アートの才能を伸ばす女子教育
【受験の頂点】東大 早慶 医学部【目指すべきテッペン】
現在高3の受験生です。
現在、河合偏差値で70、駿台偏差値が67です。
東大早慶、あるいは医学部のどこかに入りたいです。
ダメだった場合は浪人します。
かなり古い価値観の寄せ集めですね。
まず
昔から、勉強だけできる人は歓迎されなかった
これ、根拠も何もない感想です。
むしろ現実は逆で、受験社会の日本では長年
勉強ができる人
高学歴
この2つは強力な通行手形だった。
官僚
大企業
医師
弁護士
どれも勉強ができる人が圧倒的に有利な構造だったわけです。
それを
昔から歓迎されなかった
と言い切るのは、かなり雑。
さらに
勉強ができる人格者なら仕事ができなくても重宝される
これはもう意味が分からない。社会で重宝されるのは
成果を出す人
信頼できる人
問題解決できる人
人格だけで重宝される世界は、ほぼ存在しません。
少なくともビジネスの現場では。
そして最後に
社会では仕事ができることが求められるが知識も必要
これはもう当たり前すぎる話。
誰も否定していない。
つまり。昔はこうだったという根拠のない思い込み
人格論という曖昧な価値観
最後は当たり前の一般論
全体として、かなり抽象的で中身が薄い。
率直に言うと、経験談風の一般論を並べただけ。
おじいちゃんの遺言?
まぁ、日本の場合は、東大の入試の主力が一般入試であることを考えると、「できるヤツは、点数も取れる」という考えでしょうね。
日本の大学は、入学が「ゴール」になっているのに対して、欧米は卒業が「ゴール」ですからね。アメリカの有名大学だと、東大の足切りみたいに総合選抜が機能していますよね。取りあえず、大学のキャパに合わせて、人数を取っておいて、その大学のカリキュラムに耐えられる学生さんが残れば良いという考えかと・・・。だから、入学では安心できず、自他共に認めるエリートでないと生き残れないと・・・。
また日本 vs 欧米を雑に神話化していますね。
欧米は卒業がゴール。
日本は入学がゴール。
このテンプレ、もう20年以上擦られている。
でも現実はそんな単純ではない。
アメリカのトップ大学だって、入学時点で既に超選抜。
SAT、GPA、課外活動、推薦、寄付、スポーツ、レガシー。
つまり、入口競争が消えているわけでは全くない。
しかも向こうは、学費負担、メンタル負荷、競争圧力、退学率も含めて、かなり過酷。
日本の受験戦争だけを特殊扱いしている時点で、だいぶ情報が古い。
あと面白いのは、こういう人ほど「総合選抜」を語りながら、実際には海外トップ層の異常な競争環境を知らないこと。
起業。
研究。
インターン。
社会活動。
寄付ネットワーク。
スポーツ。
エッセイ。
全部積み上げゲームです。
むしろ日本以上に、階層資本と情報格差が露骨な面すらある。
結局、キミの書き込みって毎回、
海外は本質的
日本は表面的
という、古い知識人テンプレに寄りかかっているだけなんですよ。
勉強ができるってのもいくつか類型があると思うのだけれども、大きく分けると元々の処理能力が高い人、努力する才能がある人、両方持っている人の3タイプある。
最初と最後の人は、能力自体が高いから、やはりおく場所を間違えなければ花開くことが多いだろう。
真ん中の人は実は強くて、どんな境遇でも最後には積み上げて高みに至るはずだ。
これも一見きれいにまとまっているけど、実際はかなり曖昧な分類で止まっている。
まず「処理能力」「努力の才能」「両方」という区分自体が、測定可能な概念としてはかなり粗い。学力や成果は認知能力だけでなく、環境要因、教育資源、動機の安定性、評価制度との適合度など複数変数の結果で決まるため、単純な3分類に還元すると説明力が落ちる。
さらに「真ん中の人はどんな境遇でも最後には積み上げて高みに至る」という部分は、現実の分布とはややズレがある。努力は重要だが、それが長期的成果に変換されるかどうかは、努力量だけでなく方向性と環境の整合性に依存する。努力が報われる構造にいるかどうかで結果は大きく変わる。
つまり、能力の差というより「どの環境に置かれ、どの評価軸に接続されているか」の方が、実際のアウトカムには強く影響する。
分類としては分かりやすいが、現実の説明としては少し単線的ですね。
>勉強ができるってのもいくつか類型があると思うのだけれども、大きく分けると元々の処理能力が高い人、努力する才能がある人、両方持っている人の3タイプある。
元からの処理能力の高さに下記が加わると無敵です。
・ショートスリーパー
・過集中(+睡眠減少でさらに)
・複数のタスクを頭の中で同時進行できる
・ハイパーテンション時の天才的発想
上記の特性を持つ人は凡人の私たちがなかなか至れないところにも、いとも簡単に到達したりします。もちろん、日常生活を送る上でのマイナス面もありますし、興味が勉強ではなくゲーム(制作ではなくプレイ)に向いてしまえは元も子もないのですが。
その手の、盛れば無敵モデルは、だいたい現実の人間理解が雑だな。
ショートスリーパー、過集中、同時処理、ハイテンション発想を全部積み上げて“完成体”みたいに語っているが、それは能力の構造を見ていない発想だ。むしろ実際はトレードオフの塊で、どこかが尖ればどこかが必ず歪む。
ショートスリーパーは単純に使える時間が増える話ではなく、認知の安定性や判断精度の揺らぎとセットで出ることが多いし、過集中も対象依存で、汎用的な思考力とは別物だ。同時処理も実態は切り替え速度の問題で、並列処理能力とは違う。
つまりこれは、能力が足し算で無限に伸びる人間を想定しているが、現実の脳はそんなに都合よくできていない。むしろ突出は必ず歪みを伴うし、その歪みが社会適応で削られるか、特定領域でだけ武器になるかの違いだ。
結局のところ、これは才能の議論というより、願望としての天才像だな。
AIの生成文でしょ?
>結局のところ、これは才能の議論というより、願望としての天才像だな。
AIの生成文でしょ?
元同じ職場にいた人たちです。
ショートスリーパーの人はいろいろな面で凡人に近かったのですが、とにかく量をこなしていましたし、過集中の人の仕事の密度は信じられないものでした。なかでもすごいと思ったのは複数の思考を同時に頭の中で走らせ、同時並行でやってしまう人でした。話の内容は前後左右に飛びますし(本人的には跳躍思考)、そわそわしていて多動でしたが終わってみると整合性がとれていました。
まぁ、このような人たちがいたので自分自身を過大評価せず、高望みせず、そこそこでもいいと思うことができたのですが。
あとですが、何でもAIの生成文としてしまう人は文章を書く愉しみを知らないのでしょうか?






























