも、
勘助も泰蔵兄さんも。せめて泰蔵兄さんだけでも戻って
岸和田の復興と、息子を亡くした母の支えになって欲しいと
思っていたのに。
八重さんにもらい泣きし、だんじり小屋の前で糸子が泣き叫ぶ
シーンで私も号泣。
そして私が一番号泣したシーン、疎開先で糸子が外に飛び出し、
「うちは[削除しました]へんで」と誓うところは、「風と共に去りぬ」の
前編のエンディングでスカーレットが「絶対に家族を飢えさせない」
と荒野で誓うシーンと似ていましたね。
ところで昼の再放送では、奈津ちゃんと一緒にいるのは誰だろう?と、
オープニングのキャスティングの字幕を注意深く見たのですが
出ていなかったような・・・。
来週が待ち遠しいですね。
それでは皆さま良いお年をお迎えください。
泰三兄ちゃんも、逝ってしまいましたね・・。
終戦間際は、実際あんな感じで、葬式行列がすれ違う程出て・・、皆逝ってしまたんですね・・。
奈津と一緒にいる人は、怪我をして帰ってきた帰還兵ですね。
帰還兵への差別は激しくて(「命を捧げず生きて帰ってきてしまった臆病者」と、)
迷惑をかけるからと自宅には戻れず、又空襲で自宅が亡くなっていたりと、
ホームレスのような暮らしをしていた人が少なくなかったそうですが・・。
やっと、終戦。 年明けからは新しい時代が始まりますね!
泰蔵兄ちゃんの知らせを聞いても涙が出なかったのは失くしてしまった物の多さからかな?
でも、だんじりの音に引き寄せられだんじりの前での号泣、、、
蘇る楽しかった思い出と気心知れた人々のぬくもり、、、失くしてしまった物の大きさに気づかされ、、、涙
今何気なく当たり前の様に暮らしていることも、戦争を乗り越えてくれた方々がいらしたからなんだと
改めて思いました。
子供達の疎開先の空爆のシーン・・さすがに恐かったです。
本当に今日の放送で年内最後だったんですね。。。
これからは、悲しみを忘れたわけではないけど前へ進んで行くんでしょうね。。。
この年になってから、少しだけ悲しみの上にある物?に気づけれる様になれた気がします。
ここに書込みさせて頂きありがとうございました!!!
来年もヨロシクお願いします!!!(笑)
今朝もTVの前でスタンバイしてしまいました。
しばらくお休みでしたね・・・
このところ本当につらい話ばかりでしたが
年明けからは、ガラッと変わるのですよね(そう信じたい)。
それにしても戦争って
何もかも失う(カンスケもタイゾウ兄ちゃんも、仕事も食べ物も家も、プライドもお祭りも…)ものなんですね。
何だか改めて思い知りました。
比べると怒られそうですが
前作では、あまり平穏な戦争だったので・・・
私がまだ小さかったころ
銀座には体が不自由になった兵隊さんの格好をした人が
沢山立っていました。
ほんの、35~40年くらい前のことです。
小さかった私には、直視できませんでしたが
昨日はそのことが思い出されてなりませんでした。
本当に平和って有り難いです。
また、年明けに。
皆様どうぞよいお年をお迎え下さい。
寺島しのぶさん主演の映画「キャタピラー」は帰還兵の夫の話ですね。
夫が「キャタピラー」であるという・・・。
キャタピラー、英語で「芋虫」です。どういうことか、わかりますか?
手足が無い、ということです。
ところで私は神戸出身なので
両親は、空襲で家を焼かれています。
糸子のおばあちゃま宅が焼かれた話、
まるで私の祖母の話のよう・・・。
夜間空襲でJR神戸駅周辺は火の海。
まるで昼のように明るかった。
貨車の上に死体がいっぱい・・・ということを
子どもの頃聞かされました。
こんなことは、2度とあってはならない。
平和への祈りをこめて
皆様、良い新年をお迎えください。
戦時中のドラマを見ていると
15日の正午に大事な放送があるから聞くようにと言われ
皆がラジオの前に集まってきちんと姿勢を正して放送を聞いている、
しかし内容が聞き取れず、負けたということが直ぐにはわからなかった人が多かった~ですよね。
母も当時小学校5年生くらいだったので
「やっぱりこんな風に放送聞いていたの?」って聞いたことがあります。すると
「私ら(小学生以下の)兄妹は、近くの川に泳ぎに行っていて、玉音放送は聞いていない」
と言いました。
昼ごはん食べに家に帰ってきたら「戦争が終わった」と聞いたらしいのです。
そんなこともあるんでしょうかね?
私は玉音放送は聞くのは義務に近いものだと思っていたので
聞いてないばかりか、川で遊んでいたってどういうこと???なんだか理解できません。
それに田舎の農家だったのでたいした戦火もなく食べ物にも困らなかったそうです。
(これまたよくあるきれいな着物と物々交換~も記憶にないそうです)
今までのドラマなら終戦を知って大体どれも泣いたり悲しんだりこれからどうなるの?なのに
糸子は「さぁ、お昼にしよう」食べなきゃ!みたいセリフ言いましたね。
彼女らしい生命力・逞しさを感じました。
戦中から終戦に向け、いろいろあったと思われます。
まず、奈津の料亭の経営不振、借金が1万円(現在の貨幣価値にして約1000千万以上か?)、もはや破産宣告しかないでしょう?、破産法は大正11年には施行されておりましたし、「ぜいたくは敵」、とされていたあの時代、高級料亭など継続が困難でしたと思われます。
栗山千明さん、そういえば、我が社もアルバイト募集で掲載をした、インテリジエンスのウイークリーan(求人誌)の東海版(名古屋地区販売)10月24日号の表紙に載ってましたね、岸和田弁のマスターに苦労された感がします。
ミシンの供出を迫った、国防婦人会のリーダー役の三島ゆり子さん、若い頃から、冷酷な女性役?が上手いと思います。
この番組も年明けから、戦後編に入りますが、戦後の大阪商人の敗戦から立ち上がる背景を描いたドラマとして、同じNHKですが1970年代に放送された「どぶ池太閤記」(財津一郎、中野良子、長門勇(故人)他)を御記憶の方はいらっしゃいますでしょうか?三島ゆり子さんも出演されてまして、やや冷たい、淀井商店の奥さん役(主人の淀井大作は故長門勇さんが演技されました)を思いだされます。
水茄子様へ。
御堂筋線と言いますか、最新の今里筋線にいたる大阪市営地下鉄全般について、私なりの所見、もう少し御待ち下さい。
戦前に大阪では、現在の御堂筋線の一部区間にあたる梅田~天王寺間及び四ツ橋線の一部にあたる大国町~花園町間が開業していましたことは私も存じており、車両や駅施設は、やはり戦前に開業した東京の現在の銀座線より大型で、駅施設もスケールが大きく、照明器具などもかなりの高級品が使われたことは存じております。
読者の皆様へ、良い御年を御迎え下さい。




































