アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
老眼さん
ここまでの「神」に関する書き込みは、キリスト教の創造主、プロテスタントの「予定説」を主に、
話が展開されてきているわけですが、日本の「神」は別な概念ですね。
日本の「神」の定義は、難問中の難問らしいですが、
本居宣長「古事記伝」によれば、「尋常ではないもの」「すぐれたるもの」が「神」であるらしい。
もっとも、「すぐれたる」はプラス方向である必要はなく、マイナス方向でも「有り」、
要は、平均値から遠ざかっているものが「神」であるらしい。(必ずしも、上等なものを意味しません)
「何かに働きかける得体の知れない力」・・まさに日本の「神」は スーパー・パワー のことですね。
「神様」の存在は、現実的なものであるか、理想的なものであるかで、決まると思います。
よって、超現実的、現場処理的な私にとっては、神様の教えに当たるものは、現場を処理する自分の判断能力が、
のちの教えになります。
起こった事は、全部自分の責任であり、また自分の判断の結果だと思っています。
よって、私にとって、「神様」は存在しないので、存在自体が、理解出来ないのかも知れません。
凡才さん
>起こった事は、全部自分の責任であり、また自分の判断の結果だと思っています。
人事を尽くして天命を待つ・・という格言がありますが、
もともとは中国のもので、人間の意志とは関係のないところに「天命」があると考えられています。
「天」は「徳」が有る王朝に地上を治めさせるが、「徳」が無くなったときには、新しい王朝に交代させる
これが「革命(天命を革める)」とされた・・
血統の断絶ではなく、「徳」の断絶で王朝が変わる・・これを易姓革命といいます。
中国で「天命」は人間の世界を超越したものなんですね。(人間の力で、動かすことなどできない)
ところが日本では、人事を尽くせば尽くすほど「天命」が変わる・・と解釈されるわけですね。
逆に、天命が変わらないのは、人事を尽くしていないからだ・・こういう論理になる。
単に、怠惰なだけだ と解釈されてしまう・・結局、「天命」を待つことは許されない。
このケースで言えば、中国は「予定説」的、日本は「因果律」的 ですね。
少し論理が違うだけで、結論が大きく変わります。
根本的さん
>おっしゃるとおりです。本当の信者なら、その問いには答えられません。
>私は信者ではないから答えられるだけです。客観的な立場だから。
>無常感さんがもし信者だとしたら、それを問うのは、弱いものいじめです。
>無意味でもある。
無常感さんが、信者じゃないことはわかってる。キリスト教徒(信者)でなくても「キリスト教とは・・・」「・・意味なんですよね。」と講釈してきたのだから、なんの問題もないでしょ。
こんな意見もさん と 根本的さん の説明を「添削」するぐらいなんだからさ。
弱いものいじめでもなんでもない。「キリスト教では・・」と講釈すればいいのだからね。
意味はあるでしょ。「キリスト教では・・」どう説明しているのか分かるでしょ。
だいたいね。
無常感さん、こそ、積極的に、弱いもの?いじめするタイプ?なんだけどね。
無常感さん。気に入らないと
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>こいつ、ダメなやつだな(笑)・・
>手のうちようがないな、手遅れだね
>別途、あんたの無知を解説しておくから、そのつもりで。
>これは基礎学力の問題。
>大丈夫か? お前(笑)
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なんてね、すぐ書くよねー。(HNは違うけどね)
ここでは、なぜ、そんなこと書かないのかわからないけど・・・
根本的さんは、無常感さんと、相性がよさそうだから、大丈夫じゃない?
そうそう。
無常感さんは
こんな意見もさん に
>言っていることとやっていることが違う と思うのですが・・・なぜですか?
なんて、質問してたが。
「真善美」が好きで「無常」が好きな、無常感さんが、なぜ、HNを頻繁に変え、自分の頭の良さを自慢し、人をバカにしたり、するのかな?。
言っていることとやっていることが違う と思うのですが・・・なぜですか?
何だか難しい話になってきました。昔ニーチェを読んだりキリスト教徒の恩師と語り合ったり・・・・・・教養で宗教学を取ったり遠藤周作を読んだりもしたのですが。
結局のところたどり着いたのは「信じるか信じないか?」という一点なんですよね宗教は。麻原を信じた東大や慶応、早稲田の秀才たち。オウム信徒以外から見たら邪教というか「なぜ理性ある彼らがサリンなどばらまいたのか?」となるでしょう。
でも・・・・・・・教祖の説法を聞いたらそれを信じる者は実行に移す。疑問や迷いのある人は信徒ではない。彼らを脱会させてもまた舞い戻る人が沢山いると言います。これは理屈じゃないんですね。「理性で考えれば悪いことかもしれないが教祖の言は正しい」となるのですから。
ですから・・・・・信じる者は救われるというのは本当なんだろうし・・・・理屈をこねて「神は死んだ」なんて言っている人間よりよっぽど幸福な毎日を送っているのかもしれない。
敬虔な信徒の姿は羨ましくもあり・・・・・・囚われ人と感じる時もありです。神や信仰の問題は難しい。でも一度は通っておくべきものと考えます。
生老病死・・・・・人生は苦の連続だけどそれを支える何かが欲しいとなるとそれを外に(宗教)求めるのか自分に求めるのか(実存主義? 禅?)となるのだけれど・・・・・苦悩を経ての歓喜というのは神様が居なくても人間に与えられた特性じゃないかな? と思っています。
神、神話、共同幻想、聖戦、なんてキリスト教やイスラム世界では毎日当たり前にあるものなんでしょうね。日本人にはピンときませんが。
ねえ適性さん・・・・・・そんなに熱くならないでください。内田さんも「異論を立てる事が大事」と言ってるように誰が持論を唱えてもいいじゃないですか。 無常観さんもここのマナーある人たちの中で何かを語りたいんでしょう。 もう同じハンドルネームで投稿続けると思いますよ。
>ねえ適性さん・・・・・・そんなに熱くならないでください。内田さんも「異論を立てる
>事が大事」と言ってるように誰が持論を唱えてもいいじゃないですか。
>無常観さんもここのマナーある人たちの中で何かを語りたいんでしょう。
>もう同じハンドルネームで投稿続けると思いますよ。
異論も持論も、いくら唱えてもいいのですよ。HNもたいした話ではない。
他のスレッドでは、一番マナーの『悪い』のが・・無常感さんですよ。
(自分の立てたスレッドごと、消された人ですからね)
他のマナーある人に対しても、気にくわなければ、酷い対応でしたからね。
>マナーある人たちの中で何かを語りたいんでしょう。
では「ない」と思いますよ。
ここでは、「いつも通り」の発言すると、ちょっと不利だとでも思っているのでしょ。
無常感さんは、たぶん、私のコメントを「否定」しないで、スルーするでしょうね。
そして、他の人には、なにもなかったようにコメントするでしょうね。
(そんなことしてないなら、普通、否定しますし、否定してもいいのですけどね)
じゃい子さん
子供のころ、神様は「いる」と思ってました。今は「いない」と思ってますが、「在る」と認識しています。
要するに幼少時は擬人化してました。確かに、その頃は、「愛」というイメージがぴったりの存在として感じることができました。
ところが自分自身がだんだんと錆びるに従い、「愛」というイメージは薄れ、今では、「力」つまり物体間に働く(発見されている/未発見の)物理学的な力の作用を、文明問わず大昔の人は神や仏などの呼称で呼んだのではないか、という冷めた考えに固まりつつあります。
美しく生きた多くの人たちが先の不幸な出来事で命を落としました。
神が「愛」であることをわたしは肯定しかねます。
因果も予定も求めず、愛も公平性も親性も求めず、善も悪も求めなければ、西洋の東洋の日本のどの「神」でも「ある」として矛盾を感じません。
無常観さん
ありがとうございました
というわけで、よろずの神にこだわったのではございません。
「何かに働きかける得体の知れない力」というのもDrレオンのようなパワーをさすものではありません(笑)。
生物が朽ちると土に還り、天から冷たい水が落ち・・・ヒトの力ではできそうもないそういう出来事を「何か」がしている・・と大昔の人は不思議に思ったのではないかと。































