アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
老眼様
競争や戦いと言う言葉を、先に持ってきたか、後で気が付いたら、そうなっていただけか
の話だと思いますよ。
「好きこそ物の上手なれ」と言う言葉がありますが、勉強と呼ばれているカテゴリーは、
括り易いから、そう呼ばれていると思っています。
では、受験勉強ってと考えた時、受験勉強を勉強しているのではありませんよね。
好きな勉強(教養)を身につけるのに、僕は自分と競争しているんだとか、戦っているんだ
とは、考えません。
だけれども、実際はかなりの忍耐と集中力が使われる事になります。
結果、自分がどこまで出来るか競争をし、どこまで続けられるか戦っているんだと思います。
当然、周りから認められるものは、それだけの苦労を伴っていると思います。
でも、それでも一握りの人しか報われないのも常です。
また、決着は競争しても、戦っても、出ないところが、笑えます。
本当に無限ですね。
では、受験勉強ってと考えた時、受験勉強を勉強しているのではありませんよね。
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凡才様
凡才様の、この言葉、以前、視点の親父さんにも言われて、私はぎゃふんです。
ほんと、、私は高校、浪人時代と、「学ぶ喜び」とかそういう事を全然見出す事が出来なかったんです。
ダメダメ生徒ですね(涙)。
凡才様のお言葉、心にずしんときます。
地域、時代様
私も、子供と一緒にやっていて、本当に思いますが、今の勉強って、昔と違い、
正直つまらないですね。
親がこう思うのですから、子供も同じだと思います。
しかし、その勉強をアレンジする事で、自分の教養と趣味に繋げられる事もできますし、
生活上手になれますね。
普段のふとした時に、たくさん得が出来るんですよ。
だから、うちの子供にも、一人で早く楽な生活したいなら、勉強を生活に生かせと
いつも言っていますが、並み以下ですね。
でも、知恵がついて、かなり子供には特があると思っています。
本当に昔の丁稚奉公時代と比べると、今の時代は、計算間違いが甚だしいですからね。
銀行でも証券でも、かなり大きな事件が発生していますよね。
自分の子供が、そういう大事件を起こさないためにも、中学受験レベルの
勉強をさせています。
学校が受かるのが目的でない為、子供と一緒に「どこ受けようか」と言う
具体的な話が出ないので、さてどうするかと考えているところです。
とにかく、応用問題が出来ても、基礎問題を落とすと私は激怒します。
とにかく、ミスを無くすよう、早く飛んでって、私を楽にしてくれ、と
言うのが、心境で、子供も「昼寝していいよ」と、そろそろ、分かって来たかなと
ほくそ笑んでいます。
老眼さん
こちらでは初めてコメントさせていただきます。
いつも有意義なお話をROMさせていただいていました。
>「競争」・・・競争が生物の子孫維持に不可欠だあることは疑いのないことで、またそれが心を奮い立たせる原動力になるというのも動物の宿命なのでしょうが、勉学のエンジンとして「競争」や「戦い」を据えることには抵抗があります。
私もこれには抵抗があります。
社会の構造が競争社会である以上、巻き込まれずに生活することって
難しいなと感じています。
人は、力を得るとその力を試してみたくなる衝動に駆られる場合が
あるのかなと感じています。
老眼さんの定義である勉強とは云えないのですが・・・・
宮本武蔵が、戦いの螺旋に足を踏み込み、命のやりとりをするという行為を
考えると純粋に力を試したいと思うグループと仕官する目的で戦うグループ
とがいたと思います。
戦いの先に何があるのか達観したいという欲求、達観した瞬間命を落とす
かもしれないのに。
これも知的欲求なのかもしれませんね。
競争社会の縮図として相撲界のシステムがわかりやすいのかなと思います。
強い者の待遇が良く下位の力士程冷遇される。
そして、実力で上に行けない者は、現状を受け入れ去るか、受け入れずに
留まることになります。
受け入れないグループは、巻き返すグループと不正をするグループに分かれます。
八百長問題が証明するように、自己の実力を受け入れない一部の不正で欲求を
満たそうとするグループがいる以上競争社会と不正は対の関係なのかなと
感じています。
老眼さんの仰るように、エンジンとしての競争、戦いは、曖昧ですが感覚として
受け入れられない自分がいます。
ここからは空想なのですが、もし、人間に観念の疎通(言葉ではない)が、
(テレパスのように)はかれる能力を授けられたとしたなら、競争は
終息するのではないかと漠然と考えています。
有史以来ずっと上下関係のある社会を築いてきた人類ですから、
この価値観の転換させるには、何か人にとって特別な価値観の変化がなくして
成り立たないのではないかと漠然と思う次第です。
空想の話をしてしまってすみません。
>自分がどこまで出来るか競争をし、どこまで続けられるか戦っているんだと思います。 当然、周りから認められるものは、それだけの苦労を伴っていると思います。 それでも一握りの人しか報われないのも常です。
対象は何であれ、継続して一所懸命やっていれば、“昨日よりも今日、今日よりも明日”の実現を誰もが達成できているのではないでしょうか。日々の変化の傾きや度合いは小さいがゆえに、その変化を意識しにくいところはありますが、本人や他者が認めるべきものがあるとすれば、まさにそのちっぽけな変化であると思います。日々の小さな進歩こそやがて大きな進歩を生む、これはことさら喜ぶべきことです。日々の小さな進歩は誰にも達成することができることで、それこそが報わるということであって、決して、一握りの人のみが報われるのではないと思います。“何かで1番になりました”“何かに選ばれました”という結果はそれはそれでほほえましいことではありますが、そういう一時的で断片的で母集団があやふやな相対的な事象をもって、報われた/報われない の判断をするというのは、とても勿体ないことだと思います。
信頼感さん
はじめまして
>観念の疎通(言葉ではない)
確かにレスは言葉を介しておりますが、書いたり書かれたりの一歩手前の状態でわたしは言葉を持ちません
あるのは気持ち、つまり、観念の疎通のみです
これは空想ものではなく現実
異論反論共感同調、いずれにせよ、
何十億人も存在するなかで、互いに関わりを持つことができるというのは
とてもありがたいことだと思っています
願いは叶うものですね
価値観の転換に関してはそのとおりだと思っていおります
今後もよろしくお願いいたします m(_ _)m































