充実した教育環境の日大付属高校
地方には低レベルな大学しかない。大学、学問は在京大のみにすべき。
日東駒専≧地方国公立になって久しいですが、もう地方に優秀層は皆無です。
人口減で地方はこれからますますジリ貧。
大学は東京首都圏+京阪神にあるもので十分。
金食い虫はどんどん淘汰されます。
その比喩は上手いけれど、30年前ならでは。
今は東大も京大も構造的に同じ病にかかっているでしょう。制度が秀才を量産する装置になり、逸脱や越境を許さない。かつて京大が持っていた落ちこぼれが世界を変える余白が、今の日本にはほとんど残っていない。
AIが技術(論文やプログラム)に対する敷居を下げてくれたことは同意だが、ノーベル賞を受賞するには、その分野の先端の研究を行った上で、社会を変えなくてはならない。
そういう意味で、最先端の研究はどこにもデータが存在しないので、AIによる検索に引っ掛からない。つまり、創造性はAIでは解決できない。
AIが創造できない、という言い方自体がもう古い。創造とはゼロから思いつくことではなく、既存の知をどう組み替えるかだ。その点でAIはすでに創造の一部を担っている。
ただし、最終的な判断と方向づけは人間にしかできない。だから本当の問題は、AIをどう使って何を生み出すかという設計力のほうにある。創造をAIと人間で線引きする時代は、もう終わっている。
因みに。
これも以前自分で言ってた
「東京大学先端科学技術研究センター元橋一之教授が生成AIがイノベーションを起こすことができるか研究しました。日本、中国、アメリカ等の企業が持つ特許情報と学術論文の組み合わせなど4000万以上、更にその企業が提供しているサービスなどを生成AIに学習させました。そして論文や特許を元に生成AIが新しいビジネスを提案できるか試しました。しかしニーズにあった画期的なサービスを提供することはできなかった。
元橋教授は「画期的なイノベーションを起こすには人間が持っている感性が必要だ。感性は言葉では表現しきれないために、AIの学習データには存在せず答えを出せなかったと考えられる」と話しています。」
と矛盾する。
でも「だから?」
なんですって。
要はウダウダ長文で返してやる気を削ぐのが目的だから。
いや。矛盾しているよ。
AIが正論にとどまるというのは、AIを過小評価しすぎ。AIは確かに確率の体系で動いているが、その内部には、無数の異論や矛盾、人間の迷いや情念までもが埋め込まれている。
ネット上の言葉の海を学んでいる以上、そこには正しさも誤りも、理屈も感情も共に存在する。AIはその全体を参照できる。だから本質的には、正論だけを出す存在ではない。
だから、AIが導き出すものは単なる正論ではなく、しばしばその枠をはみ出す。
私はそこに、奇妙な揺らぎを感じることがある。
そしてそこに“真実”を見いだすことが事実ある。感じると言った方が正確かな?
シンギュラリティという劇的な言葉で語られる程ではなくても、AIの出力が時折、人間の感覚をかすめる瞬間がある。ハルシネーションと呼ばれる誤差が、むしろ創造の種に見える時があるのだ。
思ったことない?
それは計算の外で生まれる偶発的な歪みであり、しかしその歪みこそが新しい構想の入口になる。
元橋教授の言う感性の欠如は、AIの限界というより、人間が自分の感性をまだ形式化できていないことの裏返しだと最近思う。AIの創造は、論理の中心ではなく、その周縁の揺らぎの中で芽吹いている。
だから、AIが創造しないのではない。人間がまだ、その創造を創造と認める感覚を持てていないだけなのだと思う。
シンギュラリティは既に成っている、そう思うのは間違い?






























