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投稿者: 人間国宝 (ID:LQACQa/21dM) 投稿日時:2023年 02月 23日 14:06
1.東大
2.京大
3.慶応
4.早稲田
。。。。結局どんな調査でも同じような顔ぶれになってしまいますが、
親としては経済的にも大変安心できるであろう。という思いがあるのかな?
■逆のアンケート取ったらどんな顔ぶれになるだろうか?
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【7472090】 投稿者: でも (ID:5QPYAtzrcf2) 投稿日時:2024年 05月 16日 14:02
心身共に健康で、かつ経済的に貧しくない女性でも、たくさん子供を産みたがらないのは、個人の自由だと思う。
でも、それならば、誰が子供を産めば良いのだろうか。 -
【7481381】 投稿者: 大臣 (ID:IigCPQhsEI6) 投稿日時:2024年 05月 31日 13:33
そういう発言は正しいけど
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【7486195】 投稿者: なんだかんだで (ID:X7sumJZzvGs) 投稿日時:2024年 06月 08日 16:45
移民大量受け入れに傾くと思う
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【7486217】 投稿者: ? (ID:oxJlPAt5gyo) 投稿日時:2024年 06月 08日 17:11
ドイツやイギリスの結果の惨状を見ても受け入れ決定する大臣?
他国の歴史から学ばない老齢大臣か若年大臣ならそうなるかも。 -
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【7518818】 投稿者: ほんと (ID:rRo8gU7ujDQ) 投稿日時:2024年 08月 12日 18:38
東大に行きたいだけなら、いちいち地方から出てきてまでお嬢さん学校を踏む必要ない。
普通に放課後勉強すれば良いです。
もともと高入は区別されます。
意味ない。 -
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【7518833】 投稿者: どうでしょうね (ID:h2VK94n00Zc) 投稿日時:2024年 08月 12日 18:54
>未婚化、少子化の本当の原因は、未婚時点で沢山の高齢者を扶養している若者には最初から扶養余力がないから。
ちょっと見方がシンプルすぎる気がします。
今高齢者(特に後期高齢者)の年金が高額と言われますが、その世代の親には年金が無かったという視点が必要です。
つまり、今の高齢者世代は、親の面倒を見るために、すべて自分たちの収入で賄わなければならなかった世代なのです。
だから、実はその世代も、若い頃は結構生活が苦しかったんですよね。
でも、子供を作らない訳ではなかった。時代の雰囲気もありますが。
それでも、今の若者の世代と、高齢者世代のお金の無さにはある意味共通する部分もあるんですよ。 -
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【7521960】 投稿者: ? (ID:i8oAX2YmglA) 投稿日時:2024年 08月 18日 19:46
いわゆる御三家や名門校は変なクラス分けはしない。
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【7522211】 投稿者: 婚姻と挙児数が自由意思になったからね (ID:c9OHvDzN4qw) 投稿日時:2024年 08月 19日 10:08
>でも、子供を作らない訳ではなかった。時代の雰囲気もありますが。
仰る通り!下記で江戸時代~現代までの人口爆発と終息(収束?)の流れ
江戸後期から明治前期までの年齢別人口および出生率・死亡率の推計
(島根大学学術情報リポジトリ)
「歴史的に見た日本の人口と家族」立法と調査 2006.10 No.260 P90~
人口停滞期だった江戸後期に対し、明治から昭和中期にかけて日本は再び急速な人口増加期に入った。明治以降の日本の人口変動を大別すると、(1)明治中期から 1920年代にかけての高出生率・高死亡率の「多産多死」の時代、(2)1920 年代から戦中を挟み 1960 年代までの「多産多死」から「少産少死」への「第一次人口転換」の時代、
(3)1970 年代から現在まで続いている、人口置換水準を下回る少子化の進行による「第二次人口転換」の時代(少子化の時代)に大別することができよう。
この背景として、(ア)戦後の経済発展の中で、「子どもの生産財から消費財への転換」という先進国共通の現象が生じたこと~~
~~1970 年代半ば以降、日本は第二の人口転換の時代-少子化の時代-を迎えた。昭和49(1974)年以降、日本の合計特殊出生率(TFR)は人口置換水準を下回り続け、~~
~~次に団塊世代の家族形成について述べることとしたい。
団塊世代の特徴は、(ア)兄弟数が4人以上と多い、(イ)地方から都市部へ移住した者が多いことである。戦後日本の急速な経済成長に伴う都市部への人口集中の最大の担い手が団塊世代であった。都市部に移住した団塊世代が、比較的近い年齢層同士で結婚し核家族をつくったというのがいわゆる「ニューファミリー」であった。 ~~
~~しかしここで注意しなければならないのは江戸時代からの伝統的な直系家族が消滅した訳ではないことである。地方には親と同居する「跡取り」夫婦がいたし、それだからこそ他の兄弟は都市部で核家族を形成することができた。非常に単純化した表現をすれば、団塊世代の4人のうち2人が地方に残留して直系家族を継承し、残る2人が都市部に移住して核家族を形成したのである。
翻って戦後を見ると「二人っ子社会」とは即ち「皆婚に近い状態を維持しないと人口が減少に転じる社会」である。経済的理由から実家にとどまり続ける未婚者の存在や、都市における未婚率の高さはかつての日本でも同様の傾向があったのであり、都市、農村、階層の違いによらず「皆婚、子ども2人前後」という状況が実現した 1950~1970 年代がむしろ特殊な時期であったと言える。
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まあ興味のある方は各自で読んで頂くとして、
・若年人口の減少が必定な前提で、理系と地方を大事にする
・首都圏の私学私文の営業手法として少子化と地方と国公立大学を関連付けたい目的は見破られたので、いくら続けても無駄だ。
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