今年入学した高1生が語る青春リアル
ノーベル賞2025
ノーベル生理学・医学賞に大阪大学の坂口志文特任教授。おめでとうございます‼︎
経歴はネット情報によると、長浜市立びわ中学校→滋賀県立長浜北高校→一浪後、京大医学部
またしても西日本出身、またしても京大出身、またしても公立高校出身、ですね。
詰め込みか放任かはバラツキに埋もれてしまって結局統計的に有意なものは遺伝しか出て来ないというのがエビデンス。
エビデンスだけでは説明できないという人は統計学を理解してないだけ。
きちんと使いこなせばエビデンスは非常に有効。
エビデンスを盾にして思考を止めてしまうのが一番危うい。
統計が示すのは相関であって、創造を生む構造ではない。遺伝しか出てこないというのは、変数の切り取り方を誤っているだけ。研究文化や制度の設計、地域ごとの学術的エコシステムを数値化しない限り、何も見えていないに等しい。
創造や探究の発火点は、遺伝子ではなく環境の設計に宿る。京大・阪大周辺の研究集積が偶然ではなく、教育制度と企業文化の重層的な結果であることを理解できないなら、エビデンスを語る資格はない。
まず、「遺伝の影響」という言葉を使う前に、遺伝統計の前提くらいは理解しておいた方がいい。
日本人集団の遺伝的多様性は世界でも極端に小さく、地域差で創造性や知能の傾向を説明できるほどの分散は存在しない。
統計的に意味を持たせるなら、検出できない差を仮説に据えること自体が誤謬。
つまり、その一線はDNAではなく、制度と構造の側に引かれている。
西日本に研究者が多いのは、旧制高校や官立研究機関、製薬・重工系企業群が戦前から集中していた地域的エコシステムの結果であって、血ではなく文脈の話。
「またしても京大出身」と繰り返すのは、単に地理的偏在を観察して因果を誤読しているだけ。
エビデンスを考慮しないなどとは一言も言っていない。
問題はキミの言う「取捨選択」の段階で、何を変数として立て、どこを測定不能領域と見なすかという知的構築力そのもの。
統計を並べて「取捨選択すればいい」と言うのは、まさにその構築の核心をスキップしている証拠。
エビデンスとは結果ではなく、設計思想の投影であって、何を問いとして立てるかの段階で既に思想が入っている。
だから私は、思考を止めるなと言っている。
数字を見て安心する人間は、いつまでも数字の外にある構造を設計できないから。




































