在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
老眼さんへ
不躾な質問に丁寧に答えていただきありがとうございます。
>大学の絡みなどで国内でいわれている格差や賃金格差などは甘っちょろいもの
と仰せられていますが、この問題がこれから深刻になる可能性はあると思われますか?
時間があるときでいいですのでよかったらお答えください。
ん??
企業人様の書き込みが消されてたって事なのですか?
私が読まなかった一時間位の間に書き込みがあって、消されたって事なのですか?(涙)
追記
うちの大学の場合、男子学生は元々作家志望の子や文学者になりたい、みたいな筋金入りの文学青年が多かったので、院に進む子が一定数いただけで、就職しようと思えば、バブル期でしたので就職は全く問題はありませんでした。
あえて、文学部を選択する優秀な男の子達は院に進学する子が多いという事を書きたかったのです。
(同級生のためにあえて書かせて頂きました)
問題を投げかけっぱなしにしてなかなか立ち寄ることもできず
申し訳ありませんでした。
貴重なご意見をいただき、またいろいろと考えてみました。
消化しきれていないところもあるかもしれませんがその点はご教授ください。
他国のまねをするのではなく、これからは日本独自の価値観をというご意見はよく分かります。
アメリカは日本以上に自分ではどうにもできないフィルターがあることを
書いていただき、それは私の考えている方向性とは違うと思いました。
学校の「名」に重きを置く人たちは、今度はそういうフィルターをクリアすることに
やっきになって本質を見なくなってしまうんではないかと。
私が思うのは、万能型でも一芸型でも、
目先の損得でなくそのまま自分の持つ能力を受け入れることができ、
それぞれに社会で活かすことができれば幸せなんではないかということです。
では日本独自の価値観の根っこはどこに設定すればいいのか…。
そして根っこから発生しての全体像をどう描けばいいのか。
>「他人」といえば、「(狭い範囲の)他人」というところに彼らの「視点」はないような気もしますけど、どうなんでしょね。つまり、「他人の個人的評価」よりも「もっとスケールの大きな社会的とか、歴史的とか、経済的とか、文化的な評価」に彼らは価値を置いている。まぁ、欧米人に限らず、東洋人でもまっとうな人の多くはどの分野でもたいていそうなんでしょうけど。だから、子供を一丁前にするには、「視点」の置き方を教えなきゃならんと思ってます。それと同時に「視座」もしっかり拵えないと話になりませんけど。このあたりが、中高大「名」などにとらわれない人間に育つかどうかに関わってくるのだろうと勘ぐってます。ただ問題は、レベルなんですね、そこんところの。世界で通用するためのスタンダードレベルがいかほどのものなのか。小中高で何をどこまで?ここ熟考中。
以上は老眼さんのご意見ですが、とても共感します。
視点、視座を確個たる理由を持って設定できれば
本質を捉えて進んでいくこともできると思いますが、
そのあたり、今の日本では個人の責任にかかってくる場面が多いように思います。
だから、どういうルートがいいのかどこまでやったらいいのか
不安にもなって過剰になる人もいるし、「名」に頼る人も出てくるのではないのかなあと。




































