アートの才能を伸ばす女子教育
学部生数1位日大2位早稲田3位近畿4位立命館5位明治 少子化で偏差値をどう今後維持?推薦や付属校増?
1位 日本大学 66,036人
2位 早稲田大学 39,382人
3位 近畿大学 33,350人
4位 立命館大学 32,467人
5位 明治大学 30,674人
付属からの学生数を増やし、指定校推薦や推薦を増やすべき?
一般受験の学生を減らさないと現在の偏差値維持は難しい?
文系学部が多いので文系学部数減らす?
田舎者であっても、【世界の都であるニューヨーク市内】か【世界の副都心であるサンノゼ付近】のコロンビア大学やニューヨーク大学等に入学した方が好ましい。財力や知能指数の壁があるのであれば発展途上国の英語使用大学であるフィリピン等が考えられる。
群馬であれば国公立で群馬大学、高崎経済大学がある。スポーツ系の私学なら上武がある
そもそも地域に貢献できる人材が大卒である必要はまったくない。大学ってより高度な専門的な分野を学ぶところなので、地域に貢献する人材を育てるっていう場所ではないかなと
地元の、企業、市役所、小中学校などと密接に連携してインターンを増やし、大学と就職が一体のものになるようにすることは大いに好ましいことだと思う。
ただ、英検2級なら1年間授業料免除、みたいな制度は止めた方がいいと思う。そういう制度があると、この大学の学生さんは英語が苦手、という動かぬ証拠になってしまうので(笑い)。
古い考え方かもしれませんが、個人的には、学部名というのは、「〇〇」・学部であると同時に、「〇〇学」・部でもある(文学部とか工学部といった伝統的な名称はすべてそうですね)から、それ自体で学問名、領域名として確立しているものであってほしい(せめて健康科学部とか人間科学部のような学問の総称的なものであってほしい)、と思います。ちょっと前に多かった「キャリア創造学部」とか、「なんとかコミュニティ学部」とか、そんな学問名あるのかな、と。だからコスメもやめてほしかったなぁ。しかも国立大で。
他方、恐竜については、むしろこれまで福井で恐竜についての教育研究を集中的にやる場所がなかったことのほうが驚きで、これは学生が恐竜に関係する仕事に就くとか就かないとかを抜きに、必要な学部だと思う。「恐竜学」があるかは議論はありますが、少なくとも小領域としてはあるでしょう。
言えることは、高校生の人が進学先を選ぶときに珍しい名前の各部学科は選ばない方が無難、ということだろう。
そういう学部学科は短い時間で名称が変わったり組織替えになったりするし、就活の時などに、得体が知れない学部学科を卒業した人、と思われて得をすることはない。
職業に直結しそうな学部学科を選ぶ必要もない。ホテルや旅行に特化した各部学科が注目されたこともあったけど、そういう業界でそういうところを卒業した人が高く評価されているという話はない。
最近では、データサイエンス関係だろう。データサイエンスは大部分が人工知能がやってくれる時代になりつつあるので余程高度な段階まで到達しなければその道の専門家としての価値はない。大部分の卒業生は、コンピュータ関係の基礎を学んだ人、という扱いになるだろう。
珍しい学部名を避けろ、という助言ほど凡庸な安全圏思考はない。名を恐れる者に、名を刻む未来は訪れない。
変化の速い分野が名称を変えるのは当然。
学問が生きている証拠。固定化した名称の下で何十年も同じ講義を繰り返している学部のほうが、寧ろ死んでいるよ。
就職で得体が知れないと思われるなら、知れさせればいい。肩書で安心を買おうとする学生も、肩書で人を測る企業も、いずれ同じ波に呑まれる。
データサイエンスをAIが代替するという言葉も浅い。AIが扱うのはデータであって、問いではない。何を測るか、どの指標で現実を定義するかを決めるのは人間の思考そのもの。
学問の本質は流行や職業の直結性にない。変化のただ中で、自らの知をどこまで再構築できるか。
そこにこそ、未来の専門家と凡庸な解説者との決定的な差が生まれる。
新規な学部・学科をつくっても,教える教員は何十年も前に「古くさい学科」で学んだ人材だ。そこから専門を拡張した人もおおいが,「出自独特の気風」は残っているだろう。
私も理学部・理学系大学院で,地質学や古生物学,年代測定法なども(学部共通科目や他学科履修も利用しつつ)学んだので,「恐竜学部」で教えられないこともない。看板が「地学科」では受験生はろくに来なかっただろうが,恐竜のインパクトで集客できた。でも,中身は地学科で,ごく一部が恐竜だろう。
新設学部・学科は,ラーメン屋や焼肉店などが出店しては潰れるのと同じ。ただし,大学の場合には「設置審」という関門はある。それでも「事前調査をした結果,集客できます」と書けば,「じゃあ,やってごらんなさい」と認可される。学部改組のときもそうだった。
私はすでに国立大学を定年退職し,危なっかしい新設大学に応募する気はない。栄枯盛衰を高みの見物といこう。































