アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
話はかわって
■「利他」と「利己」について。
以前も書いたかもしれないが・・
マザーテレサの、恵まれない人への奉仕を続けた、原動力は、自分が「それ」をしたい(するべきだ)という、自己利益とも言える欲求とリンクしてるのだと思う。
「利他的に見える行為」が、義務感や強制によってのみ、されていないことは皆さん体験してると思うし。
利他的に見える行為が「その行為をしたい。という自分の欲求」を一度通ったものであるか?
(内的な動機がある)
そこは、結構重要なんだと思う。気持ちの上で WIN WIN になってるでしょ。
「その行為をしたい。という自分の欲求」がいったいどうやって、作られているのか?
単純に、「いいかっこしたい。」
それとも、セルフイメージがあって、それに、そった行動をしたい。
相手がよころぶことは、実は、自分のよろこびだと、知っている。
そこのバリエーションは、いっぱいあるだろうけど。(相手の範囲もあるし)
「利他」と「利己」が対立するとか、「利他は、自分の欲求を抑えるもの」というよりも・・
それだと、発想が、利己を小さくして(押さえて)利他を・・・という感じになるし・・
「利他」も「利己」に取り込めれば、いいのではないかと思う。これだと利己がどれだけ大きくても、問題ない。
単純に「利他」は相手が喜ぶことこと、感謝されること、と考えた場合、社会的動物である人間は、「他人のため」に何かをすること自体を喜びとするように脳の報酬系ができあがっているらしいので、そんな無理な話ではないと思う。
社会性ってのは、ある意味「利他」の必要性を認識することだろうけど、「利他」を自分の中に自然に取り込んでいくことでもあるのではないかな?
そうなってしまえば、「利他的」行為は、自分の欲求ともリンクしてるし、本人が「自分の為にしている」と確信しても結果的にだが「利他的」行為は無理なくされることになる。
■利己の拡張 と 排他性 について
「利他」と「利己」の『己』の部分だが、これは、当然、最小単位は「自分」。
しかし、身近な、子どもや、親や、所属する団体に、なにげに「拡張」していますよね。
その範囲を、拡張することは、その範囲であるなら、自分以外への利他的行為が、利他なんだか、利己なんだかわからなくなってますよね。
第一段階としては、単純に、この発想でいいのだ(悪くない)と思います。その範囲が大きくなれば、周囲は恩恵を受けます・・・
ただ、前提が、自己の拡張なので、「線引き」は、結構はっきりしてます。
やはり「排他的」部分は、強くあるのです。
だから、自分の利益が、キライな「ところ」へ流れるなんてことになれば、拒否したくなるわけです。
キライな「ところ」が消えたらなと願うわけです。
そんなことは、自然な発想なのでしょうけどね。普通に思うことだからね。
でも、社会は、常に「線引き」の外の人や団体と一緒に社会を形成しているわけです。
ここらへんは、どうするのでしょうかね。
線引きの外は、簡単に言えば、「関係ないか、キライか、邪魔か」でしょうが・・キライな場合は、問題点があるのでしょう。その問題を認めろとは言わないし、問題点を指摘してもいいだろう。場合によっては、対立するだろう。
しかし、「存在する」のであるから、最低限の「敬意」を払わないと、どうなってもいい存在、なくていいい存在になるでしょうね。そこは。
これは、逆も真なりで、自分がそう思われても、そうされても、しかたがないわけです。
私が思うに、「自分勝手に、自分の好きなように生きる人」でも、周囲に最低限の「敬意」を持っていれば、それほど酷いことにならないような気がする。
が、周囲に最低限の「敬意」がなければ、単なる傍若無人な、迷惑な人だろうね。
「線引き」の外は、本当に、どうなってもいいからね。
(たぶん、私たちが嫌いな国って、私たちの国に最低限の「敬意」があるなら、しないであろうことを、「する」国でしょ。違います?)
「高尚な目標」とか「大志」を無理には、押し付けられるとも思えないので、「周囲に最低限の「敬意」を払って、好きなことしなさい。」ぐらいの方がいいのでは?と、私は思う。
その人の、能力が生かされるなら、実は、周囲の為になるのかもしれないし。ならないかもしれないけど、いいんじゃない?楽しそうに生きてる人が、一人増えるし。
根本的さんの
>「野望」「根拠なき自信」「誇大妄想とも思えるプライド」
>やっぱりそうですよ。若い者はそれでいいんだと言ってやるのが、大人の役割でしょう。
そこを「肯定」することは、いいことだよ。同意します。
>古賀さんの自宅一軒だけ、なぜか計画停電されていたそうですよ。
えぇ~、、これ本当なの? だとしたら凄すぎ……。
官僚の評価システムは、さっさと変えてあげるべきだよね。
出世の基準だけじゃなくて、収入面も。
天下りはダメ。でも評価(給与)システムはそのままっていうじゃ、
ワリが合わなすぎる。さすがに可哀想だ。
ほんとに高潔な志をもっている変わり者か、
政治家になるためのステップと割り切ってる人か、
レースでトップを走るのを反射的に志向してしまう人か、
そうでなければ世間知らずの、吹き溜まりになっちゃいそう。
>鉛筆なめなめ、ぶつぶつ文句、英作文にいそしんだ。そんな可能性もありませんか?
おもしろいですっ。辞書を片手に、あるかもしれませんね。
でも、当時の日本人の英作文にしてはちょっと甘いかな。
ただの理想のお花畑ですもん。
>それはどうかな?キリスト教の理想?それちょっと、日本人には合わないような気がしますが。
日本人には合わないですよね。一神教の感覚も違和感があるでしょうし。
でも、キリスト教でも仏教でも何でも、根幹のあるべき姿は似ていると思います。
人間の欲は世界共通ってことかしら。
>世界中が?キリスト教徒も?賞賛?どうかな?悪いけど、あきれただけかもよ。
>「なにこのひとたち。もう少し文句言ったら」ってね。
呆れたとはちょっと違うような…。「せっかくのチャンスをもったいないッ」はあるかも。
でも、盗みがよくないことぐらいは泥棒でも知っているでしょう。
強奪が普通の国ならば、素直にすごいと思うんじゃないかしら?
日本では普通のことだけど。でも、報道されないだけで、盗難もあったんですよね?
呆れているのは今じゃないですか?
何も言えない国民ってことは知っていたけど、こんなになっても言わないなんて…と。
>ホリエモン。ここは共感してません。
根本的さんなら、そうでしょうね。
>「国民のために(これはaimです)」働けば出世する、そうなるようにシステムを改革しないから「今までと何も変わらない」のです。
なるほど。と言いそうになったけど、単なる言い訳のようにも思えます。
結局「自分の出世がdesire」だから、改革する必要がないんですよね。
わざわざ面倒くさい国民のために働くと褒められるシステムなんて必要ない。今で十分。
古賀さんのように国のために動くと、干されちゃう。おかしいですよね。
あんなに優秀で素晴らしい人が窓際ですよ。おまけに辞めさせられそう。
内部でこっそり支持している若い人はいるようですが、表立ってはできない。
古賀さんのように「自分の出世より国や国民のため」という意識じゃないと無理でしょう。
だから「人のために働く人は素晴らしい。見習おう」という共通認識が重要だと思うんです。
そして、それができた人を最大限に評価しないとね。
事情を知った国民は古賀さんをすごく評価していると思います。
マスコミも一応古賀さんを評価していますよね。だから、私でも知っているわけですから。
停電を復旧してくれた人の対応もノラリクラリだったとか。怖いですね~。
非力だから、せめて本でも買って応援しようかな。
>無常感 さん
>何しに来てるのかなー?不思議。。。
>あなたのことは、何を書いても、まったく信用してないからねー。
いえいえ、適性さん、これは非常に重要なお話ですよ。
>キリスト教の精神と、日本人の精神の決定的な相違は、 前者が予定説であるのに対して、後者が因果律ということですね。 我々、日本人は、良い事をしたら良い報いがあると信じている・・因果律です。
>一方、キリスト教の予定説は・・良い報いがある人はあらかじめ決まっている・・それは神が決める です。
無常観さんのおっしゃるとおりです。キリスト教精神の神髄とは「予定説」にある。まさにこれが最重要ポイントでしょう。日本人は「因果律」。日本人はご利益を求めて神に祈る。「お願い」をします。すると、神はきいてくれる(かもしれない)。これでは、神が主か、人間が主か、はっきりしません。下手をすると、神は召使いになってしまうのではないか?
たしかに、どんな宗教にも「願かけ」の要素はあるでしょう。でも、キリスト教の予定説は、徹底してこれを排除した。人間の「願い」なんか無視です。この点において、キリスト教は他の宗教にはない特異的な性質を備えたのではないでしょうか。全ては神において「決まっている」。これは100%ですから、DNAどころの話ではありませんね。
「原罪」。人は生まれながらに「悪」。いかなる努力もこれを変更することはできない。厳しい思想です。でも、だからこそ、かえって人間は開き直ることができたのかもしれない。俺たちは神の前では「悪」でいいんだと、自分たちの「邪悪な」性質を肯定的に直視することが容易になった、そういう効果があったように思います。これが資本主義の発生発展に促進的に働いたという見方もあるようです。
>言霊。現代人は非科学的と笑うかもしれないけど、実は現代でも似たようなことをたくさんやっているのでしょうね。 それを、後世の人たちに笑われるかもしれない。
いやあ、もちろん、私は笑いませんよ。言霊信仰。私自身にも染み付いているに違いありません。
>・・でも、それは、鴨長明が言うところの うたかた なのかもしれません。
鴨長明のことはよく存じませんので、わかりやすく説明していただけるとありがたいのですが。
根本的さん
<<無常観さんのおっしゃるとおりです。キリスト教精神の神髄とは「予定説」にある。まさにこれが最重要ポイントでしょう。
予定説を唱えたのはプロテスタントの中のカルバン主義ですから、キリスト教の一部分の教えでしょ。少数派らしいし、宗教としての「真髄」とまでは言えないんじゃないですか。ただし、マックスウェーバーはカルバン予定説がキリスト教を資本主義の正当化に直接結びつけたという解釈をしていますね。その意味では、資本主義の「真髄」と言えるかも知れませんね。
でも「予定説」なんて、まともに信じれるってどういう精神構造なんだろね。































