充実した教育環境の日大付属高校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
>「私立の親」は、二重払い(公立分+私立分)になっています。
ですから、「ハンバーグ」代は、すべて「公費」または「私学助成金」で払うのが、自然なのではないでしょうか。
いかがでしょう。
ということは、私学の授業料は公立と同じタダということが
自然という考えですか?
なにをもってしてどこの線引きでハンバーグとするというところも
まちまちでややこしいですねえ。
>本来なら私立でも充分な家庭が公立中高を独占しています。 お金に余裕のある彼らは、更に上位を目指す為に有り余ったお金で塾通いをし、ますます格差は開くばかり・・・。
まだ併願者は私立に進んでいるでしょうが・・・・・・公立一貫が裕福な家庭の子弟で占められたらそれはそれで問題でしょうね。長年の塾通いをしないでも素質のある生徒をピックアップしてバランスのとれたリーダーになれる人材育成するというのが公立一貫設立の目的でしょうから。
検定試験のやり方を工夫して塾でのトレーニングを必要としない頭の良さを見る問題がつくれないのでしょうか? 作文は練習できそうだし・・・・・面接は上がる子には不利だし・・・・・・小学校の先生の内申なんてプロの目から見てその子の将来性を結構正しく評価しているかもしれませんよ。
知識ではなく知恵のある子供を見つけるにはどうやればいいんだろうか?まあ頓智に通じる知恵なんてなくてもしこしこ努力できる性向も勉学には重要なんですけどね。
中学生のころ「午前3時の男」というのがいて何でも夜中の3時まで勉強できるということだった。 ひらめきや独創性という意味ではちょっとという感じがあったのだがしこしこ勉強続けてトップ県立高校入って国立大学に進んだ。
ああいうコツコツ型は決して派手ではないが世の中を支える資質を持っていると思う。あんなタイプも公立中高一貫にいれてもらいたいですね。生き馬の目を抜くような才子ばかりじゃ息が詰まる。ユーモアに富んだのとかダンスの名人とか変わり種も一定数いたほうが学校は面白い。
なんだ・・・・・そんなことあれこれ考えていたら結局家から一番近い公立が一番という・・・・・・いつもの結論になってしまいました。
適性さま
>期待をかければ、かえってくるが・・・追い出した人からは、かえってこないもんですよ。
これはニワトリが先か卵が先かみたいなもので、身近な例がどのようなタイプの人間だったかによってお互いに偏見が生まれるのですね。
適性さまは賢い人なので良くお分かりだと思います。問題なのは、テレビなどで格差社会を喧伝する事により、子供達の心の中にも「格差社会」が刷り込まれることでしょう。そして、中学受験がここまで大衆化すると、都会では否が応でも自分の”ランク”を意識させられるのですね。
私が小学生の頃は(東京都23区内ですが)、皆が放課後は草野球やゴム跳びに興じ、誰の偏差値が幾つでなんて気にもしない生活でした。誰が優等生で誰が運動神経抜群かぐらいは分りましたが、皆それぞれの個性を尊重していたと思います。
小学生が勝ち組負け組を意識せざるを得ない、現在の日本の都会生活が良いとは思えません。
行き過ぎた悪平等主義にも賛成出来ませんが、現状はちょっと行き過ぎだと思います。
昔も出来の良い子には、各公立小学校から数名ずつ集めた”科学教室”という催しがあって、それなりに知的好奇心を満たす様にはなっていました。今後、公立、私立も含めて「越えがたい教育レベル格差」を感じさせない制度ができたら良いと思います。
適性様
ありがとうございます。
うまく伝わるように表現できているか心配でしたが、わかってくださる方が居て嬉しかったです。
でも、ふうさんの介護従事者の虐待事件に関しては、ちょっと私はそこまでは言えないかも。
そういうふう(どうせ自分とは立場が違うといった線引き)に思われていることを肌で感じても、介護従事者への感謝の気持ちは絶対忘れないし、ホームへ度々訪問して預けっぱなしにはしないというところをわかってもらえたら、そういうわだかまりって、意外にすっと溶けると思うから・・・
まあ、虐待するくらい酷い精神状態に陥る介護従事者はもっと深い部分があるかもしれないけど・・・。
期待されたら嬉しくてがんばろうって、そういうのは誰でも同じです。
別に裕福じゃなくても誰かの役に立つ事はできるから、そういう気持ちに皆がなれるような社会を創るように心がけたいと思うのです。
さくら様
>これは、お金がなくて手段を選べなかったときも貧しい発想になるのかな?
資本主義社会ではお金がなければ、選択肢が狭くなるのはしょうがないです。
お金がなくてある手段を選べなかった人は金銭的には貧しくても、心が貧しいのではありません。
お金がなくて「選択肢がなくて悔しい」と思うのは、素直な心だと思います。
でも、その時にお金がある人に対して「ずるい」とか「お金にものを言わせて得をしている」とか、そういうふうに思ってしまったら、それは結局「貧しい心の人」になってしまうと思うんです。
「ぼろ~は~着~てても~心は~錦~♪」っていう歌がありますけど、あれ、なんじゃないかな?
それに、今の時代は塾に行ったり私学に行ったりしている人が、自分達がそれほど特別だと思ってないんですよね。
私学に行かなくても公立で立派にやれる人に対しても、心から本当に素晴らしいと認めている人も多いですし。
弱点さんの「不遇に負けるな、それが強みになる、考え方次第、頑張れ 逆境が力になるからがんばれ」って、本当にそうですね。
視点さんみたいに、ずるい人を出さないように皆同じ条件にしましょう、差
をなくしましょうという発想は、資本主義社会では不可能なんですから・・・。
通りすがり2様
ハンバーグの話は、通りすがり2さんのまとめが一番判りやすいと思います。
今の公教育はまさに「ハンバーグ200g」の部分です。
でも、一部の公立学校では、せっかく200gのハンバーグを配っても、調理師の焼き方が下手で焦げ付いて180グラムしか食べられないところや、生徒のお行儀が悪くて走り回って他人のお皿を落としてハンバーグが食べられなくなってしまっている学校もあるんじゃないかな?(笑)
私学助成は、国が責任を持って税金で面倒を見る公教育「ハンバーグ200g」の部分を私学も担っているのだから、子どもを通わせている納税者からすれば当たり前の権利だと感じます。
さくら様
>ということは、私学の授業料は公立と同じタダということが
>自然という考えですか?
「公費」にしろ「授業料」にしろ、元をたどれば「国民」負担です。
「国」を通して払えば「タダ」に見えているだけで、経路が違うだけですよ。
>なにをもってしてどこの線引きでハンバーグとするというところも
>まちまちでややこしいですねえ。
私的には、7時限目までは、「ハンバーグ」ということで。
冗談です。
老眼様
子どもへのまなざし、読まれたのですね。
>『自学自習で東大・京大に入学できる人間以外は認めたくない』
なるほど・・・であるなら、早々に結論を出していただきたいな。
「自学自習で入学」=「自立」であるなら、それでもイイです。
「そういう人間以外認めたくない」という感情は、「何か」の抑圧であり、
抑圧から思考しているなら、それは自律していると云えないわけですよね。
>東大出身じゃない人もたくさん偉業を成しているし、何でそんな最終学歴に拘るかな?
>結局視点さんも、東大に行くことが「得」だと思っているんですよね。
>だからそこにたどり着くための手段がお金に左右されるのは「損」だと感じている。
>その発想は、結局合わせ鏡で同じなんです。
>ある手段を選んだ人を心が貧しいと思う時、その手段を選べなかった自分自身もまた貧しい発想を持っているんだということです。
これはちがいますね。
何が得かは1人1人が決めることですね。
東大目指す人は当該合格が得だと思ってる。
医学部目指す人は医学部合格が得だと思ってる。
そう思ってる人の中で、自分が優位になるために、金をつぎ込んでフライングやドーピングをするわけでしょ。
だからいやしい。






























