アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
>「それぞれの分野で社会にでてから貢献できる人材を育てる」という、本来の教育としての1つの大きな目標達成において
本音は進学実績全て。
>現状「人材を多く輩出しているのは、圧倒的に私立国立校」なのだから、
学歴だけの無能な人人材しか輩出してない。
だから助成の必要なし。
>おおむね、良好な実績を出しているところを応援する事はあっても、
受験秀才はくさるほどだしても、社会で貢献してるのはだしてない。
つまり、社会的に無価値。
議論するときには、結論先にありきで前提を作ったらダメ。
視点さん
まずは、視点さんは、「学歴なんか、関係ない」と言ってたね。いいよね。社会でも、活躍が問題だ。
で、受験の勉強なんて意味がない、あれは勉強じゃない。
そんなのに、成績がいいのは、「そればっかりに時間をかけて、してるから」だ、だから、他の能力はない。だから無能だ。
視点さんのとこみたいに、バランスよく、適当に勉強し、死ぬほど部活して、いける大学に行けば、学歴なんか、関係ないのだから、それでいいのだろ?
でも・・
視点さんは、全国の生徒に、公立で、適当に勉強し、死ぬほど部活して、「それから、俺の息子と勝負しろ。」って言ってるわけだ。
そんなに、一つでも、二つでも上の偏差値の学校に、行きたいわけじゃないのだろ?
大学でも、死ぬほど部活すれば、企業の戦力だし。
なにか、問題でもあるのか?
どーも、どうしても、「偏差値」が欲しいのではないか???
その偏差値は、俺の設定した条件での「偏差値」だ。って主張だけど。
確認するよ。
「学歴なんか、関係ない」よね。
「偏差値が高い」=「他のことができない。無能」なのだよね。
じゃあ、自分の子に、受験勉強なんて、推奨しないよね。
結論としては・・
「偏差値」なんて、欲しくないよね。
バブルが崩壊したのは1990年代のなかばでしたね。
バブルをつくったのは、1980年代でしょうか。
そのころの指導者、50台の人は、1940~50年代に高校を出ていますね。
公立高校の全盛期でした。
古き良き公立は何でもよかった、ということにはなりません。
視点様
公立私立が同一レベルでも、中一から先取り塾へかなりの塾費用をかけての塾通いはフライングですよね。
こういう塾通いはOKなのでしょうか?
これにはコメントいただけないようですね。
スルーもひとつの意思表示だとは思いますが。
>競争条件を同じにすべきという意見です。
産んだら即取り上げて収容所で育成するならDNAの差だけだけど、それは無理。
たとえ塾を禁止しても、親が必死に教えるだけ。
ますます親子関係が悪化しますよ。
同じなんて無理なのに、そこに力を注ぐことに意味があるのでしょうか。
フライングなんてホントに小さなことなのに。
公立ならいいかといえば、そうじゃないから、問題は別にあるよね。
支配構造なのかもしれないけど、結局そこに属する人間の精神構造の問題だと思いますよ。
>なにか、問題でもあるのか?
私は、日本のこれからのあるべき教育体制を議論してるのですよ。
東大理Ⅲをもちだすまでもなく、偏差値と貢献が全く一致しないひずみを修正し、人材育成を日本の復興につなげるにはどうしたらいいかという視点です。
中学、高校、大学、大学院という教育システムとその内容を、「社会での貢献」という視点から構築し直す。
そして、東大や京大が、その期待される人材を輩出できるようにする。
社会貢献など眼中にない大学受験に特化した私立は廃止し、公教育に組み込む。
もちろん、公教育のレベルを上げ、経済的に恵まれなくても、学校の授業プラスアルファで東大でも京大でも合格できる教育を提供する。































