在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
5教科7科目入試は低レベル入試の温床、共通テストは廃止すべき】
5教科7科目入試は、そもそも共通テストを回避する学生が多いため、低レベルな争いになりがちである。
プレイヤーが減れば、当然レベルは下がる。偏差値はむしろ高く出ていると考えた方が妥当。
これを6教科8科目にするなど、もはや暴挙。
国立大学は、科目数を絞って、全体として入試問題のレベルをもっと上げるべき。旧帝レベルでもMARCHより問題が簡単って考えられない。
理系なら、英数理科2科目で受験生の力をはかるには十分。
受験後一瞬で忘却する上、調べた方が詳しいことがわかる社会など、科目として不要。
米国の大学のマネをする必要は全くないと思いますが、わかりませんがそもそも米国のような格差社会故、米国の一部の私立大学は成り立っているのではないでしょうか。
日本では米国人のような多額の寄付できる人たちは多くないでしょうし、また仮に寄付が出来たとしても多額の税金もかかるのでは。職業に貴賎なしを美徳としてきた我が国の文化には合わないような気がします。
過去には、通産省は大学に応用研究を求めていた。実際に、日本人が開発した電子回路は少なく、大半はアメリカ等である。ただ、発明当初、熱に弱いトランジスターをシックスナインと呼ばれる不純物の極めて少ないシリコンウェハーを開発し、トランジスター及びその後の集積回路をリードした。即ち、開発は不得意だが応用が得意な民族です。この点を踏まえて考える必要があると思う。
元々大学は既存の理論を教えるためのもので、そこから先どういう理論や技術を生み出していくかは本人次第。
三人寄れば文殊の知恵とも言うか、専門性の高い理論ほど、寄り集まって研鑽してるからこそ生まれた技術もあるわけで、過去に日本人が開発した技術を全て無かったことにするのもどうかと思うけど。
>元々大学は既存の理論を教えるためのもので、そこから先どういう理論や技術を生み出していくかは本人次第。
大学は教育に加えて研究が大きなミッションです。色々な分野の優秀な人を集めて一箇所に放りこむという事が、新しい研究の助けになるから、大学という箱を作る訳です。本人次第ということはありません。
日本だって江戸時代に優秀な頭脳を送り出した私塾や藩の塾はあった。
近代国家が成立する前に大学となる基は日本にだってあったのだ。欧米ばかりを称えるのは間違いだろう。
大学の管理の在り方やシステムに問題提起しているが、結局のところ煎じ詰めれば”金”の問題なのだ。それも紐付きでない自由な金。
> 元々大学は既存の理論を教えるためのもので、そこから先どういう理論や技術を生み出していくかは本人次第。
既存の理論だけを教えるのなら専門学校でいい。大学は学んだ理論をもとに未知の課題に取り組むことに意義がある。学生にとってその集大成が卒論だから、大学が研究機能をもつのはごく自然なこと。
この投稿は何が言いたいのかさっぱり分からん。
私立大志望なら共テ回避できるし、国立大志望なら低レベルと主張するなら合格しやすくてラッキーだね。
まぁ、どうせ国立大志望なのに共テの勉強が辛すぎて共テアンチになってグチグチさえずってるだけなのだろうな。




































