女子美の中高大連携授業
「女性宮家」創設へ
皇室の弥栄を願います。
>本音は迷惑だと思っています。でもそれは二俣川様やきゃりー様にとっては与り知らぬ事ですし、もこもこ様がおっしゃるように、こちらが淡々とするしかないんですよね。
ふう~、
ひまわり君は、
迷惑な二俣川ときゃりーに、必死に我慢してるらしい。
かわいそうに。
>>>>ここでは誰がどうした話ではなく歴史についての自由様のお考えを書いて下さるようお願いいたします。
(ひまわり)
>>>上記の書き込みは自分勝手で傲慢すぎました、撤回いたします。
申し訳ございませんでした。
(ひまわり君)
>>了解した(自由)
>自由様、ありがとうございます、ご迷惑かけました。(ひまわり君)
自由は、よほどうれしかったんだな。
嫌われていただけに、ね。
何度も何度も、やめてくれと懇願されていたもんな。
慈善活動。
でも、結果的にはかえって跳梁跋扈の免罪符(口実)に。
さらに続くであろう、明日も明後日も彼の粘着が。
>自由様、いろいろ考えたのですが
自由様が黙っていられないなら仕方がありません、私が対応しますからこのスレでの二俣川様・きゃりー様については私に任せて下さい。
お二人からこのスレに頂戴したレスについては、私が夜にでもまとめて対応します。
そんなわけで、このスレであのお二人については自由様の手出しは無用です、お願いします。
ここでは誰がどうした話ではなく歴史についての自由様のお考えを書いて下さるようお願いいたします。
自由クン、ひまわりには関係ない!といいたまえ。笑笑
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『疎外(疏外)とは何か』
プロ・レイバー法学のバイブル『労働法論序説(沼田稲次郎著)』にこう記されている。
「人間の社会関係は商品=物の社会関係のうちに埋没せしめられた。人間の物化(Verdinglichung)はまさに近代における人間の自己疏外(die menschliche selbstentfremduhg)であり主体性の喪失であった。」と。
この「疎(疏)外」とは何か。
このことにつき、マルクスは次のように述べる。
「労働者はみずからの生命を対象に注ぎ込む。しかし、対象に注ぎ込まれた生命はもはや彼のものではなく、対象のものである。彼の労働の生産物であるものは、彼ではない。したがって、この生産物が大きくなればなるほど、労働者自身はそれだけ乏しくなっていく。労働者がみずからの生産物において外化するということは、彼の労働がひとつの対象に、ひとつの外的な現実存在になるというだけでなく、彼の労働が彼の外に、彼から独立した疎遠なかたちで存在し、彼に対して自立した力になり、彼が対象に付与した生命が彼に対して敵対的かつ疎遠に対立するという意味をもつのである。『経済学・哲学草稿』」
資本制労働下における労働者の労働の実相を見事に指摘していると言える。
(転載)




































