アートの才能を伸ばす女子教育
早稲田大、立命館大、愛知大、桜美林大、大阪産業大、岡山商科大、関西外国語大、札幌大、福山大、北陸大、武蔵野大、山梨学院大、立命館アジア太平洋大国内13大学で「孔子学院」設置
政府の閣議決定した答弁書による
日本で設置が確認されたのは早稲田大、立命館大、愛知大、桜美林大、大阪産業大、岡山商科大、関西外国語大、札幌大、福山大、北陸大、武蔵野大、山梨学院大、立命館アジア太平洋大。
どう思われますか?
教育方針に影響与えてますか?
その認識、かなり古いテンプレのまま止まっていますね 笑
カナリのお年寄りかな?
「詰め込みで暗記は強いが創造性が弱い」。。。そう見える層がいるのは否定しませんが、それを全体像に拡張するのは雑です。いまの中国で起きているのは、寧ろその前提を裏切る現象の連続です。
例えば、越境ECで流れてくる製品群。AliExpress を覗けば分かる通り、単なる模倣ではなく、ニッチ需要を拾う設計、試作から量産までの異常な速さ、細分化された用途への最適化。この「気づき→試す→出す」の回転は、丸暗記だけでは回らない。
加えて、深圳のハードウェア・エコシステムや、動画・ゲーム領域のコンテンツ量産力を見れば、応用と組み合わせの力が極めて高いことは明らか。既存技術の再配置や高速改良という形での創造性は、寧ろ世界でもトップクラスです。
教育の歪みがないとは言わない。ただ現実は、「受験期は高圧、大学以降で解放される」というフェーズ構造の中で、競争を生き残った層が市場で一気にアウトプットを出すモデルになっている。だから外から見ると振れ幅が大きく見えるだけ。
要するに、「詰め込み=創造性がない」という図式自体が、既に現実とズレている。今の中国は、暗記力に加えて高速に試して当てる実装力で勝っている。そこを見落とすと、いつまでも古いステレオタイプのままですよ、おじいちゃんㅋㅋㅋㅋㅋ
科挙を持ち出すのは歴史としては面白いですが、それをそのまま現代の説明原理に使うのはかなり粗いですね。
隋・唐以降の官僚登用制度と、現代の中国におけるテック・産業構造は連続しているようで断絶も大きい。今起きているのは、国家試験による選抜というより、都市圏の産業クラスターと資本回転の中で生まれる実務的な競争です。
特に深圳や杭州のようなエコシステムは、科挙的な「一点突破型の記憶試験」とは別物で、むしろ現場での試作・改善・即時市場投入の反復で成り立っている。評価軸も官僚登用ではなく、プロダクトと資本効率です。
つまり「優秀な人材選抜の伝統があるから今も強い」という単線的な説明では、現状のスピード感も構造も説明しきれない。
歴史的連続性は補助線にはなるけれど、それ単体で現代の競争力を語るには情報が足りない、という話です。
一方、農家など一次産業は人手が足りてないんじゃなかったっけ。日本と同じように。
人口や雇用の偏在が日本より極端で、勝ち抜いて職を得る競争が苛烈になりやすい土壌が元々あるのよね。
そこに不景気だのと、周囲の期待を一身に受けて自由が制限された教育……となれば、そりゃ病む子が増えるよ。
その子、その年齢の精神状態に合わせて少しずつ、環境に耐える強さの土台を形成しないと……。
科挙の伝統が今日まで影響している。
日本は大学全入時代を迎え、受験戦争という言葉は過去のものとなったが、中国では未だに苛烈な受験戦争がある。
北京大学、清華大学などを出て立身出世していくことを求められ、名門小中高へ行くために学校以外に常に塾でも勉強しなければならない。
しかし、勝ち残る者はほんの一握り。
大半は負け組になる。
この状況から逃れて日本に来る中国人家族も多い。
その教育がなんのためのものなのか
そこが一番問われなくてはいけないだろうな
日本の明治維新のころは、日本は西欧を学び、日本を富国強兵で列強に食われないようにするのだという使命感が若者を支えたはずだ
そういう心意気が若者にあるのかどうなのか
ただ自分のため、家族のためというだけでは支えられないんじゃないか
とりわけ、大学を出ても就職率が悪いとなれば、何のための勉強なのか先が見えない
それでも家族の期待に応えるためという思いがあれば、うつでもなんでも頑張れるんじゃないか






























