アートの才能を伸ばす女子教育
就活での大学格差
高校生の子どもを持つ親です。
就職活動を終えたお子さんを持つ知人から、
売り手市場と言われる昨今でも、
大手企業の総合職をめざす文系男子の就職は、かなり厳しいと聞きました。
知人の話では、試験会場を東大・一橋・早慶とそれ以外の大学で
分けている企業もあるそうです。
受験生が、分けている理由を採用担当の方に聞いた所、
「18歳時の努力の差です!」との答えだったそうです。
企業名は聞いていないので真偽の程は分かりませんが、
そんなに大学によって格差があるものでしょうか。
『日中米ソ』平和同盟を提唱し、米軍の日本に対する間接統治費用を少なくてもらわないと日本の再建はできない、いまのままでは、食うや食わずの奴隷と同じだと主張し、費用削減の実現後、GHQに公職追放された『自民党総裁石橋湛山』も早稲田大学出身者ですから。
彼が面白いのは、早稲田騒動の首謀者であったところ。
早稲田商学部創設者『天野為之』を早稲田が追い出したところから、早稲田商学部の劣化が始まる。
創設時の早稲田の教授は9割以上を東京帝国大学出身者が担っていた。天野もその1人。
東大の異端児組が作ったのが『早稲田大学』である。
(あの有名な大隈講堂を作った建築家も東京帝国大学出身者である)
また、その事が原因で、選挙敗者を追放しないと現総長『田中愛治』は総長選挙で明言した。
これは大昔の『早稲田騒動』は早稲田にとって、非常に大きいマイナスとなったからだ。
それまでは、経済会では、早稲田は政経ではなく『商学部』が看板で多くの経済人を輩出していた。
また、東大には商学部はなく、名門は一橋、早稲田であった。
早稲田は中央と同様イギリス型の国家形成を標榜し、東大、慶應はドイツ型の国家形成を標榜していた。
また、慶應義塾の教授は福沢先生の門下生で占められていた事実がある。
私も以前、歴史的に研究した。他のスレッドでも折に触れて記した覚えがある。その湛山の真骨頂と言えば、むろん戦前の『東洋経済新報』時代の「小日本主義」等に代表される一連の言論活動にある。
だがその湛山が、あれほど戦時中に軍部を批判しながらー紙の配給等で嫌がらせ受けながらもー、一度として治安維持法でパクられなかったのはなぜかとの疑問を抱いた。私はそこに、権力者や支配層の一部にあった反軍部の保守リベラル層からしてした湛山への有名無形の支援の存在を推測した。また、政経学部教授から日銀副総裁に転出した若田部昌澄・前教授などは、経済学の観点から湛山を自由貿易論者として高く評価していた。
また、ご指摘の「騒動」についてあるが、そこに湛山と坪内逍遥一派との確執をみてとることができる。さらに加えて、『実業(早稲田実業学校)』と『早中・高(早稲田中学・高校)』とがそこに絡み、現在の観点からみても興味深い。
それにしても、湛山が病気で内閣総理大臣の職を辞せなければ、あのアベ前総理の祖父である悪党の戦犯・岸信介による「腐った歯茎のような悪臭漂う政治(宇都宮徳馬元自民党代議士談)」はなかった。そうであれば、その後の岸による安保騒動やそれに反対する国民らに対してする自衛隊出動による武力弾圧の画策などー現在のミャンマーのようにー、今日まで続くこの国の民主政治の大きな後退がなかったはずなのにと悔やまれてならない。
※早稲田の創設につき、高田早苗ら東大人脈の存在も大きかった。だが、なにより最大の功績者は小野梓であったことに間違いない。
>中国の国民党や共産党等の要人、あるいは韓国系財閥の創始者らが校友だったゆえ。
北東アジア地域における知名度は抜群。
そのことが現在政権で問題視されている。
中国は、自由な学問へ弾圧、思想統制など大日本帝国と同じ軌跡を辿っている。
二十世紀のやり直しなどできないと、なぜ気づけないのか。
草莽の知性を制限すれば理由を問わず、結果的に国力は落ちる。
世界中の歴史の証明する所でもあるのに。
中国の思考そのものが時代遅れすぎる。その先を見ていない。
ここにも知性の衰退が見てとれます。
誰の共感もない支配など、利害と共に滅ぶ。
人の利害は刹那ですから、この先に進む中国ならもう長続きしないでしょう。
早稲田や立命館は大学免許はく奪でしょう。
>そうであれば、その後の岸による安保騒動やそれに反対する国民らに対してする自衛隊出動による武力弾圧の画策などー現在のミャンマーのようにー、今日まで続くこの国の民主政治の大きな後退がなかったはずなのにと悔やまれてならない。
むかしより民主主義の後退とおっしゃる理由は何?
私たちの史観では、現実は固定し静止したものではなく、たえず流動し変化し、発展していくものととらえる。また、すべての存在はそれ自身のうちに対立する二つの側面をもち、この対立するものの統一として存在する。
だが、流動し変化するに従い、この対立はやがていままでの統一物の中では両立しえない関係にまで成長する。この関係によって古い統一は崩壊し、新しい統一が生じる。もっともそれは自然法則とは異なり、人々の実践によって力を得ていくものだ。
そのうえで、湛山のような良識ある保守政治家による政治から展望された現在の日本のあるべき姿を想定したとき、「腐った歯茎のような汚臭」にまみれた(宇都宮徳馬・元議員談)、アベ前首相の祖父・戦犯岸信介の登場は、明らかにその阻害要因としての働きをなしたといえるからである。
>また、その事が原因で、選挙敗者を追放しないと現総長『田中愛治』は総長選挙で明言した。
これは大昔の『早稲田騒動』は早稲田にとって、非常に大きいマイナスとなったからだ。
私は広義で負けた側の系譜に連なるが、前総長の路線継承を唱え副総長が立候補することに対し、学内でも一部に危惧があった。そのため立候補の自重を促す声もあった。しかし、周囲は勝算ありと目論んでいたようであり、思わぬ落選の結果に候補者(実父早大教授、本人も『学院』出身の純正「早稲田」)は茫然自失であった。もっとも、私自身は鎌田前総長に批判的であったため、鎌田路線の継続がならなかったことを良しとした。
ところで、今発売中のある月刊誌で、「横浜のドン」こと藤木幸夫氏(政経卒)が石橋湛山との思い出を語っていた。そして、湛山の如く身を捨てる覚悟で、横浜を選挙区とするスガ首相や林横浜市長らの進めるカジノ誘致を阻止するとの決意を新たにしていた。このような一徹な姿を拝見して、いかにも早稲田らしいなと感じた次第。卒寿を超えた大先輩、意気なお軒昂である。






























