充実した教育環境の日大付属高校
慶應出身が中央政府の官吏(現在の国家公務員に相当)の多くを東大より占めていた 明治初期 民から官への流れにすべき? 官から民への流れを継続すべき?
1877年に東大が設立されました
1881年まで中央政府の官吏(現在の国家公務員に相当)の多くは慶応義塾の出身者だったが、1878年5月に大久保利通がいなくなり、1881年の政変で大隈重信が追放された後、政府部内の福澤諭吉の影響力が失われて、自由主義的な慶応出身官吏を伊藤博文ら権威主義の薩長藩閥の意向もあって、国権主義的な官吏となるべく高等文官試験を導入したことにより、結果的に同試験で有利な東大卒登用の比率が圧倒的になったという歴史があります。
実は東大の初代総長の渡辺洪基は、慶応出身。 第3代、第8代の濱尾新も。トップの二人も慶応出がいるという、明治初期のころの角逐がよくわかる。
福澤諭吉は従来の日本の門閥制度や官僚主義を良しとせず、欧州において政府から独立した中産階級が国家を牽引し発展させる考えがありました。
しかし当時列強と国際社会で肩を並べる強国をめざすうえで民から官へという流れがありました。
一方戦後一貫して西側諸国に入った日本は官から民へという流れできて、自由競争社会で弱肉強食の世界になってきていると思います
戦前のような民から官への流れにすべきだと思いますか?
それとも今まで同様官から民へで弱肉強食社会で格差を認める社会がいいですか?
そもそも東大生も京大生も官吏・官僚を養成するための機関だったのに世の中の流れから官から民へつまり官僚を目指さず民間企業で高給取りを目指すのは戦前の大学の目的とは乖離していませんか?
明治初期の新政府を支えたのは、主に佐賀藩の面々でした。藩校「弘道館」でスパルタ指導を受けた江藤新平、大隈重信、大木喬任、副島種臣らは、この時代ではまさに最先端の知識層でした。
佐賀藩を題材にした大河ドラマを早く作って欲しいですね。
急に歴史の話を差し込んでいますが、文脈とズレていますね。
佐賀藩が技術系人材を多く出したのは事実。ただ、それは藩政として反射炉や造船などの具体的な技術導入と制度整備があったからで、単に鍋島閑叟の嗜好を持ち出して一般化できる話ではない。
それに薩摩藩との対比も粗い。薩摩は薩摩で集成館事業などを通じて独自の技術基盤を築いているし、後の人材輩出の質も方向も違う。単純な優劣や性格づけで語ると、どちらの実態も見えなくなる。
結局、史実の断片を並べて「それっぽい話」にしているだけで、今の議論との接続がない。話を広げるなら、少なくとも現代の論点とどう結びつくのかまで示さないと意味が薄いです。






























