女子美の中高大連携授業
最近になって親が嫌いに
小学生の頃からずっと優等生でした(昔の学級委員タイプ)。
周りの友人が地元の短大にいくような環境の中、
東京の親の希望で受けた有名大学に思いがけず合格し、
親の希望で進みました。
その大学は就職に強ぅ、女性の採用はほとんど無い時代でしたが
運よく総合職で就職しました。
その後は、やはり20台で親の希望の時期に結婚し、30台で子供も2人産みました。
(仕事は転職をしましたが、子育てと両立できず退職)
30歳ごろから、次第に、心に幸せ感がないことに気がつき、
自分は心の底からやりたいこと、専門職の仕事があったが、
親の反対でその道をはずされ出来なかった、あきらめてきてしまった。
そして、子育てで、完全に勤めをやめたとき、
ものすごくむなしい気持ちになり、戻れるものならば、
家族なんてもたなくてもよかった、
本当は仕事だけにかけたかった、とすら思うようになりました。
親はずっと、私をカタにはめようとし、
親の見栄(成績、進学先、就職先、夫の勤務先)の材料と
しました。親が親戚、近所に自慢話をする声のトーンが
たまらなく嫌でした。
若いころは、親が第一には私のために考えていてくれて
いるとと思いこんでおり、見栄っ張りで100点満点じゃないけど、
親にはまあ感謝、といった気持ちでした。
40台に入り、遠方ですが、親の世話に帰省することもでてきて、
その中で、自分がこの親にはどこか感謝しきれない
気持ちがある、と思うようになりました。
私の幸福より先に親の見栄(親自身のため)だったではないか、と。
今、自分が親になって、子供のことを思うとき、
そう感じるのです(何をしたいか、自分は親に尋ねられたことが
ありません、私は常にこどもの本当の希望を考えます。)
だれも100%すばらしい親にはなれないのだから
とは思いますが、今時分、もう年齢も中年も中年、
人生半ばもすぎ、と思うとむなしさでいっぱいです。
30歳ごろからは、自分なりに、積み上げてきたものを
いかしながら、かつ自分の元の希望と相容れるような
道で努力をしましたが、大学選択で間違ったという気持ちが
抜け切れませんでした。(親にとっての学歴コンプレックス
を晴らすには恰好の大学だったようです。)
親の面倒をみるようになった今、
どういう気持ちの整理をし、どう接したらよいのでしょうか・・・
スレ主さまは「自分」というものを安心してもてる環境でしたか?
私は今頃になって自分を捨てた感覚を思いだしました。
でも「自分を捨てた」と思えた事で
自分を取り戻そうという気持ちにもなれました。
スレ主様は親御さんの期待にこたえてきたんですよね。
親としたら夢のような娘ですよね。
もし自分の娘が私の期待に次々とこたえてくれたら
私はそこに依存してしまうかもしれない。
そこに娘の疲れや葛藤を感じることができれば
引き返すけれど。
そういう葛藤に気がついてきくれなかった事への怒りや甘えはありませんか?
全く検討違いだったらゴメンなさい。
私も本当に今頃になってジタバタしています。
この板でもちらほら書いて気持ちを整理してます。
子どもの時代、「いい子」というのは、親の言うことを、素直に従って、反抗をしない。
親も、世間の人たちに、「この子は、素直で、自慢の子なんです」という子。
自分の意思とは違って、親の言うとおりに、反抗もせず、ずっと、生きてくると、いつか、不満を抱きます。
反抗は、早かれ、遅かれ、爆発します。
かなしいかな、その爆発は、40台に、なっても、噴火します。
今までためていた分、その噴火は、大きいかもしれません。
年齢が同じくらいだと、親の親としての意識も共通性があるかもしれませんね。
よく似ていると思いました。
親にとって子どもは自分の評価のものさし。母として主婦として頑張った結果が
子どものデキに現れると思って両親はわたしを育てていたと思います。
実際、小さい頃から
「あなたのせいでわたしが恥をかかされた」というようなことはよく言われてきました。
親にとって見栄えの良い高校、大学、最初の就職をし、そこまでは
本当に親として満足であったろうと思います。
わたしはその後やってしまいました。安定した公務員を退職し、学校に通い、
別の職業につき、自分がみつけた相手と結婚し、400キロ離れた土地に住んでいます。
自分が親になってみて親のありがたさがわかりましたが、一方わたしは子ども
としてあれもしてもらえなかった、これもしてもらえなかったという気持ちも
噴出しました。しかし、わが子がものごころつく年齢になると、自分の子ども
時代の記憶とよく話し合って大人としてより良い対応ができるよう考えて子育て
するようになりました。結果として親がしてきたのと同じ選択はほとんどして
いません。
現在、自分の親についてはずいぶん幼稚で素朴な人格だなと思っています。
憎めなくはないけれど、それだけの年数を生きてきてあまりに単純だと思います。
ただ、経済的にはずいぶん好きなようにやらせてもらい、(それは祖父母のお金
なんですが)同じことはわたしは子どもにしてやれないだろうことから感謝して
います。
わたしは25歳くらいで目覚めたので、その後の20年弱に満足しています。
それがあるから親のことを少し距離を置いて冷静にみることもできます。
40台さまも、ハタチすぎてからの自分の人生に納得できていればきっと
違うと思うのですが、やはり根源は全部親ですか?反抗したい気持ちを持ちつつ
実行プランを描けなかった自分はいませんか?わたしは16歳から24歳までは
漠然と反抗したくてもプランが描けず、ずっと頭で練り上げていた時期に
なるんです。経済的にも能力的にもそれができるようになったのが25歳。
そう考えると16歳からも自分なりには静かに反抗してたんだなとは思いますが。
25歳、せめて30歳以降の人生については、親の影響から抜け出せなかったこと
も含めて自分で引き受けるべきことかなとも思います。
良くも悪くも、自分対親と同じようなことを自分対我が子にするといいますね。叱るときの言い回しとか。
我が子には自分がイヤだと思ったことはしないように気をつけたいですね。そして、それは自分で気をつけているつもりでもしてしまっていることがあるので厄介です。
やはり第三者の目・・・ジャッジが必要です。
ご主人にそのことをお話してみましたか?そしてお子さんには気をつけていると話してみましたか?もしまだだったら是非そうしてください。大分違うと思います。ご主人に同調してもらえれば、ご両親に対するいやな思いは薄れていくように思いますよ。
ご両親を変えるのはもはや不可能。でもそれに対する思いがなかなか断ち切れないのは私も同じです。自分が変るしかないのですよね。
私の場合は、母の憧れであった音楽の道のレールを幼い頃から敷かれ、中学からは音大の附属に通い、高校(音楽科)を出る時にちらっと音大ではない進路を考えたりもしましたが、結局は音大に進み、現在は音楽教室と自宅で教える仕事をしています。
本当に自分の意志で音楽をやりたかったのか?と言われれば、やはり違います。母に夢を託されたんです。音楽が「好きか嫌いか?」聞かれれば、今でも「まあ好き…かな?」程度。(ホンネです^^;)
音楽の世界は特殊ですので、一度レールに乗ってしまうと余程のことが無い限り簡単に降りることは出来ません。高校の同級生で一人だけ法学部に進んだ人がいましたが、他は皆そのまま音大に進みました。
現在は違うのかも知れませんが、私たちの時代は親が戦前生まれで、子どもに少しでも音楽の才能があるとわかると親はドリーム炸裂、高度経済成長期時代でもあり、友人の母親たちは似たり寄ったりでした…。
「同じような家庭環境で同じ音大」出身者でも、その後の生き方は実に様々です。
海外留学で知り合った北欧の男性と結婚し、その国の田舎町で自給自足しながら音楽活動をしている人。
通信で初等教育の免許を取り、専科の教師から小学校の教頭になった人。
自宅で教室を経営している人。
もちろん専業主婦や、音楽とは関係ない仕事をしている人もいます。
何が言いたいのかというと、どういう経緯だったにせよスレ主さんは、都会の難関大学を出してもらったところまでは親に感謝すべきだと思いますよ。問題だったのはそこから先。親の言う通りに結婚して、子育てのため仕事も辞めてしまった…その辺りのくすぶりが不満になっているのではないですか。
今からでも遅くないです。もう後ろは振り返らないで先を見つめましょうよ。
40台 さんへ:
前半の若い頃の思いや40台での思いは
年代年代で誰しもが少しは経験する思いでもあるように感じます。
そして、介護世代に入ると、また新たな思いが交錯します。
スレ主さんは今、そういう状況にあるのでは、と思いました。
帰省して親の面倒をみるというのは、肉体的にも精神的にも、
そして経済的にも大変なことですよね。
40台、ただでさえ先行きの光が少なくなるように思う年齢なのに、
さらに親の面倒を見る立場になると、
自分の未来に対して耐え難い閉塞感を感じることがあります。
先のことを考えて前向きに行こうと思っても
色々な事が足枷なって、前に進むどころか後退してしまうような...
親に感謝できない気持ちがある場合は
さらに複雑な思いを抱えることになっていまいます。
お母様がまだ精神的に健全な状態であるならば(病身でないならば)、
いっそのこと、お母様に今の思いをぶつけて見ては如何でしょうか?
年をとられたお母様は、意外とすれ主さんの気持ちを受け止めてくれるかもしれません。
ぶつけてみて拒否されるようなら、一度母親との距離を置いてもいいかもしれません。
具合が悪いようでしたら難しいですが、
その後はもう、今までの色々な思い、気持ちを切り離し
親とは精神的に独立して
これからの自分を築き上げていく強さを身につけていくしかないと思います。
親は、年々年老いて弱っていくしかないのですよね。
いろいろとご意見ありがとうございました。
幸せすぎるから、そんなこというんだ、というのは
言われます。だから、身近なヒトには恥ずかしくて
めったにいえないです。
しかし、家の父親が根っからの商売人で、
家庭でも本当にクチがうまく、
あれれれれーっと
思っているうちにすべて、父親の思うがまま!というのが
多かったのが、うちの家族(母親・兄弟)が全員陥った事実なんです。
私がめざしていた専門職は同時通訳です。
私の希望は専門スキルをえられる大学でしたが
地方ではあまり知られていない大学なのです。
同時通訳は年をとってからスキルを得るのは
現実的ではないので、その後、外資系に就職し、
言語能力はそれなりにいかしてきました。
結局自分でしょ、っと書かれていたことは、
20台半ばくらいは、自分自身でも思っていましたので、
自分を納得させながらサラリーウーマンをやって
きて、20台半ばにたてた修正(?)目標である管理職には
30台半ばで到達しました。
その後、海外出張の頻度がまし、また、
だんだん、実務より調整仕事、
人事異動のたびに課される次から次への新しい困難な課題、
子育てとの両立が、現実的にとても難しく感じ、また、
子育てをサボりすぎたという気持ちもあり
やめてしまいました。(辞めたのは数年前です)
親のせいにすべきでない、
最初誘導にのった自分が最終的には選んだのだ、と
自分でも20台半ばより思ってきたのですが、
もし、高校生のときやりたかった同時通訳をやってれば、
もう少し、企業の管理職よりは、時間裁量がありつつ、
コツコツと安定的に海外との関係を持ちながら家庭との両立が
し易かったのでは、ないだろうか、
私はそもそも人間関係にもまれまくって必死でサラリーマンやって、
奉公するような道は考えてなかったのに
ずいぶん、道が違ってきちゃったなあ・・・・
いつのまにか・・・と思う気持ちがあったからです。
私はこの気持ちは親に話しました。
こんな気持ちをもちながら本格的に介護をすることになったら
イヤだったからです。
親からは気づかなかった、お詫びするといわれました。
20年もずっと悩んでいたのですが、私も自分が悪いから、
と思って20年は自分なりに努力したのですが、
なんかふっきれないので思い切っていっちゃいました。
この数日でだいぶ気持ちが整理できました。
どの方の意見も部分部分で、納得するところがあります。
まあ、幼い!とばっさり言われて、すっきりしました。
ちょっと羨ましいかなぁ。。。
実は私も親に自分の気持ちを伝えたことがあります。
でも、返ってきた言葉は、
「結局自分で決めたんでしょ。」でした。
そんなこと自分が一番よく知っています。
期待した自分が幼すぎるのでしょう。
その後、親も私には頼れないと自分達の老後を考えたようですけど、
結局は私も親もお互いに親離れ、子離れできないのでしょうかね。
近くに住んで介護という方向に進んでいます。
でも、「トラウマがあるのかしらないけど、子供の気持ちばかりを聞きすぎる」と意見されたときには、さすがに憤りの方が勝ってしまいました。
子育てが一段落した後、親には内緒で修正計画で再就職しました。親の介護で時間の融通の利く形にかえたのも「自分の意思」ですが、「働かなくてもいいって神様の思し召し」と言われて苦笑してしまいましたよ。学歴をつけて、経済力のある人と結婚して、苦労のない生活をして欲しいというのが私に託した夢?だったようですね。必死になって再就職を果たした私の気持ちは考えたことあるのかなぁ〜なんて思ったものです。母も、専門職で働いて若くして亡くなった妹(叔母)というトラウマを抱えているのだろうと思いやるくらいが精一杯です。
一度でいいから、「貴方の好きにしなさい」と言ってもらいたいということ自体幼いってことなんでしょうかねぇ・・・友達には、「親が死んで初めて、親離れ子離れが成立すると思うよ。」って言われてます。
我が子には、私に内緒にしなくても思いっきり生きてもらえるように子離れしていきたいと思います。
とっても考えさせられるスレでした。スレ主様ありがとう。




































