女子美の中高大連携授業
りり先生炎上に見る保険診療の閉塞
人気Youtuber藤白りり先生の復帰、直美宣言が炎上してますが、りり先生の主張は正論という声も。りり先生の直美理由としては、
①完治しない高齢者医療はいたちごっこ
②自己責任の生活習慣病患者がイヤ
③科学大の自分と底辺私大が同じなのがイヤ
④頑張る人を応援したい(美容整形が?)
ということで、訳わからん理由ももっともな理由も。
また、直美で技術が未熟な医師に将来性はないという意見もあります。
また、科学大と底辺私立医の差がないという点については、私は疑問で、科学大医師が明るくないのは事実にしても底辺私立医はもっとキツいだろうと。
医学部志望者があまり知らないのは、研修が終わったら皆にキラキラ医の未来が開けてるような印象がデタラメで、本当は終わりのない地方での過酷な勤務なのになと。
まあ、レジデントの後、希望の病院にスタッフで入れる道はほぼなく、スタッフのポジションにありつけるのは医局所属者のみ。(地方)また、弱小医大の医局には大したポジションないので、底辺私立医出身だと、東大や慶應医局のソルジャーになるとか過酷な人生が待ってますよね?まあ、それでも底辺私立医の医局に属したり、フリーランスよりはかなりましですが。
直美の問題は現在の医療制度の歪みの投影。
保険診療の医師と美容外科の医師は社会的位置付けが異なるため、大学学科から免許制度、国庫負担を分けていくべきと言っている。
それに対して医療制度は複雑で難しいし、保険診療と美容外科の境界なんてないから現状維持しかできないんですよ、というのが貴方の長文回答。
要は、医療制度の歪みをどう改善したいのか、その方針が重要。
論点をまたすり替えている。
誰も現状維持と言っていない。
制度設計の現実性を指摘しているだけだ。
そもそも保険診療医と美容医で社会的位置付けが異なるという前提が恣意的だ。
救急をやりながら美容も行う医師もいる。
形成外科で再建をやりながら自由診療も行う医師もいる。
現実の医療は既に連続している。
だから免許制度で切り分ける発想自体が机上の空論になる。
更に大学学科から分けるという発想も非現実的だ。
美容医療で使う技術は形成外科、外科、皮膚科、麻酔科の基礎の上に成立している。
つまり一般医療の訓練を前提としなければ成立しない領域だ。
独立した教育体系を作るほどの独自性はない。
寧ろ問題の本質は直美が増える構造にある。
労働環境、訴訟リスク、拘束時間、報酬バランス。
これらが歪んでいるから人材が流れる。
免許制度を変えても流れは止まらない。
制度の歪みを改善するなら、
過酷な領域の待遇改善
勤務環境の正常化
リスクと報酬の再設計
こちらが本筋になる。
免許を分ければ解決するというのは単純化に過ぎない。
医療制度は資格区分ではなく、人材の流れで動いている。
そこを理解していない議論は、理念としては分かりやすいが、制度としては成立しない。
そもそも論として、キミは医療現場とも医学教育とも無縁の素人だろう。
納税者として発言しているにしても、制度設計を語るなら最低限の構造理解は必要になる。
医療は単なる資格ビジネスではない。
長期訓練、専門性、責任、リスクを前提とした高度専門職だ。
美容医療も同様に、麻酔、感染管理、合併症対応など医療の中核技術の上に成立している。
これを専門学校資格に切り出すという発想自体、医療の実態を理解していない証拠になる。
更に言えば、直美が増えているのは制度の歪みというより、合理的な人材移動の結果だ。
過酷な領域から負担の軽い領域へ人が動くのは、どの専門職でも起きる。
つまり問題は免許制度ではなく、過酷な領域の構造にある。
ここに手を付けずに資格を分けても、人材は別の形で流れるだけになる。
寧ろ安全性が下がる可能性すらある。
専門学校資格で侵襲医療を担わせるなら、国家としての責任の所在も曖昧になる。
理念として線を引くのは簡単だが、制度は理念では動かない。
医療制度は現場の連続性と人材の流動性の上に成立している。
その前提を無視した議論は、分かりやすいが、現実には機能しない。
そこが決定的にズレている。
私はそもそも直美を問題視していない。
直美は制度の歪みというより、人材の合理的な選択の結果に過ぎない。
過酷な勤務、長時間拘束、高い訴訟リスク。
それに対して自由診療は比較的コントロール可能な労働環境。
人が流れるのは当然の現象だ。
むしろ正常な市場の動きに近い。
つまりキミの前提である直美は問題という認識自体が成立していない。
問題が成立していない以上、免許分離という解決策も不要になる。
更に言えば、直美を規制するという発想は、職業選択の自由にも抵触する。
医師だけ特定領域への進路を制限する合理性は乏しい。
寧ろ重要なのは、どの領域に進んでも一定の質と安全性が担保される制度設計だ。
これは免許を分ける方向ではなく、教育や研修の整備で対応すべき問題になる。
そもそも私は現状維持を主張しているわけでもない。
直美を問題とする前提そのものに疑義があると言っている。
前提が違う以上、キミの求める代替策という問い自体が成立していない。
そこが決定的にズレている。
私はそもそも直美を問題視していない。
直美は制度の歪みというより、人材の合理的な選択の結果に過ぎない。
過酷な勤務、長時間拘束、高い訴訟リスク。
それに対して自由診療は比較的コントロール可能な労働環境。
人が流れるのは当然の現象だ。
むしろ正常な市場の動きに近い。
つまりキミの前提である直美は問題という認識自体が成立していない。
問題が成立していない以上、免許分離という解決策も不要になる。
更に言えば、直美を規制するという発想は、職業選択の自由にも抵触する。
医師だけ特定領域への進路を制限する合理性は乏しい。
寧ろ重要なのは、どの領域に進んでも一定の質と安全性が担保される制度設計だ。
これは免許を分ける方向ではなく、教育や研修の整備で対応すべき問題になる。
そもそも私は現状維持を主張しているわけでもない。直美を問題とする前提そのものに疑義があると言っている。
前提が違う以上、キミの求める代替策という問い自体が成立していない。
埋れてしまったので再掲。
私は直美に何の危惧も持っていません。
形成外科に進むかどうか、医学生の頃に一度は迷う人は少なくないと思います。私自身もその一人でした。
最終的には家業の脳外科に進みましたが、今振り返ると、形成外科という分野は、医療の中でも極めて独特で、そして志の高い人間が自然に集まる領域だと感じています。
だからこそ、若手が美容に流れて形成外科が衰退するのではないかという心配は、あまり必要ないのではないかと思っています。
形成外科という診療科は、一般の人には意外に知られていません。
整形外科との違いすら曖昧な人も多い。
整形外科が骨や関節、筋肉といった運動器の機能改善を扱うのに対して、形成外科が扱うのは体表面です。
皮膚、皮下組織、顔面骨、軟部組織。
怪我の縫合、やけど、顔面外傷、皮膚腫瘍、ケロイド、先天異常、小耳症、口唇裂、乳房再建、眼瞼下垂。
さらに、糖尿病性足壊疽やがん切除後の再建など、他科と連携して機能と形態の回復を担う。
命を救う医療のあとに、人生を取り戻す医療を担う科と言っていいかもしれません。
実際、形成外科の特徴は、単独で完結しない点にあります。
乳がんの術後は乳腺外科と連携し、頭頸部がんでは耳鼻咽喉科や口腔外科と協働し、糖尿病性足病変では循環器や血管外科と協力する。
形成外科医は、常に他科の治療の「その先」を担う存在です。
切除の後に残る欠損をどう再建するか。
見た目と機能の両方を回復させるにはどうするか。
これは単純な外科手技とは別の思考を要求されます。
例えば顔面の傷一つでも、シワの方向に沿って切開線を設計する。
皮膚の緊張線を考慮して縫合する。
必要なら皮弁を設計し、局所皮弁、遊離皮弁、血管吻合まで行う。
患者ごとに術式が異なる。
完全にオーダーメイドの外科です。
顎が小さく呼吸障害を起こす先天異常では、骨を切って延長器を装着し、毎日ミリ単位で骨を延長していく。
頭蓋骨変形では、頭蓋骨を分割して徐々に拡張する。
こうした手術は、単に切って縫う外科とはまったく異なる発想です。
失ったものを取り除くのではなく、作り直す外科。
形成外科の本質はそこにあります。
形成外科が比較的新しい診療科という点も興味深いところです。
日本で学会が設立されたのは1960年頃。
まだ60年程度の歴史しかありません。
しかし技術自体は非常に古く、紀元前600年のインドでは、額の皮膚を使って鼻を再建する手術がすでに行われていた記録が残っています(形成外科の教科書にも、当時の書物のイラストが載ってます!私も見て感動しました)
つまり形成外科は、最も新しい概念でありながら、最も古い外科技術を受け継いでいる分野でもあります。
さらに形成外科は、美容外科とも密接に関係しています。
技術の根幹は同じです。
違いは目的だけ。
美容外科は、より美しくする医療。
形成外科は、正常に戻す医療。
怪我や病気、先天異常によって失われた形態や機能を回復させる。
生活の質、すなわちQOLを改善する。
ここに強い使命感を感じる医師が、この分野に進みます。
実際、形成外科を志す理由として多いのは、命を救うだけではなく、その後の人生を支えたいという動機です。
小耳症の子供に耳を作る手術を見て感動し、この道を志したという形成外科医の話は象徴的です。
取る外科ではなく、作る外科。
これは医師にとって非常に魅力的な領域です。
また、形成外科医は専門医の数が少ないため、一人で幅広い技術を身につける必要があります。
縫合技術、皮弁設計、マイクロサージャリー、再建外科、先天異常。
自然と志向性の高い医師が残る構造になっています。
こうした特徴を考えると、美容志向の医師が増えたとしても、形成外科に進む人材が枯渇するとは考えにくい。
むしろ、この分野に魅力を感じる人は、放っておいても進んでいく。
私自身、形成外科に進むか迷った経験がありますが、最終的に別の道に進んだ今でも、この分野に進んだ同期や後輩を見ると、やはり強い志を持った人間が多いと感じます。
命を救う医療はもちろん重要です。
しかし、救われた命がその後どう生きるか。
その部分に真正面から向き合うのが形成外科です。
美容医療の拡大で形成外科が弱体化するのではないかという議論もありますが、実際には、この領域の魅力は非常に本質的です。
人間の形を取り戻す。
普通に生きられるようにする。
患者の人生そのものを回復させる。
こうした医療に惹かれる医学生は、今後も必ず一定数存在し続けるでしょう。
だから、過度な心配は不要だと思っています。
形成外科は、志のある人間が自然に集まる診療科です。
中間まとめです。
りり先生の発言が炎上している背景には、保険診療の現場にある閉塞感や疲弊があることは、確かに否定できません。
高齢化の進行、慢性疾患の増加、診療報酬の抑制。
どの科にいても、こうした構造的な圧力は確実に強まっています。
だから、若手医師が別の道を模索すること自体は、特別なことではありません。寧ろ自然な動きです。
ただ、このスレッドで見られる議論は、やや単純化されすぎている印象があります。
直美を選ぶ医師が増える
↓
保険診療が崩壊する
↓
優秀な人材がいなくなる
こうした直線的な構図ですが、実際の医療はそこまで単純ではありません。
診療科ごとに志向性は大きく異なります。私が挙げた形成外科の例が象徴的です。
形成外科は、美容と技術的に近接しているにもかかわらず、志を持って再建外科に進む医師は今も一定数存在します。
命を救う医療のその先、人生を取り戻す医療に魅力を感じる人材は、時代が変わっても必ず現れる。
これは形成外科に限った話ではありません。
救急、私のいる脳外科、心臓外科、小児科、産科。
負荷が大きい領域でも、志を持って進む人は常に一定数存在してきました。
医療は報酬だけで成立している世界ではありません。
専門性への興味、技術への憧れ、使命感。
こうした動機が、現実には非常に大きな力を持っています。
医局制度についても、単純に閉塞と捉えるのはやや一面的です。
確かに、若手にとっては拘束が強く、希望通りのキャリアを描きにくい側面があります。
しかし一方で、地方医療を支え、専門医を育成し、研究を維持してきたのも医局なのです。
自由度と安定性はトレードオフです。
直美を選ぶ医師が増えるのも、そのバランスの変化の一部に過ぎません。
更に言えば、直美に進んだ医師が将来性を失うかどうかも、一概には言えません。
美容医療の市場は拡大を続けており、そこで専門性を磨くキャリアも現実に存在します。
つまり、直美か保険診療かという二項対立で語るよりも、医療の多様化として捉える方が実態に近いのではないでしょうか。
りり先生の発言は、保険診療の現場の疲弊を象徴するものとして注目されたのだと思います。
しかし、それをもって医療全体の将来を悲観する必要はない。
実際には、志で動く人、自由を求める人、研究に進む人、経営志向の人。
様々な価値観の医師が存在し、それが医療のバランスを保っています。
医療は昔から常に変化してきました。
医局制度の変化も、診療報酬の変化も、専門医制度の変化も、その延長線上にあります。
だから今回の議論も、医療崩壊の前兆というよりは、キャリアの多様化が可視化された現象と見る方が、実態に近いのではないかと思います。




































