充実した教育環境の日大付属高校
日東駒専 vs 金沢大・岡山大・広島大
地方在住高校生です!
日東駒専か?金岡広か?迷ってます。
難易度は同じくらい。
学費は高いけど東京の日東駒専。
学費は安いけど地方の金岡広。
どっちが良いかな。
それはまた、別の問題。
大学への寄付自体は、大切な事柄。
とりわけ私学においては、建学の精神に賛同した有志らが支えてきたとの沿革を有するがゆえに。明治時代に開校した法律学校を出自とする現在の有名各私学においては当時、いかに先人らが苦労して学校を経営してきたのかが学校史(大学史)に描かれている。その多くは経済的問題だが、早稲田(旧東京専門学校)のように、明治政府から露骨な嫌がらせを受けてきたとの例もある。
地方国立の出身です。
随分と昔ですし大学に金が無いと云う印象は有りませんでした。
最新鋭の機器や施設も導入されていましたので。
ただ先生達の研究内容はそれって役に立つのですか?と聞きたくなるものが多かったですね。
国から金を貰って研究するからには社会に還元出来るものでなくてはならないだろうと思っていました。
実際あれから三十数年経ちますが、先生達が当時研究していたものが形になって今使われているかと云えば甚だ疑問です。
殆どは研究のための研究で終わっている印象ですね。
まあ研究などと云うものはそういうものなのかもしれませんが、それにしても歩留まりが悪い。
それでいて教授と名が付けばそれなりの給料をもらうわけです。
好きなことを研究して金を貰えるのだから末は博士か大臣かは本当だなと当時考えていた記憶が有ります。
そりゃ大学も潰れますよ。
素晴らしい研究がどこから出てくるのか誰も予想出来ないのに、何故か選択と集中をしている。
多分、財務省の役人は東大が多いので、地方国立大学(旧帝を除く)を潰したいのでしょう。
確かに地方国立大学の中には、レベルの低い研究をやっている先生もいると思う。
ただ、そういう先生ばかりではなく、素晴らしい先生もいる。
そういう先生に金が回らないのが問題。
以前のように金を分散させれば、とんでもない研究成果が出る可能性はある。今のままだとまずい。
ソクラテス、プラトン、そしてアリストテレスのギリシャの当時から、学問とは知の探究にあったといえる。そこでは、真理の探究(理論知)こそが最上とされ、主に市民が担った。他方で、何かに役立つ実践知は、卑しい階層のなすものとされた。
そして、大学は昔から、そうした学問の研究という精神的活動の中心として重要な地位を占めてきた。それゆえ、そこに実務だの〇〇の役に立つだのといった要請をすること自体、八百屋で魚を求める類のお門違いなのである。ちなみに、わが国でそれは「専門学校」という別の学校種に期待されているものだ。
日本の強みは教育だったし、それで先進国・経済大国になれた。
しかしそれは競争相手が比較的少数の先進国だけだったから可能で、OECD加盟国で日本以上の人的資源(人口)があるのはアメリカだけだった。
しかし、今は新興国のエリート層とも競争しなければならない。
先進国全般に言えるが、世界との競争の中で、諸外国はエリート層や最先端部門に投資していて、嘗ての日本のようには全方面に配布する余裕がなくなっているのではないかと。
国民全体の教育水準は新興国の国内全平均より高いが、イノベーションを生み出すエリート層への傾斜配分はやむを得ない。
「イノベーションは、研究開発費の額とは関係がない。アップル社がマックを開発したとき、米IBM社は少なくとも私たちの100倍の金額を研究開発に投じていた。大事なのは金ではない。抱えている人材を、いかに導いていくか、どれだけ目標を理解しているかが重要だ」(スティーブ・ジョブズ)
他人のドグマを忠実にオツムにトレースしただけの学校秀才にイノベーションは困難だろう。
むしろ、中卒、高卒のオーナー社長の発想や構想力に目を見張るときがある。
確かに地方の国公立大学の研究費がひどく、プリンターのトナーも買えないという状況です。
科研費が取れたらやっと研究ができる状態です。
その研究も工学系でも実験ができないため、論文はパソコンを使ったシュミレーションばかり。
誰かも言っていますが、定員割れをしている私立への補助金をカットすべきでしょう。
また福祉予算も合理的に使えるように見直す必要があります。
病気や障害がある人が生活保護をもらうのは仕方ないですが、ほとんどの人は働いて頂きたいですね。






























