在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
「女性宮家」創設へ
皇室の弥栄を願います。
別に本の多寡で決まるものではない。
ただ、「買って読め」と君に言われたので、言われなくとも購入しているよ、ということだ。
むしろ、保管場所に苦労している。
そこで、高額なものは大学図書館に頻繁に購入希望を出すことにしている(ある係員からは『お手やわらかに』といわれたが)。
ちなみに、最近購入して今晩目を通す予定のものは、長谷部恭男・杉田敦著『安保法制の何が問題か(岩波書店)』だ。目次をみると、先に反対の論陣を先生たちが論考を寄せている。楽しみだ。
ところで、先ほど一日どのくらい勉強しているか、と聞かれた。
正直に、平均12時間と答えた。
こうした自由君へのお相手も、(時間的に)私にとっては特別大サービスなのである。
>法規である憲法に残る封建時代の遺物・残滓であり、差別の象徴である。 法の下の平等の観点からも、速やかな1条の廃止が望ましい。 少なくとも、国会で直ちに皇室典範を改正し、皇位継承(世襲)と無関係な皇族らの整理を断行すべきである。それが、国民主権主義の要請に合致する。 (二俣川)
国民主権の使い方を間違っている。
国民主権で君主主権は否定できても、象徴天皇制は否定できない。
二俣川が憲法を分かっていない証拠。
笑
>国民主権で君主主権は否定できても、象徴天皇制は否定できない。
その通りである。仮に対置させるなら、現憲法下で民主主義と象徴天皇制が両立し得るかという視座が適当だろう。つまり、
1、「国民の総意」というものが民意として政治的正当性を得ているか(制定過程の妥当性)
2、その民意自体が主体的な意識か否か、あるいは我が国の伝統、精神風土に根差した埋没された意識だとして、これを民意の発現として政治的正当性の根拠足り得るか(一方で、「制度的強制」としてコンフォーミズムたる一面を看過していないか)。
3、我が国の特殊事情として、先の大戦におけるナショナリズムと民主主義の結合をどのように総括するか(一般論としてではなく、「戦争責任」というものを「天皇」ではなく、「昭和天皇」との関連で個別に検討するべきではないか)。
4、「象徴天皇」という制度の是非(神権天皇との対比、「天皇」の果たした歴史的役割の再評価ー専制回避の二重政体的役割、広宣流布に対する神道の制御など)。
憲法問題として「のみ」、女系問題を含む皇室制度の是非を語るのを「了」とするなら、小泉政権下の有識者会議の構成メンバーも憲法学者「のみ」で事足りた。しかし、じっさいにはヒアリング対象者も含め古代史、社会心理、歴史言語、国際政治学など多岐にわたる学問領域の専門家が結集したのである。なぜか? 民意の多様性を前提とするからである。他スレでも書いたが、民主主義は我が憲法によって「支配」されているのではない、「保障」されているのである。現憲法下の「平等性」と「天皇制」との矛盾も是非を語るにひとつの論拠とはなろう。但しあくまでも「ひとつ」の論拠であり、それ以上でもそれ以下でもない。それを甘受しても尚、現「象徴天皇制」を了としている国民も一定数存するからである。ここで繰り返される系に対する(スレ主も含めた)意見表明も、上記2、の「埋没された意識」の自己確認という作業である。価値観の妥当性に対する再吟味と言い換えてもよい。これも民意の多様性のひとつである。
この多様性を看過して「平等性」ひとつをもって「天皇制」否定と結論付けるなら、これもまた民主主義の同質的、社会的結合の強制を生じさせ得る民主主義の擬制に繋がりかねない。従って、ひとつの論拠に留めおくべきだろう。




































