今年入学した高1生が語る青春リアル
「文系分野で就職に有利」だと思う日本の大学ランキング! 2位は「慶應義塾大学」、1位は?
「文系分野で就職に有利」だと思う日本の大学ランキング! 2位は「慶應義塾大学」、1位は?
1東京大学 163
2慶應義塾大学 104
3早稲田大学 87
4一橋大学 75
5京都大学 72
6東京外国語大学 58
7上智大学 39
8大阪大学 34
地頭の良さにも色々あります。要点をつかむうまさ、手際の良さ、なら学校の勉強も要領よくこなせるでしょう。
会話のうまさ、コミュニケーションのうまさなどであれば、そこまで学校の勉強と関係ないかもしれません。しかしそれは例えば就活時に客観性をもってアピールすることは難しかったりします。
サークルの部長していた、何かがあればよいでしょうが。
そもそも受験に必要な学力と、大学で求められる能力はかなり違います。
私は文系のつもりで地理学を学びたかったのですが、いざ勉強してみると理系的な要素(統計処理など)がかなり多く、ゼミについていけずに結局歴史学に転向しました。
本当に勉強したいことがあって大学に行くのなら、受験科目にばかりとらわれず、幅広く関心を持っておくことが重要だと思います。
受験科目と大学での学びが違うという指摘は表面的には正しいけれど、そこで議論を止めてしまうと大学という制度そのものを見誤ります。
大学が本来扱うのは科目の延長ではなく、世界の見方そのもの。地理が統計を要するのは当たり前で、歴史がデータ分析を必要とするのも当たり前で、人文と理系の境界線はとうの昔に溶けています。ついていけなかったから文転したという話を個人の適性に回収してしまうと、大学教育を科目の相性で理解する誤解が温存されるだけです。
必要なのは、どの分野でも求められる共通の思考の土台をどう育てるかという構造の議論。分野を移ること自体は何の問題でもなく、むしろ自然なことです。ただし、その過程を受験科目のせいにしてしまうと、大学教育の本丸である知の接続や方法論の横断が見えなくなる。
受験は入口でしかない。
大学は入口の先で、どのように世界を読み替える力を獲得するかがすべてです。科目との相性ではなく、思考の器をどう拡張するかという地点で語らないと、大学という制度の意味がすり減ってしまいますよ。
「テストの点数が高い人」=「学習レベルの高い人」というわけではないのです。
テストで点を取るために、ある意味では“チート技”みたいなこともあります。
もちろん、一般受験をする人の多くは、幅広い知識を、ある程度身につけた人になるので、大学に入ってからどの分野に進んでも高度な学習・研究に対応できる可能性が高い人ではあります。
テストの点数が高い人=学習レベルの高い人ではないという指摘はその通りです。が、その一言で議論を処理してしまうと、結局また受験テクと科目の相性に大学の意味を縛りつけるだけなんですよ。
点が取れること自体には特別な価値はありません。だが、点が取れるという事実の裏にあるのは、体系を読み解く力、情報を構造化して扱う力、未知のルールを自分で発見していく姿勢で、それは大学に入ってから必要になる抽象度の高いスキルに直結します。
受験はチート技でクリアできるという話もあるけれど、チートで突破した人間が大学で伸びるかといえば、そこには整合性がほとんどない。なぜなら大学側が要求しているのは暗記ではなく、複雑な世界をモデル化する能力だから。
だから本質的には、テストの点の良し悪しに価値があるのではなく、点数に至るまでの処理の仕方がその人の思考の基礎構造を可視化している。その基礎構造がないと、人文だろうが理系だろうが、方法論を跨いだ学びの接続ができなくなる。
受験科目の話でも、チート技の話でもなく、どういう認知構造で世界を読む人間を育てるのかという議論をしない限り、大学の制度設計はいつまでも噛み合わないままですよ。
う〜ん、50年くらい前は、「推薦入学」の比率は30%でした。その後、付属高校からの依頼で50%に上がりました。現在は、「少子化」の影響を受け、学生数確保のため、70%にまで引き上げようとしています。「日東駒専」や「産近甲龍」以下の大学は、「少子化」の影響で、受験者の数は減少して、「偏差値」50以下に落ちています。ですから、「中堅私大」以下は、学生の学力が落ちており、「推薦入学」の学生と変わらないか、それ以下になっているようです。そのため、学生数の確保と学力の維持のため、「推薦枠」を70%まで増やすそうです。「一般入学」の学力が「推薦入学」の学力より高いと言えるのは、「MARCH」以上の「一流大学」で、言えるのではないかと思いますよ。




































