アートの才能を伸ばす女子教育
早稲田大、立命館大、愛知大、桜美林大、大阪産業大、岡山商科大、関西外国語大、札幌大、福山大、北陸大、武蔵野大、山梨学院大、立命館アジア太平洋大国内13大学で「孔子学院」設置
政府の閣議決定した答弁書による
日本で設置が確認されたのは早稲田大、立命館大、愛知大、桜美林大、大阪産業大、岡山商科大、関西外国語大、札幌大、福山大、北陸大、武蔵野大、山梨学院大、立命館アジア太平洋大。
どう思われますか?
教育方針に影響与えてますか?
学校が終わって友人と遊ぶ時間も無く夜中まで宿題をやらなくてはいけない子ども達の環境は本当に可哀想だな、と思う。
「とにかく優しく、優しく。ツライ事があったら守ってあげましょう」って環境も何かあると直ぐ逃げになる子になりそうで良くないとは思うけど、ずっと競争、競争で他者より前に出ることを過度に強要される環境も他者を思いやる心のゆとりとかを奪いそう。
程々が良さそうだけど、その「程々」が難しいのかな。
程々なんて幻想ですよ。
危機管理の理想はやり過ぎて戻す。
この理屈、私は勉強にも通じると思ってる。
甘やかす必要はない。
日本の数百倍過酷な受験を課す中国の高考(ガオカオ)。
ガオカオで有名な格言があって『只要学不死就往死里学』これは、「勉強して死ぬことはない、だから死ぬほど勉強しろ」っていう意味。
実は私も大学受験時代、この言葉を実行した経験があります。
直前2か月、ほぼ寝た記憶がない。でも生きてますし、死ぬ直前まで勉強して良かったと思ってます。
余裕で第一志望落ちてますけどね。
要は今の子、甘いですよ。彼らが戦うのは勉強で死 ねって言われて勉強してきた中国やグローバルですよ?
甘い甘い。中韓米の後塵を拝する国ですから。
絶頂から緩やかな後退が始まっている。これから先進国が経験した諸問題を経験していくだろう。先進国の多くが民主主義であるのに対して独裁色が強い強国がどのように崩れていくのか。一気に混乱に陥る可能性も無くはない。世界も何かしら影響は受ける。適度な距離感で様子見できれば良いが。
科挙の歴史を高校で習った後、中国人の留学生が「本当に状元が神に選ばれた存在なら失敗していないはずだ」と言った。
つまり、頭が良い事が優秀とは限らない。
中学の歴史教師が政経の時間に「劉邦が解らない事を朝議で徹底的に質問したおかげで全員が理解した後、動く事ができたから漢は栄えた」と「政治家は高卒ぐらいが丁度いい」と言った言葉は、正しいと思う。
優秀な人が一般人の感情や能力を知る事は難しいと思う。
1%の優秀な人が99%の凡人を従わせる事は出来ても支配する事は不可能だと解った世界で富裕層が恐れる存在は「何も持たない貧者の暴走」と「突然変異の天才」だけじゃないだろうか。
話の芯を取り違えている。
科挙の例を出して、頭の良さと優秀さは別物だと言うところまではいい。
が、そこから政治家は高卒くらいがいいに飛ぶのは論理ではなく願望だ。理解しやすい人間のほうが安心できるという心理の正当化に過ぎない。
劉邦の話も同じだ。劉邦が評価されたのは、分からないことを聞いたからではない。人材を見抜き、使い、権力を設計したから勝った。問いを発する姿勢は手段に過ぎない。そこだけ切り出して一般化するのは粗い。
優秀な人は大衆を理解できない、も半分しか当たっていない。理解できない優秀な人間もいれば、理解したうえで設計できる人間もいる。現実に社会を動かしているのは後者だ。理解できないことを理由に水準を下げる発想は、全体を劣化させるだけ。
1%が99%を支配できないという指摘も同様だ。だからこそ制度とインセンティブの設計が要るのであって、凡人寄りでいいという結論にはならない。寧ろ逆で、高度に設計できる側が不可欠になる。
貧者の暴走と突然変異の天才。
どちらも歴史に繰り返し現れてきたが、それを恐れる主体は富裕層というより既存の秩序そのものだ。富裕層も天才も貧者も、その中で役割を変えながら入れ替わってきただけ。
結局、言っているのは優秀さの定義は単純ではないという一点だが、そこから導く結論が雑に縮んでいる。難しい問題ほど、能力を下げるのではなく、能力をどう接続して機能させるかで考えるべきだ。
中国では、街中で驚くほど障害者を見かけることはありません。駅には障害者優先のエレベーターはありますが。
中国では、都市部の住民はいわゆるタワマンに住んでいるケースが多く、外部との接点が無いため孤立するケースも多いようです。日本のような福祉の概念も希薄なのですね。






























