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【1887316】[南京騒動] 元凶を発見か?

投稿者: 探検隊   (ID:wvBJxY8nXzE) 投稿日時:2010年 10月 17日 21:34

南京事件については様々な意見がありますが、
火の無い処に煙は立ちませんから、「証拠が無い」というだけでその存在を否定する気は起きませんでした。

しかし、腑に落ちない点が沢山あったので色々と資料を調べていたところ、ねずきちさんのブログに「映画「ジョン・ラーベ」の主人公・安全区ラーベ委員長から日本軍への感謝状もあります。」と書いてありました。
何故感謝状を送ったような人が映画の主人公になるのか疑問に思ったのでこの人について調べてみました。

以下のURLを順番に読んでみてください。

ねずきちの ひとりごと 「南京の攻防」
ttp://nezu621.blog7.fとcと2.こむ/ぶろぐ-えんとりー-772.html

ウィキペディア ジョン・ラーベ
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%99

映画「ジョン・ラーベ」の正体
ttp://news-hassin.sejp.net/?eid=1239151

もちろんこれらの記事は憶測で書かれた部分も多いので必ず正しいとは言えませんが、私が今までに見た南京事件への反証の中では一番説得力がありました。

みなさんはいかがお思いでしょうか?

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  1. 【1901805】 投稿者: 143枚の写真  (ID:T9CecsjbUPU) 投稿日時:2010年 10月 30日 17:25

    南京事件 143枚の写真の再検証(1)
    『南京事件「証拠写真」を検証する』源流編

    http://www.●geoc●ities●.jp/pipopipo555jp/#syashin





    中国の死刑写真とBBC『南京大虐殺』の酷似

    http://redfox2667.blog111.●fc●2.com/●blog-●entry-56.html


    ●を取って是非ご覧下さい。

  2. 【1902131】 投稿者: !?  (ID:4mSCyfpzQS6) 投稿日時:2010年 10月 30日 23:44

    日中戦争中に中国が反日プロパガンダとして世界に配信した写真は合成偽造が多かったわけですが、市街戦地に置き去りにされ泣く赤ん坊の写真は、やらせ撮影する場面の映像も見つかって公開されており、中国の南京大虐殺記念館からも、これら信憑性の低い3枚の写真は既に撤去されたようです。
      
    南京大虐殺記念館ウソ写真撤去
    http://blogs.yahoo.co.jp/osanponikkoonsenmeguri/45745808.html
     
    中共プロパガンダの虚構!
    http://specialnotes.blog77.●fc2.com/?mode=m&no=3716
    日本軍による中国人の銃殺刑の写真は、国民党軍が共産党員を処刑した写真を切り取ったものだった。
    http://c.●fc2.com/imgsa/http%3A%2F%2Fblog-imgs-13-origin.●fc2.com%2Fs%2Fp%2Fe%2Fspecialnotes%2Fchinab001s.jpg/
    “南京大虐殺”捏造の背景を指摘する動画「THE FAKE OF NANKING - 1」動画消失 写真は同動画が「ヤラセ」と指摘する銃殺シーンを参照のため引用
    中国国民党政府は、1945年(昭和20年)に、米映画「バトル・オブ・チャイナ」を編集し、宣伝映画「中国之怒吼(どこう)」を製作した。中国政府は、この映画の中の残虐な場面を証拠として示し、南京大虐殺を訴えている。
    「バトル・オブ・チャイナ」のフランク・キャプラ監督は、なぜこの場面の右側を切り取ったのか? 明らかに、彼らは日本兵ではない、いったい誰だろうか? 彼らは蒋介石の指揮下にあった国民党の中国兵である。処刑されようとしている2人も同じ中国人であり、彼らは共産党員である。
    フランク・キャプラは、このカットが中国兵が同じ中国人を処刑している場面であることを知っていた。だから、彼はこのカットの右側を切り取ってしまった。同時にそれは次のことを意味する。彼が探した限りにおいては、日本軍の非人道性を証明するフィルムはなかったと。南京大虐殺の残酷シーンはヤラセだったのだ。
    南京で日本軍に同行していた報道関係者の数は120以上あり、しかも、この120の報道機関にはシカゴ・デイリー・ニュース、ニューヨークタイムズ、パラマウント・ニュース、ロイター、APが含まれていたが、このような写真を撮影し、報道した報道機関はひとつもなかった。
    米映画監督の捏造を、そのまま国民党が「プロパガンダ映画」に流用していたのである。
     
    中国は、当時の南京の人口が20万人なのに、一般市民30万人が虐殺されたと言う。
    ↓南京陥落後ののどかな様子。中国人や子供達が日本兵と身近に接している。
         
    映画 南京の真実 記録映画編(上海~南京陥落)
    http://www.youtube.com/watch?v=fSMZnOsEy4A
    映画 南京の真実 記録映画編(南京陥落後)
    http://www.youtube.com/watch?v=AAJhJnYH7yU&feature=related
    なぜ、「南京事件」は捏造されたのか?
    http://www.youtube.com/watch?v=9jWIHnks7uo&feature=related
    南京大虐殺は大嘘である!
    『The Battle of Nanking』 は勝戦国によって捏造されたプロパガンダ映画である!
    http://nokosoyamatodamashii.blog22.●fc2.com/blog-●entry-40.html

  3. 【1902409】 投稿者: どこの私立高校?  (ID:QX5LJAn1Mhk) 投稿日時:2010年 10月 31日 10:09

    韓国人徴用体験団を聞き真の歴史を学ぶ日本の私立高校生。

    http://news.searchina.ne.jp/disp_iphone.cgi?y=2010&d=0902&f=politics_0902_004.shtml

    これは私立高校の歴史教師が企画したもので、
    ソウルに三泊四日で行って日韓の真の歴史を学ぶと言うもの。
    当時軍事工場に騙されて徴用された老婆から当時の辛い話しを聞いた日本の私立高校生は
    「初めて聞いた、体の震えが止まらない、勉強になった、感謝します。」と語った。
    老婆は「謝罪と補償」をして欲しいと語った。
    語ってくれた老婆と歴史教師は互いに礼を述べ両手を握り締めた。



    どこの私立高校なんですか?
    それで何なんですか?この歴史教師?
    日本人教師がわざわざこんな事しに韓国まで行きますか?

  4. 【1902432】 投稿者: 長文ですが(産経新聞2010.10.28 )  (ID:I0uhEgqEBg2) 投稿日時:2010年 10月 31日 10:44

    【正論】拓殖大学客員教授・藤岡信勝 反日教育の果ての尖閣弱腰外交


    1950年代初め、日本共産党が火炎ビン闘争など武装闘争にうつつを抜かしていたころ、当時の共産党幹部の一人、志賀義雄は次のように批判したとされる。

     ≪教科書で共産革命は成る≫

     「なにも武闘革命などする必要はない。共産党が作った教科書で、社会主義革命を信奉する日教組の教師が、みっちり反日教育をほどこせば、30~40年後にはその青少年が日本の支配者となり指導者となる。教育で共産革命は達成できる」

     そのころは、革命は暴力によってしか成就できないとする暴力革命論が国際共産主義運動の正統派の理論で、議会で多数を占めて平和的に革命が成し遂げられるとする考えは議会主義・修正主義として厳しく排撃されていた。だから、「教育で革命が達成できる」とする志賀理論は、後の構造改革論やユーロ・コミュニズえすがムを先取りする「新しい」発想だった。

     実際、日本共産党は日本革命の拠点として日教組を重視し、教科書支配に乗り出した。その際に、最大限に利用したのは、教科書検定・採択制度だった。共産党は、ダミー団体を隠れ蓑(みの)にして歴史だけでなく国語、算数、理科、社会などの教科書をつくり、教科書会社に売り込んだ。教科書を採択するのは日教組五十万の教師だから、採択を通じて教科書の内容をコントロールすることができる。教師にはどの教科書を選ぶかの「採択基準」が与えられた。

     55年8月、当時の保守政党である日本民主党(今の民主党とは別の政党)は、「うれうべき教科書の問題」という52ページのパンフレットを発行した。その中で、「ソ連・中共をことさら美化・賛美し、自分たちの祖国日本をこき下ろすタイプ」の教科書として、周郷博、高橋●一、日高六郎らの執筆になる小学校社会科の教科書を例にあげ、その日中関係の記述について、次のように評した。

     「歴史の前半において、中国をまねし、学び、膝を屈し、貢(みつ)ぎ物を奉(たてまつ)った日本は、その歴史の後半において、一転して、東洋鬼子と化し、あくなき暴虐をつくして、中国人民をいじめぬいたと、この教科書には書きならべてある」

     ≪「日本民主党」は憂国訴え≫

     日本民主党のパンフレットは、当時の日本の保守勢力が、国際共産主義勢力と対決し、日本の教育を正常化しようとする意思のあらわれだった。次の一節にその危機感が表明されている。

     「他国の侵略とは、必ずしも武力によるものでないとするなら、教科書を通じて、疑いもなく、ソ連や中共の日本攻略ははじめられているのである。日本の教職員たちは、或(ある)いはそれに力を貸し、或いはぼう然とそこに立ちすくみ、或いはそれを知らずに、相たずさえて日本の教育の危機をつくっているのである」

     左翼勢力が教科書を支配する構図は、一定の紆余(うよ)曲折を経ながらもその後も基本的に維持され、日本民主党のパンフから55年目の今年、志賀の予言通りの大輪の花を咲かせた。今日、日本国民は、北朝鮮の拉致実行犯の助命・釈放を嘆願した首相と、サハリン残留韓国人を利用して戦後補償という闘争モデルを創始した官房長官と、慰安婦問題でソウルの日本大使館への反日デモを敢行した国家公安委員長からなる政府を戴(いただ)いている。志賀の属していたセクトと異なるだけで、人的構成から見ても立派な「革命政府」といえる。

     ≪一方的侵略史観を見直せ≫

     この度の尖閣事件は、中国共産党の指令を受けた海上民兵(ゲリラ)による日本の領土への直接侵略の準備工作だった疑いがある。国民が衝撃を受けたのは、現政権に侵略を阻止する意思も能力もないことが露呈したからだ。

     中国は「あしき隣人」だという、国民の標準的な思いを代弁しただけの党内の声にあえて反論して、仙谷由人官房長官は、「中国から伝来した文化が基本となり日本の文化・文明を形成している」とし、戦前の日本が「侵略によって中国に迷惑をかけた」と述べて中国を擁護した。反日・自虐史観によって洗脳され、「日本の支配者、指導者」となった人物の絵に描いたような姿がここにある。仙谷発言は、対中弱腰外交の根源に中韓隷属史観・日本侵略史観があることを明瞭に示している。

     暴力革命と平和革命の関係は直接侵略と間接侵略の関係に似ている。今日、暴力革命を公然と唱える政党はないが、平和革命は国家と社会の腐食・解体として長期にわたり深く進行している。同様に、中国の直接侵略を肯定する政党はないが、反日教科書や外国人参政権の形をとった間接侵略を受け入れ推進している政党が複数存在する。われわれは両方の形式の侵略を正視しなければならない。

     しかし、尖閣事件を契機にして国民の中国認識は劇的に変わりつつある。白を黒と言い張る暴虐無礼な中国の正体を知った国民は、戦前の日中関係についても、やがて一方的な日本侵略史観を見直すだろう。それをしっかりと形にできるかどうかは、歴史教科書の根本的改善にかかっている。(ふじおか のぶかつ)

  5. 【1902566】 投稿者: 中国共産党の日本人洗脳工作  (ID:w5yHRJ0YEUs) 投稿日時:2010年 10月 31日 13:28

    『正論』平成19年1月号     
    米戦時情報局が見た中国共産党の日本人洗脳工作 山本武利(早稲田大学政治経済学術院教授)
    http://www.waseda.jp/prj-m20th/yamamoto/seiron.html
     
    中国で日本兵捕虜が何年間も抑留されて共産党に思想改造され反省文を書かされた人達が、南京大虐殺や三光作戦をやったと告白し、そんな戦争犯罪をしたなら処刑されるはずだが、なぜか日本へ返されて、侵略戦争を証言をしている。
    悪いのは軍国主義や軍部だと非難することで、自分は免罪されたと思うのか? 戦後左翼の心理。

  6. 【1902602】 投稿者: 二俣川  (ID:c841aE3wV2M) 投稿日時:2010年 10月 31日 14:25

    >【1901582】 投稿者: 社会の先生 (ID:ZYibGhXE9nE)さんへ


    ここで主張された「事実」は、根拠が薄弱あるいはこじつけ。
    まともに学習してきて、論理的になぜこういう奇怪な結論になるのか。
    多くの研究者は、日本軍による南京事件そのものは事実だ、と断定している。
    論点は、それを踏まえたうえで、犠牲者数など被害の程度に関するものに移っている。


    また、研究者としての行き詰まりにか、「自由主義史観」なる「史観」を打ちだし、
    その後空中分解して、今では互いに悪罵を浴びせ合っている一派の片割れである藤岡信勝氏は、
    それこそかつての日本共産党員だったのではないかな。
    戦前から現在まで、思想転向した元共産党員による反共攻撃には眉をひそめたくなるものがある。
    下品極まりない。

  7. 【1902609】 投稿者: 二俣川  (ID:c841aE3wV2M) 投稿日時:2010年 10月 31日 14:41

    それから、多くの教員は学習指導要領に沿った指導を行っている。
    これは、最高裁による旭川学テ事件の判決に基づくものであり、私も賛成している。
    要するに、国が定めた指導要領や検定した教科書の説明に反する言い分が、ここに書き散らかされているということだ。
    したがって、「反体制」勢力はどちらか、あなたでも自明であろう.

  8. 【1902713】 投稿者: 二俣川  (ID:c841aE3wV2M) 投稿日時:2010年 10月 31日 17:19

    明治以降の日本の近代化とは欧米化であった。アジアで生き残っていくため、また新たな市場を求めて日本は朝鮮に対する侵略を始めた。日清・日露の戦いを制し、韓国併合して朝鮮を手に入れた日本は、朝鮮半島を兵站基地化して、いよいよ目をつけていた中国東北部に対する侵略を本格化した。
    まず、手始めに英国などの反対を押し切って第一次大戦に参戦、元老井上馨は、欧州が戦場となってアジアが手薄となったことを天佑とし、日本はドイツの軍港青島や山東省一帯のドイツ利権を軍事占領してしまった。
    1915年大隈内閣は、この奪ったドイツ権益を中国政府に認めさせるため、袁世凱政権にあれもこれもと要求した二十一カ条の要求をつきつけた。
    また、満鉄を中心に中国東北部に利権を設けていった日本は、やがて第一次国共合作や蒋介石による北伐の動きに危機感をもち、田中義一内閣は山東出兵にも踏み切った。


    その辺りから、日本軍の謀略工作が顕著になってくる。
    1 まず、1927年・1928年の第一次、第二次、第三次山東出兵。前述のように、蒋介石による北伐によって満蒙の権益喪失をおそれた田中内閣による、「山東省の在留日本人の保護」を名目とした。
    2 1928年6月、関東軍の企てた張作霖爆殺事件。かえって日本の中国における権益を危ういものにしてしまった。
    3 1931年、柳条湖事件。関東軍参謀・石原莞爾らが武力で旧満州支配をもくろんだもの。
    4 1932年、第一次上海事変。関東軍が、世界の目を旧満州からそらそうとしたもの   
    5 同年3月満州国建国宣言。事実上は、日本の植民地。 
    6 1933年、日中軍事停戦協定。ただし、関東軍の動きは、停まらなかった。
    7 華北分離工作、反共的地方政権支援
    8 1937年7月、盧溝橋事件。
    9 同年   8月、第二次上海事件
    10 1940年、汪兆銘に日本の傀儡政権を作らせる  


    とくに、第一次上海事変は、列強の目を旧満州から他へ逸するために上海駐在公使館付武官田中隆吉少佐らが上層部の意を受けて起こした謀略であった。世界の耳目が上海事変に引きつけられている隙に、三月一日に関東軍は前記満州国建国宣言を発した。
    なお、「アヘン戦争から少しずつ育ってきた中国人意識は、この満州事変とそれに続く抗日戦争で一気に強まった。これが、中国人が団結する特別なきっかけとなった」そうである(『歴史は生きている』朝日新聞出版)。

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