在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
「女性宮家」創設へ
皇室の弥栄を願います。
>絶対君主制の天皇制と、象徴天皇制を
「天皇制」と一括りにするのは、
二俣川の重症な妄想癖か、腹黒い打算だろう。
論理的反論になっていない。
そもそも、現在の天皇制につき、従来の制度を修正して明治憲法下の天皇の有した象徴としての役割のみを継承した制度とみる連続説(確認説)と、従来の制度を廃止して全く異質な象徴天皇を新設した制度とみる断絶説(創造説)とで、皇位承継における男系男子主義の是非など、現行天皇制に関わる法的問題の解釈も異なって来よう。
もっとも、本スレの天皇教信者さんらは、両者をとくに区別せずに「天皇制」を語っているように見受けられる。
>両者をとくに区別せずに「天皇制」を語っているように見受けられる。
というか、
二俣川は絶対君主制の天皇制と、象徴天皇制を区別せず「天皇制」と一括りにしている。
二俣川は、重症な妄想癖か、腹黒い打算があるのだろう。
>象徴天皇制に関して違憲の疑義がある
という二俣川の妄想を、
大多数の国民は相手にしないと言っておるのだよ。
学問的に、問題の所在を社会に問い続けることが大切。
それが、たとえ少数意見であってさえ。
その結果、世論が変わり、大きな政策変更に結実することもある。
たとえば,近時では米国連邦最高裁での同性同士の婚姻容認、あるいは日本相続法での非嫡出子に対する相続分差別規定の撤廃など。
以前なら、いずれも考え付かぬ事態であったはず。
少なくとも、たとえ私の考えに同調には至らずも、本日は君に比べ私の見解に論理性をお感じになった諸賢が多いのではないか。
※ポツダム宣言受諾の時点で最終的に「国体が護持される」期待など論理的に消滅し、国民主権の原則が日本の国家形態の根本原則になったものである。
よって、民主制の原理とは相容れない天皇制は廃止されるべき運命にあったのである。
ところが、その後、天皇制を護持したい日帝政府の意向とポツダム宣言に拘束されながらも国内外の情勢の変化(冷戦の激化)のため天皇の利用価値を重視したGHQとの思惑が露わになった。この複雑な政治力学の妥協の産物が、現行の不可解な「象徴天皇制」である。
したがって、現行「象徴天皇制」は当時の政治的妥協の産物であり、本来的な論理的正当性は有していない。けっして、大張りで胸を張れる沿革は備えていないのである。それが、上述小林直樹・東大教授の指摘に表れてもいる。
ゆえに、天皇制は人類普遍の原理とは本質的に無縁の存在であり、その廃止も講学上の改正の限界に該当しない。当初から、廃止されることを前提にした制度である。それが、憲法1条の「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」の意味である。




































