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皇室の弥栄を願います。
こんにちは。
「想い出す事は義務」…震災から5年、デル・ピエロが日本へメッセージ
阪神淡路から16年、東日本大震災から5年、あっという間に月日は過ぎていきます。
神戸は炎に包まれてしまい、東北の沿岸は津波にのみこまれてしまいました。
今日のこの日に大変な大災害が起こったことは記憶していても、昨日と変わらないいつものとおりの日常です。私も地震の記憶はだんだんと薄れてしまっていますし、この大災害を体験していない子供たちも多くなっています。
前にもこのスレで書きましたが、江戸時代に地震で多くの被害が出た時に「先人達が残してくれた地震の教訓をいかせなかった」と嘆いた当時の記録が今でも残っているそうです。昔から各地で多くの地震にみまわれた日本は、先人達がこれを機に用心を怠らないようにと後世に向けて警告を残してくれています。
記憶というものはどうしても薄れて行くもので、それはどうしょうもないのかもしれないけれど、でも、亡くなった方々や後世の人達のために、「思い出すことは義務」の言葉、そのとおりだと思います。
「えー???」←娘が2時半過ぎに帰って来て私が発した言葉です。
「これから遊びに行くの?友達んち?」「うん、でもまだ行かないよ。」
「なら少し観てて、もうすぐ黙祷もするからね。」「2時46分だよね?」
・・・
「今日は寒いから温かくして、あっ今晩は肉じゃがでいいよね?」「行ってきまーす!」
いつものとおりの日常。そのありがたみを忘れないようにしないと・・・。
すみません。不謹慎な発言だったと反省しています。m(_ _)m
けっしてふざけて書いたわけではないのです。
いまさら何を書いても言い訳になってしまいますが、静かにしておくべきでした。
きゃりー神ゅ神ゅさん、私が悪いのですから、今日は助けていただかなくていいんです。
犠牲者の中には、海岸近くの魚加工に従事する外国人らも含まれていたものと考えられる。
その多くが『不法滞在者』であったことだろう。
日本人が嫌がる仕事を立場の弱い外国人らが担っていたからだ。
その彼らもまた、無常の波にさらわれてしまった。
在留資格のない彼ら。
事情ゆえ、身分や本名を偽っていた可能性もある。
そんな外国人らとともに汗を流し、協働していた日本人同僚も尊い命を失った。
もはや、彼らの存在を知る人はない。
事情を知らず、不幸な彼らの帰りを待ち続ける故国の家族たち。
哀れである。




































