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【2283150】「カーネーション」スレッド

投稿者: ネタばれ禁止   (ID:VuGumEP1mMY) 投稿日時:2011年 10月 03日 07:54

本日より「カーネーション」スタートです。
皆さま、ご自由に感想をどうぞ。


誠に勝手ながら、ネタばれは禁止とさせていただきます。
ホームページ、新聞予告等での情報はお控え下さいませ。


それでは半年間よろしくお願いいたします。

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  1. 【2367297】 投稿者: スイートピー  (ID:wA8IPcK6Ejg) 投稿日時:2011年 12月 26日 16:00

    今朝の放送も良かったですね。本放送終わったから感想書いてよいんですよね?


    千代さんの真似して「はぁあ~い、なに?」、オノマチさん上手でした。

    それと、最後の防空壕へ逃げるシーン。おとうちゃんの位牌と写真を忘れたけど、取りに戻らず
    「縁があったらまた会おうな・・・」
    なんというか、ぐっと来ました。
    こんなことをここで書いてよいかわからないけど、この大震災の津波で逃げた方々も、きっと、そんな気持ちで、身一つで逃げたのではないのかな、と思いました。
    戦争も、震災も、悲しい。いつまでも幸せでみんなが豊かに暮らせる日がどんなにありがたいかを、かみしめる毎日です。

  2. 【2367551】 投稿者: モスリン  (ID:8dKzk3pq.6w) 投稿日時:2011年 12月 26日 21:24

    本当に。戦争も震災もかなしいです。


    まだ勘助のことはショックなのです。
    現代の人はテレビやドラマや本などで
    当時の人より戦地でどういう状態か具体的にわかっているような気がします。
    あの時代せいぜい集会所で見るニュース映画くらいでしょうか。
    手紙はありましたが、現代人ほどビジュアルを実感できなかったと思います。
    国内にいる人たちは、赤紙で行かされた人の途中の状態は大してわからずに
    急に戦死の通知が来たんでしょう。


    戦地での生活がわかったらそれはそれで待っている者にとっても耐え難いですが。
    勘助の戦争でのシーンがなかったので、かえってその当時の、故郷で待っている人たちの
    気持を疑似体験(というのもおこがましいけど)したようで、本当につらいです。



    優子の戦争ごっこのシーン、とても面白いのでまたビデオで見よー、と思っていたら
    消されてた・・・!
    優子の役の子は上手ですね。子役がみんな上手です。

  3. 【2367557】 投稿者: セピア色  (ID:BIW49SR7pn6) 投稿日時:2011年 12月 26日 21:33

    私も、千代さんの真似と、「縁があったら又会おうな・・」、ヒット!でした。

    戦中の大変な状況下、大好きなおじいさんがボケかけてしまった・・ という中でも、
    何というか笑いを忘れない?、大変だからこそちょっと明るく? 
    しかし上手かった、千代さんの真似、オノミチさん本当に演技がお上手ですね。

    「縁があったら又会おうな・・」も、けなげなヒロインだったら、取りに戻る、取りに戻ろうとして止められる、
    でしょうが、何というか、逞しい、リアルな生命力?を感じました。 それでこそ糸ちゃん?

    しかし年内後2日、少しはお手柔らかに、お正月休みに入って欲しいのですが・・。

  4. 【2367676】 投稿者: ろいやる  (ID:gpoPu0kovjY) 投稿日時:2011年 12月 27日 00:04

    写真や位牌を取りに行かなかったのも、逃げることが逆に怖くて動けないお弟子さんもリアリティがありましたね。
    神戸のおじいちゃんって苦労してたんですね。養子と言ってもどっかの「ええとこ」の次男とか三男だったのかと勝手に思ってましたが、丁稚だったんですね。宝田明さんの雰囲気も役のイメージからもちょっと意外でした。生まれた時からお金持ちの家にいる伯父さんの方が、苦労人に見えます…。今は物語中ほんまに苦労してると思いますが、田中隆三さん元々笑ってても少し憂い顔に見えるからでしょうか(お姉さんの田中裕子さんも)。
    時局が厳しくなって人の心も変わって来ている中、昔と変わらない勇くんの笑顔にはほっとしますが、彼のことも心配です…。

  5. 【2368024】 投稿者: セピア色  (ID:BIW49SR7pn6) 投稿日時:2011年 12月 27日 13:52

    年末だけど、容赦なく重いですね・・。 当時の心情がリアルに描かれていますね・・。

    『物事が考えられへんようになっていた・・』、亡き祖母も、昔よく言っていました。
    『終戦間際の頃は、今日何を子供たちに食べさせられるか』しか考えてなかったと。
    『空襲警報しか聞いてなかった』と。 他の人ともB29の話以外の会話をした記憶がないと。
     ただ食べて(食べられなくて)逃げてで、とにかく子供たちが生き延びれるように、
     子供たちを食べさせるために自分も生き延びれるように、しか考えていなかったと。

     そんな時に、あんな茶封筒1通で・・、、惨いですよね。
     
    私たちには、あの戦争が後ひと月半で終わるよ・・ってわかっているけれど、この状態がいつまで続くのか
    いつ眠れるのか、いつお腹がいっぱいになるのか、何もわからなかったんですよね。
    本当に、当時を生き抜いていらした方々には、改めて頭が下がります。 

  6. 【2368346】 投稿者: 骨董品  (ID:ADiCsM83fsc) 投稿日時:2011年 12月 27日 21:02

    >年末だけど、容赦なく重いですね・・


    本当ですね(泣)放送は明日が年内最後でお休みに入ってしまいますから
    間違いなくどん底な展開でのお休み突入になるでしょう・・・。
    31日には前半総集編や疑問に答えます!という特番もあるみたいですね。
    興味のある方は録画をお忘れなく!

  7. 【2368796】 投稿者: 絹の糸  (ID:jKf5OV7ZogE) 投稿日時:2011年 12月 28日 12:13

    万年笑顔のあの人、優しい幼なじみ、寡黙で頼りがいのある兄ちゃん…みんな逝ってしまいました。
    来る日も来る日も空襲の恐怖と空腹の我慢、戦争は本当に酷いですね。

    幼い子の胸に「名札」をつけなければならない、焼夷弾の恐ろしさに泣き叫ぶのを抱きしめる、
    小さな木箱になって戻った夫を迎える、どんなに辛いか想像を超える日々だったことでしょう。

    奈津のうつろな表情、お母さんはなくなったのでしょうか、気がかりです。

    でも、やっと終わりました。
    まだまだ暮らしは厳しいでしょうけど、とにかく戦争がおわりました。
    神戸のお屋敷と工場が焼けてしまったけれど、みんな無事だったこと、
    岸和田のみんなが揃って終戦を迎えられたこと、よかったです。

    予告編の「これからはパーマと洋服の時代や!」と、八重子さんに言っている糸子の明るい表情が救いです。
    盛り返していって欲しいです!糸子も八重子さんも、岸和田の商店街、そして「だんじり」も。

  8. 【2368844】 投稿者: ろいやる  (ID:gpoPu0kovjY) 投稿日時:2011年 12月 28日 13:09

    勘助くんの予期せぬ死はショックでしたが、今日も悲しかった。私は先のあらすじなどは見ない派ですが、勝さんは実在人物がモデルなので戦争で亡くなると知っていました(でも「戦病死」だったのは知りませんでした)。勝さんは、とにかく「笑顔よし」さんでにこやかな顔しか浮かばないです。切ないです。
    そして泰蔵さん…実は私、出征場面の「行って来ます。」と最後にふりかえっての礼を見て「ああ、この人多分帰って来はらへんのやな。」と思ってしまいました。絶対に絶対に予想が当たって欲しくなかったのに…。

    うちの母は終戦時には優子ちゃんくらいだったそうですが、玉音放送はラジオの音が悪いのと言葉が難しいので自分ではよくわからなったそうです。

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