充実した教育環境の日大付属高校
中央大学法学部は都心移転によりどこまで復活するか?
みなさんの予想はどうですか?
私は、
出身学部別での司法試験合格者数は1位。
予備試験合格者数では2位。
国家公務員総合職の合格者数では早慶を抜いて1位。
民間は今より良くなる。
偏差値は普通に早慶上位レベルまで上がる。
来年は昭和百年、中央大学法学部は一階の歴史展示コーナーに戦後の東京地検特捜部の土台を築いた熱血の河井信太郎さんを加えるべきではないか。
汚職は社会の癌で、これを放置すれば蝕まれて健全な自由社会が崩壊する。早期に剔(てっ)抉しなければならないと語っていた河井氏。
東大法学部、山本祐司氏[中央風が東京風を圧する]より。
巨漢、白髪、開いているかどうかわからやい細い目、その圧倒的な迫力には取り調べ受けた保守党人派の巨頭、故大野伴睦さえ、ノドをゴボゴボさせ泣いた、という。
商法と刑法が接点の法学博士。
海軍主計大尉から磨き上げた会計学の捜査権威で、東京地検特捜部内に税法、会計の専門ゼミを作り、帳簿に強い現在の特捜の基礎を作り上げた。
政財界事件ひと筋で昭電、造船の戦後二大事件から日通事件まで、売春汚職を除き主要な戦後の特捜事件をすべて手がけた。
[エン魔の河井]のニックネームで政財界の裏街道の紳士たちに恐れられたが、ロッキード以前の検察にとって彼の果たした役割は大きい。
(中央法学部の先輩に当たる)山本清二郎、河井が検察の要職を歩んだことで東大閥は影の薄いものとなって、超エリートの東京地検特捜部には、中央法学部出の優秀な検事が集められ、中央風が東京風を圧倒するという他の官庁では考えられない現象が起きたものだ。
総勢二十七、八名の東京地検特捜部検事の内、70%が中央出という時期もあり、中大出が台頭することによって早大、日大など他の私学も頭角を現すという構造をもたらし、中大、東大の[中東戦争]は最高のエリート機関である特捜部な関する限り、中大が制圧していたといえる。
河井が次席をしていた昭和四十三年秋ごろからまでの東京地検は別名[河井検察庁]と言われたほで河井色が強かったが、よく腐敗した政財界事件の捜査をしたことも事実である。
因みに、山本祐司氏は早稲田法卒で毎日新聞の記者でした。
補足
河井信太郎検事が設けた会計税法のゼミは河井学校と呼ばれ、若い検事たちを厳しく指導した。
河井さんが、一月の通常国会が始まるまでに安倍派などの裏金捜査を終わらせるという忖度する現在の検察と違うのは、政財界事件の捜査の結果、かりに内閣が倒れてもやむを得ないと考えていたことだ。
続 山本祐司氏[司法試験の中東戦争]より。
昭和四十六年十月一日、法務省中庭に掲示された司法試験合格者を見て中央法学部関係者は深刻な衝撃と、いい知れぬ屈辱感にさいなまれた。
受験者総数2万2336人、合格者536人、平均年齢26.5歳。
合格者一位が東大129人、二位中大の116人、三位早大の47人、4位京大の27人、、、。
二十年間、中大が首位を独占、その栄光の座が突然崩れ落ちたのである。
中大が前年の138人から22人減ったのに、東大は前年の88人から一挙に41人も増えたためだが、[司法試験合格者首位]は、中大にとって最大の売り物で司法試験教育には特に力を入れていただけに中大関係者のショックは大きかった。
とうとう中大の学術団体で全国の司法試験受験生を指導している中央大学真法会(向江会長)が[論文式問題が東大関係者から事前に漏れている疑いがある]と法務省の司法試験管理委員会に抗議の要望書を突きつける騒ぎになった。
判明した1970年(昭和45年)の司法試験合格は、
中央138人 東大88人。
前年に50人の差がついていたので、まさか翌年に逆転されるとは思ってもいなかったのであろう。
青天の霹靂。
まだ連覇は安泰で続くだろう、21連覇と思っていたところによもやの首位陥落、その驚き、ショック、無念さは想像するに余りある。
ご丁寧に解説してくださり、ありがとうございます。
中央大学卒の知り合いが複数いますが、皆さまそれぞれのフィールドで活躍されています。法学部卒の方から「中央大学法学部です」と言われたかどうかは記憶にありません。そうですねさんのご経験からすると、そう言わない方はきっと少数派なのですね。
学外の私から見ると、皆さま全員を中央大学の方としか認識せず、法学部と言われても自慢とすら受け止めませんが、学内の方にとっては重要なのですね。









