最終更新:

283
Comment

【6461628】2032年18歳人口東北減少率20%以上、近畿減少数最大 東京沖縄のみ増加で大学入学者数減らすべき?

投稿者: 大卒の価値   (ID:jX.0zuUQsFQ) 投稿日時:2021年 08月 29日 04:13

2020年に比べて2032年18歳人口は116.7万人から102.4万人へと14.3万人減少

都道府県別では
減少率25%以上
青森 28.3%減少 秋田 27.9%減少
減少率20%以上25%未満
岩手、山形、福島、群馬、山梨、長野、富山、奈良、和歌山、高知
減少率15%以上20%未満
北海道、茨城、栃木、新潟、福井、岐阜、三重、京都、大阪、山口、徳島、愛媛、佐賀
減少率10%以上15%未満
宮城、石川、静岡、兵庫、鳥取、島根、岡山、香川、長崎、大分
減少率10%未満
埼玉、千葉、神奈川、愛知、滋賀、広島、福岡、熊本、宮崎、鹿児島

増加
東京、沖縄

「大卒」という学歴を担保するには大学入学者数減らす必要?
18歳人口減少率が高い都道府県ほど大学入学者数減らす必要?

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

「大学受験情報に戻る」

現在のページ: 20 / 36

  1. 【6503336】 投稿者: 何言ってるの?  (ID:U9j0b.Ew4ro) 投稿日時:2021年 10月 01日 18:11

    カントの哲学への反動として始まったヘーゲルらのドイツ観念論は、人間の認識の限界を設定したカントの哲学よりもむしろ頽落していったよ。

  2. 【6503382】 投稿者: カント  (ID:s4f6IJNpY3.) 投稿日時:2021年 10月 01日 18:49

    神様なんていてもいなくても同じだわって言っちゃった人

  3. 【6503433】 投稿者: お詳しければもう少しご説明願えませんか  (ID:DozE9O4j9Ek) 投稿日時:2021年 10月 01日 19:30

    ※永劫回帰が証明されれば、弁証法は反証される。

    アインシュタインは皆既日食の日に太陽の裏側に隠れて見えないはずの星が観測できることを予言したわけです。もし観測できなければ自分の理論(一般相対論)は間違っていると。観測精度の問題はありますが、これは反証可能なテストを提案したことになっていて、現実には反証できなかったわけです。しかし、永劫回帰もその否定も原理的にテスト不能でしょう。よって※をもって弁証法が反証可能性を持つとは言えないと思います。

    そもそも私は↓の意味がまだ全く理解できていません。

    「すべての存在はそれ自身のうちに対立する二つの側面を有し、この対立するものの統一として存在する。しかし、その対立は今までの統一物のなかで両立しえない関係にまで対立する。この関係によって古い対立は崩壊し、新しい統一がそこから生まれてくる。」

    ・「すべての存在」には何が該当するのですか?具体的に例を挙げてみてほしい。
    ・「対立する二つの側面」とは、「存在」を一つ定めれば自動的に決定されるものなのですか?むしろそれを認識する主体に依存するものなのではありませんか?これも具体例を挙げて説明してほしい。
    ここまでがクリアになったとしても、まだ疑問は残ります。
    ・「その対立は今までの統一物のなかで両立しえない関係にまで対立する。」

    これは存在証明のようなもので、いつ「両立しえない関係にまで対立する」かについて全く言及されていません。その結果、反証不能になっているように思われます。永劫回帰とも関連しますが、対立物が崩壊しなくとも「その古い対立が両立しえない関係にはまだ至っていない」と言い張れる構造になっているからです。

  4. 【6503445】 投稿者: お詳しければもう少しご説明願えませんか  (ID:DozE9O4j9Ek) 投稿日時:2021年 10月 01日 19:44

    もう1点。
    弁証法自体に弁証法を適用する試みはなされていないのだろうか?

  5. 【6503472】 投稿者: 頓珍漢  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 10月 01日 20:00

    私はヘーゲルについて語ったのであって、ここでカントについては触れていない。悪しからず。

  6. 【6503532】 投稿者: キミには無理。  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 10月 01日 20:39

    >意味わからんね。哲学は唯物論か観念論かを決める学問なのかい?

    でもせっかくゆえに解説しよう。すなわち、そうした精神と自然と何れかが本源的かという問題の答えとして、哲学者は二大陣営に分裂したということだ。しかしながら、今日の唯物論からみてヘーゲルの哲学体系が荒唐無稽なものを包含するとしても、彼の雄大な構想が示した豊かさは唯物論者の等しく認めるところだ。

    それゆえ唯物論者はそうした先行・先達による観念論的体系が示した成果の中から、それがあるがままにとらえた現実を貴重な素材として、自己の体系に包摂してきた。とくにヘーゲルになるあらゆる存在は生成と消滅、合理と非合理との交替の運動の中にあり、合理的なもののみが存在しうる(「現実的なものは合理的である」)とのヘーゲル一流の弁証法的思惟は、「いかなるものも、永遠なるものはない」との結論を必然化するものとして評価しうる。

    そして、唯物論者も観念論との長い闘争において、彼らが示したそうした貴重な学問的成果をも継承してきたのである。マルクスもその一人であり、ヘーゲルの弁証法を学び、それを唯物論的に転回したのであった。したがって、マルクス主義哲学を語るとき、ヘーゲルは欠かすことのできない大きな存在である。

  7. 【6504469】 投稿者: ヘーゲルよりはカントでしょう  (ID:6YgTVkIzgQY) 投稿日時:2021年 10月 02日 15:14

    カントは、やはり純粋理性批判が最高。
    かつては、人間が善悪を判断する判断力、その基礎となる道徳、善悪を認識する方法としての理性の順だと考えていた。著書の順で言えば判断力批判、実践理性批判、純粋理性批判。

    しかし、純粋理性批判から読み始めてみなさい。
    後の二作と人倫の形而上学的考察は付属本と言って良い。

    ヘーゲルなんて読んでるから偏った時代遅れの共産主義になっちゃうんだよ。

  8. 【6505524】 投稿者: おあいにくさま  (ID:sOnDhZC2Gbg) 投稿日時:2021年 10月 03日 13:50

    もちろんカントにも目を通した。多くの唯物論者も、カントが観念論者のうちでも稀に見る誠実な科学的良心の持ち主であったと認めている。そうした彼の偉大な点は、人間の認識が勝手な妄想から守られていくためには、理性の認識能力を徹底的に批判し、超えてはならぬ限界を示さねばならぬとした点にある。その結果、たとえどのように美しい幻想が崩れ去ろうとも、哲学の任務はそこにあるとカントは考えた。まったく同感である。

    しかしながら、本来存在とは何かを問う哲学において、カントはその「存在そのもの」に対しては、科学的理性の無能を宣してしまった。そのうえで、この存在そのものをつかもうとして彼が登場せしめたものが、例の「実践理性」なるシロモノであった。その結果、私たちの認識を一切の迷妄から守るために設けられたはずの「理性の限界」は、一転して「神秘の入り口」に転落した。そうしたカントの道は、フィヒテ、シェリングを通って、ヘーゲルの絶対的観念論に完結した。その意味で、カントの有した弱点は、そのままヘーゲルにも継承されたと思われるのである。

あわせてチェックしたい関連掲示板

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す