在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
りり先生炎上に見る保険診療の閉塞
人気Youtuber藤白りり先生の復帰、直美宣言が炎上してますが、りり先生の主張は正論という声も。りり先生の直美理由としては、
①完治しない高齢者医療はいたちごっこ
②自己責任の生活習慣病患者がイヤ
③科学大の自分と底辺私大が同じなのがイヤ
④頑張る人を応援したい(美容整形が?)
ということで、訳わからん理由ももっともな理由も。
また、直美で技術が未熟な医師に将来性はないという意見もあります。
また、科学大と底辺私立医の差がないという点については、私は疑問で、科学大医師が明るくないのは事実にしても底辺私立医はもっとキツいだろうと。
医学部志望者があまり知らないのは、研修が終わったら皆にキラキラ医の未来が開けてるような印象がデタラメで、本当は終わりのない地方での過酷な勤務なのになと。
まあ、レジデントの後、希望の病院にスタッフで入れる道はほぼなく、スタッフのポジションにありつけるのは医局所属者のみ。(地方)また、弱小医大の医局には大したポジションないので、底辺私立医出身だと、東大や慶應医局のソルジャーになるとか過酷な人生が待ってますよね?まあ、それでも底辺私立医の医局に属したり、フリーランスよりはかなりましですが。
また?
よほどクリティカルだったのかな?
再度繰り返しになりますが、残念ながら医療の構造変化をかなり単純化しすぎていますね。
まず、「AIで無人化」「医師を増やして年収を下げる」という発想自体が、AIが医療に与える影響の本質を取り違えています。
AIがもたらすのは、医師の不要化ではなく、医療の構造変化です。
すでに起き始めているのは、診断の民主化です。
スマートウォッチのECG
持続血糖モニタ
在宅睡眠検査
皮膚画像AI診断
こうした技術により、診断の入口は病院の外へ移動しつつある。
つまり、AIは医療を無人化するのではなく、医療の役割を変える方向に働いています。
診断は個人側へ
医療機関は確認と介入へ
この構造変化です。
さらにAIは、医師の経験差を縮める方向に働きます。
画像診断、ロボット手術、意思決定支援。
これらは若手でも一定水準の医療を可能にする技術です。
しかし、だからといって医師が不要になるわけではありません。
むしろ逆です。
技術が標準化されるほど、
意思決定
責任
コミュニケーション
といった人間の役割の比重が上がる。
これは航空、設計、ITなどあらゆる分野で起きている変化です。
AIは「下限を上げる」が「上限を消さない」。
医療も同じです。
また、医学部定員を増やせば解決という発想も単純です。
司法試験合格者増加の例を見れば明らかでしょう。
人数を増やすほど、症例経験は分散し、教育の質はばらつく。
医療は実地経験に依存する職種です。
単純な人数増加は、むしろ質の低下を招く可能性がある。
さらに「医師の独占業務を開放」という議論も、すでに一定程度進んでいます。
タスクシフト、特定行為研修。
それでも完全に開放できない理由は、最終責任の問題です。
診断ミス
副作用
手術判断
この責任を誰が負うのか。
AIも看護師も薬剤師も、制度上その責任主体にはなっていません。
ここを無視した業務開放は、単に責任の空白を生むだけです。
また、医師年収を下げれば人材が他産業に流れるという発想も短絡的です。
実際に起きるのは
海外流出
自由診療への移行
都市部集中
です。
つまり、むしろ保険診療の担い手が減り、地方医療が弱体化する。
これは既に起き始めている現象です。
さらに見落とされているのが、AI時代の医療の二極化です。
AIで高度に標準化される生命維持医療
人間の感性や価値観が重要なQOL医療
この二つに分かれていく可能性が高い。
実際、予防医療、アンチエイジング、美容医療などはすでに拡大しています。
AIが命を守る医療を効率化するほど、人間の医師は
価値観
審美
意思決定
といった領域へ比重を移していく。
つまりAIは医師を不要にするのではなく、医師の役割を変える技術です。
「AI不可逆だから医師を減らす」というのは、技術変化を単純な人員削減の話に矮小化しているに過ぎません。
むしろ現実には
医療の高度化
責任の高度化
意思決定の高度化
が同時に進みます。
医療は単なるコストではなく、社会インフラです。
質の低下は労働力低下や社会保障費増大に直結する。
医療を単純な市場原理で解体すれば、むしろマクロ経済にマイナスです。
威勢の良い改革論に見えますが、
AIがもたらす構造変化を理解せず、
医師増やす
規制緩和する
年収下げる
というスローガンを並べただけに見えますね。
AI時代の医療は無人化ではなく、役割の再定義です。
そこを見誤ると、効率化ではなく単なる劣化になります。
威勢はいいですが、内容が空論を通り越して医療の質と責任を完全に無視した暴論に過ぎないね。
司法試験合格者を激増させた結果、法曹界がどうなったかをご存知ないのでしょうかね。
単に数が増えれば市場原理で質が上がるどころか、本質的なプロフェッショナリズムが摩耗し、結果として安かろう悪かろうのサービスで国民が不利益を被るケースが拡大しただけです。
医療は、その質の低下がそのまま死や生涯消えない機能障害に直結する世界。そこを公務員並みの報酬で、AIの指示に従うだけの「作業員」に変えようという発想は、あまりに浅はかと言わざるを得ない。
私が形成外科の例で述べたように、医療の本質は、AIが導き出す平均値ではなく、目の前の患者の人生をどう再建するかという極めて高度でオーダーメイドな意思決定の連続にある。
AIは診断の民主化を助ける強力なツールにはなりますが、複雑な再建の設計や、患者の価値観に深く入り込む対話、そして何よりその結果に対する「責任」までを肩代わりしてくれるわけではありません。
「重課金ガリ勉」と揶揄されていますが、私たちがその過酷な過程で培うのは、単なる知識の丸暗記ではなく、命や人生という不確実なものに向き合い続けるための強靭な精神力と倫理観。
そこを削ぎ落として人員を他セクターに回せば経済が回復するという論理も、あまりに短絡的。健康という究極のインフラを、質の低い医療で毀損することこそが、マクロ経済にとって最大の損失になるという視点が完全に抜け落ちている。
守旧派の利権構造と叩くのは簡単ですが、その構造が最低限守ってきたのは、世界に類を見ない日本の医療アクセスの良さと、高い専門性への志だった筈。
それをAIという言葉で粉飾し、責任の所在を曖昧にしたまま解体した先に待っているのは、誰も責任を取らない、ただ処理されるだけの荒廃した医療現場でしょうね。
追記になりますが、医師の所得を下げればすべてが解決するという短絡的な思考への反論として、キューバの例を挙げておきます。
キューバは医師の所得が平均以下で、観光客のチップを稼ぐタクシードライバーにすら負ける状況にありながら、世界トップクラスの医療水準と健康寿命を維持している稀有な例です。
しかし、それが成立しているのは、国を挙げた徹底的な教育と、徹底した予防医学への国家資源投入、そして何より医師としての高い使命感という、あなたの最も嫌うであろう精神論と強固な国家管理の賜物です。
あなたが主張するような「市場の開放」や「自己責任のAI診療」といった、個人の利得を最大化する資本主義的なロジックとは、真逆の極北にあるシステムによって支えられている。
コストだけを社会主義国並みに下げ、運営は市場放任の勝手次第に、などという都合の良い「いいとこ取り」が通用するほど、医療の現場は甘いものではありませんよ。
またmargauxが明後日な長文を垂れ流しているが、本質的には医局の支配力を弱めて、地域医療や研究に支障が出てくれば、医局の支配力が強化される動きは出てくる。
人は易きに流れるのが必定で、教授なり医局長が鞭をふるわないと示しがつかないからね。直美やらゆるふわが通用したら、組織が維持できないから、反社や宗教と同じで抜け忍は徹底的に追い込むよ
保険診療の医師は、ある意味、社会的共通資本の1つと考える方がフィットする。
診療報酬や医学部定員の決定にはもっと国民が関与できるようにすればよい。
美容医師は、歯科医と同じように求められる資質が違うため異なる免許制度にする必要が有ると思う。
一見バランスを取ったように見えますが、やや概念的で現実の運用を考えると成立しにくい議論ですね。
まず「保険診療の医師は社会的共通資本」という点。これは概念としては理解できる。
しかし、だから「国民が診療報酬や医学部定員にもっと関与すべき」というのは、少し危うい発想ですね。
なぜなら、医療は高度な専門性を前提に設計されるべき領域だからです。
ex.
航空機の安全基準
原子力規制
薬剤承認
これらを国民の意向で決めると、短期的なコスト志向に流れやすい。医療も同様。
医師増やせ
報酬下げろ
負担減らせ
という方向に世論は動きやすい。しかし、その結果として
地方医療崩壊
専門医不足
医療の質低下
が起きる可能性がある。つまり「社会的共通資本」であるがゆえに、むしろ短期的な政治圧力から一定程度独立した設計が必要になります。
次に、「美容医師は別免許に」という点。
これも直感的には理解できますが、実際にはかなり難しい。理由は単純。
美容医療は完全に独立した領域ではないからです。
例えば
皮膚腫瘍の切除
瘢痕修正
眼瞼下垂
再建外科
これらは
治療
機能改善
審美
が連続的につながっている領域です。ここで免許を分けると、境界が極めて曖昧になる。
更に重要なのは、むしろ逆の現象が起きている点です。AIや診断技術の進歩により
生命維持医療
QOL医療
審美医療
この境界がむしろ連続化しつつある。ex.
再生医療
機能的形成外科
アンチエイジング
これらは既に治療と美容の中間領域です。つまり、今後は分離よりも統合の方向に進む可能性の方が高い。
また、歯科との比較もやや不正確です。歯科は最初から独立した教育体系、独立した国家資格、独立した医療体系として設計されている。
美容医療は、外科・皮膚科・形成外科など既存医学の上に成立している領域です。後から別免許にするのは制度的にも現実的にも難しい。
寧ろ問題の本質は免許ではなく
トレーニング
症例経験
指導体制
こうした質の担保の仕組みです。
免許を分けても、教育や経験が伴わなければ意味がありません。一見穏当な提案ですが、実際の医療構造を考えると、
国民関与の拡大 → 短期志向のリスク
美容別免許 → 境界不明確で制度困難
という問題が残ります。
方向性としては理解できますが、やや理念先行で実装の難しさを軽視している印象ですね。
社会的共通資本は、社会全体で管理すべき自然環境、インフラ、制度(教育・医療等)。
誰もがアクセスできる「共通の財産」として国民により維持・管理されるべきもの。
であれば診療報酬や医師の必要人数などは、国民が判断できる材料を共有した上で、国民の関与を高めていくべきということ。
(高度に専門的だから国民には分からないはず、という発想は、保険会社が溜め込む費差益や利差益と同じ構想。)
そして、美容医療が、外科・皮膚科・形成外科など既存医学の上に成立している領域だとしても、その美容医療に特化した学部や免許制度を作るべき。なぜなら保険診療の医師とは社会的位置付けが異なるため、国庫負担のあり方が違うから。
概念としてはもっともらしく聞こえますが、やはりいくつか根本的な誤解がありますね。重複部分もありますが。再度。
まず「社会的共通資本だから国民が判断すべき」という点。ここが論理として飛躍している。
社会的共通資本であることと、国民が直接判断すべきことは別です。例えば
電力インフラ
航空安全
感染症対策
これらも社会的共通資本ですが、
発電所の安全基準
航空機の整備基準
ワクチン承認
を国民投票で決めるべき、とは通常考えません。
なぜって、短期的なコスト志向や感情に左右されると、安全性や長期的持続性が損なわれるリスクがあるからです。寧ろ社会的共通資本である程、専門家による設計と、透明性ある説明責任の両立が求められる。
「専門的だから国民に分からないという発想は危険」という指摘は一理ありますが、だからといって専門的判断を国民に委ねるというのは別の極論でしかない。透明性の向上と、意思決定主体の変更は別の話。
更に、保険会社の費差益・利差益の話を持ち出していますが?これは比較としても適切ではありません。
保険会社は営利企業
医療制度は公的制度
前提が全く異なります。ここを同列に扱うのは、あまりに雑。
次に「美容医療に特化した学部・免許制度」という点。これも一見合理的に見えますが、現実にはかなり難しい。理由は、美容と治療の境界が連続しているからです。
例えば
眼瞼下垂
瘢痕修正
乳房再建
顔面神経麻痺
これらは
機能改善
心理改善
審美改善
が同時に含まれる領域です。ここで「美容免許」と「医療免許」を分けると、どこからが美容で、どこからが治療かという線引きが極めて困難になる。更に、将来はこの境界がさらに曖昧になります。何故なら
再生医療
アンチエイジング
機能改善医療
が劇的に進化していくだろうから。これらは既に美容と医療の中間領域。つまり、制度としては分離よりも統合の方向に進む方が自然。
「国庫負担が違うから免許を分けるべき」という点も、逆。現在でも
保険診療
自由診療
は制度として既に分かれている。同じ医師が
保険診療を行う場合
自由診療を行う場合
でルールが変わる仕組みです。つまり、免許を分けなくても制度上の区分は既に存在しています。
寧ろ免許を分けると
人材の流動性低下
教育の分断
医療の柔軟性低下
といった問題が生じる可能性がある。
一見「社会的共通資本」という概念を用いた整理に見えるけれど、
社会的共通資本
→ 国民が直接判断
美容医療
→ 別免許
という結論は、やはり制度設計としては短絡的と言わざるを得ない。
理念としては理解できなくないが、実際の医療構造や将来の技術変化を考えると、現実との乖離が大き過ぎる。




































