アートの才能を伸ばす女子教育
お茶の水女子大学と上智大学はどちらが上なんですか?
お茶女と上智大はどちらが上なんでしょうか。
同じくらいの難易度かと思いますが、よろしくお願いいたします。
私がLGBTと表記した流れでそのようになったのでしょう。当然女性限定で、L、Bは不問として、Gはあり得ないのは自明でしょうが、雑な表記でした、すみません。
グローバルな世の流れではありますが、この件を含めIT化やら何やら世間の様々な変化を求める動きは、個人的には一時期の社会主義を求める動向のように理念先行が過ぎて随分と性急なハードランディングと思っています。
一方でお茶大がそのようなフロンテアに踏み込む事は当然で、自らの使命を全うして頂きたいと思います。
トランスジェンダー/性的マイノリティーの受け入れは、お茶大のブランド・偏差値の向上につながりそうですね。男性から女性に性転換した優秀な学生を集められることに加えて、性的マイノリティーに対するリベラルなスタンスも大学のブランドにプラスに働くように思います。また戸籍上、男性である人を受け入れることは、共学化に向けた、足掛かりの一つになるかも。悠仁親王がお茶大に入る道がもし開けたりすれば、お茶大のブランド力がさらにアップする可能性もありそうです。
>お茶大がそのようなフロンテアに踏み込む事は当然で、自らの使命を全うして頂きたいと思います。
これはお茶の水大の批判でも、ふざけているわけではありません。今回のトランスジェンダーの受け入れは、女子大として認識としての性が女性であればその権利を守るという一歩進んだ考えであると思います。まずはそのトランスジェンダーの方の権利を優先した結論なのでしょう。
一方、現実に目を向けると認識としての性は戸籍とは異なり、男性、女性、無性となっています。今までもお茶の水大では認識の性では男性、女性、無性の方々を戸籍上女性であれば受け入れてお茶の水大の理念の下の教育をしています。実務的な現実論から運用上は目をつぶったのかもしれません。認識上の男性、無性の受け入れについてお茶の水大はどう考え、どこに行こうとしているのでしょうか?お茶の水大の教育理念に賛同する学生を受け入れるのであれば共学も一つの道なのかもしれません。それとも本質的にはお茶の水大は将来も「認識としての女性」のみを受け入れたいということなのかもしれませんが。
>トランスジェンダー/性的マイノリティーの受け入れは、お茶大のブランド・偏差値の向上につながりそうですね。
趣旨には賛成ですが、こうした全面肯定がキチンできる人は限定的とも思います。世間(OGや受験生保護者も含む)のほぼ8割は表面的に「いいんじゃない」と理解を示しつつ、その実はあまり納得していない、いわゆる「保守的な人」ではないかな、と。
さらにいえば、「性別で区分けする意味があるのか」という根源的な問いかけが本格的にはじまったとき、お茶大が果たして「国立大学法人の女子大」として存続できるかも疑問です。
そして、もしお茶大が「普通の共学」になってしまうとすれば、それは他の都内国立大学法人を含めた「再編成」への引き金になる気もします。
そもそも国立の女子大って必要ですか?
かつてとは女性の置かれている状況も違いますし、あえて女子大である必然性はあるのでしょうか?
ジェンダーフリーを唱えるのなら男性の入学を認めないのは性差別といわれても仕方ない時代になっていると思いますが。
私はお茶女に落ちて春から上智に入りました。上智だって結構難しい大学だと自分に言い聞かせていました。だからこういうスレッドもつい見てしまいます(止めた方がいいんですけどね) 私はあまり可愛い方ではないとは自覚していますが大学では可愛い女の子がすごくちやほやされていて田舎者の私はとても寂しいです。やっぱり女子大に行けばよかった。もっとショックだったのは余り勉強が得意でなかった中学の同級生に大学で偶然逢って「○○ちゃん、なんでこんなところにいるの?」って言われたことです。彼女は推薦入学だったので「全然勉強しなかったよ」とちょっと自慢気に言われました。再受験するかこのまま上智で頑張るか考えています。「大学で何を勉強したかが大切」なんていうのは大学を離れは父兄や傍観者のきれいごとに思えてしまいます。正直女子大が落ちているなんていうのもマーチレベルが女子高生を取り入れるための工作だとなにかで読みましたが、そんな気がします。再受験して茗荷谷のキインドウで入学式に出たい。いまはそんなことばかり考えてしまっています。































