充実した教育環境の日大付属高校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
プロ野球選手は野球強豪高校出身。
才能があるからといって、普通の公立からはでないよね。
フィギュアスケートもそう。
安堵や浅田はどれだけの環境でやってきたか。
何故コーチを選ぶのか?
スポーツやっていた人間なら、誰でも、環境の大切さはわかってるはず。
ダルビッシュ級の才能のある選手が灘や開成に入ったとしても、プロ野球には入れない。
それが、勉強になれば、環境は関係ない、才能で決まるんだって、暴論以外の何物でもないよね。
それで、そういうことをいってる人は、なぜか金かけて自分の子供は私立にいれてるんだよね。
ゆとり教育を導入しながら子供を私立に入れるような文科省の役人と一緒。
たぶん平行線議論でしょうね。
でも、それはともかく、公立出身者としては書いておきます。
例えば、国立大学で十分ですが、東大に戻しましょう。公立から、塾に通わず、通信教育だけで、理I~理Ⅲや文Ⅰ~IIIに合格できる人がどれだけいるのか?
全国には、高校時代後半で、自学自習出来る人は1学年何千人と沢山いるということを考えれば、
塾なしで合格出来る人は、とても多いと思います。より不合格のリスクを下げたいとか、そういう思考が存在するからと思います。理Iは1000名、理IIは500名も定員がありますから。文Iだって300~400名くらいあります。私立中学受験とは違います。
そうそう、今思いだしました。わたしのクラスメートは、現役で東大合格していて親友でしたが、皆に付き合わずにひとりで勉強していました。30年ぶりに飲みにいったら、実は・・ということで家がとても貧しくて、歩いて通学していたのはバス代節約していたと行っていましたが、飄々としています。「塾なんて、必要ない」って言って。塾にお金ないから行けなかったとは考える弱い奴ではないです。30何年ぶりに会ったときも、交通費の話こそすれ、塾・予備校などの話はなしでした。こういうのも、わたしには身近な例なのですが、一般化しちゃだめなのかな?キャラがあるってこういうイメージも個性の一部分なのですけど。
私も塾(ちっちゃい近所の)にいきましたが、塾に頼って合格したと言われたら、少々心外ですね。ほんと愉しいところで、先生にキャラ・華があったから行っていたんですよ。
本も、西田哲学とか、哲学入門とか古典とか貸してくれたし。
(文系のひとだったから)これって、今考えても、プラスαにすぎませんね。
・・・塾の先生って、良い人いますよ。
>30年ぶりに飲みにいったら、実は・・ということで家がとても貧しくて、歩いて通学していたのはバス代節約していたと行っていましたが、飄々としています。
昔でしょ。
私立中学だってたいして勉強せずに合格していた時代でしょ。
鉄緑なんてなかった時代でしょ。
私は、教育格差を、せめてそういう時代に戻すべきだという意見です。
随分、読解が違うなあ。
1) 環境は関係ないというのは誤解。環境は自分で作れる程度だっていっているだけです。
→ 例:わたしは毎日閉館まで公立図書館で勉強していましたが、当時、家には、冷暖房がなく、たすかりました。静かで集中できる。これは自分で見つけた場所。加えて、うちにも、ひとり全くの塾なし合格者がいます。東大合格ってそういうくらいのレベルですよ。「たかが、・・されどって奴」
2) 勉強のアドヴァイザがいたらいいが、それはMUSTではなくWANT と言っています。
大学院レベルでは教授などすぐれた先達が必要。だから大学行くのですが、わたしにとっては
矛盾ではないです。科目により学校の先生がアドヴァイザだったこともありますよ。
3) 才能だけで決まるとはいってはいない。
頭の良さだけではなく、モティベーション、それまでの18年でに育った環境。周りの人々の言葉。学校教育以外のもの。努力する資質。体力、自分への信頼、執着。生きる力の総体。それらのものが多少なり影響します。これらは、大事です。暴論の大家に暴論と言われるほど立派な暴論では、ないのです。
→それが、勉強になれば、環境は関係ない、才能で決まるんだって、暴論以外の何物でもないよね。
視点さん
>勉強になれば、環境は関係ない、才能で決まるんだって、暴論以外の何物でもないよね。
はい、暴論です。
でも、このスレで誰が「勉強になれば、環境は関係ない、才能で決まるんだ」と言っていますか?
環境は大事です。
まずは、家庭環境です。
いくら才能があっても家庭環境に問題があれば、その才能を伸ばすのは困難だと思いますよ。
才能があって才能を伸ばした優秀層は、有力私学がない地域では結果的に公立トップ高へ行きます。
これが東北地方のケースでしょう。
それに、安堵(安藤?)や浅田やダルビッシュといったトップアスリートを東大合格者のたとえにするのは、トップアスリートに失礼です。
東大へは毎年3000人が進みます。
>昔でしょ。
>私立中学だってたいして勉強せずに合格していた時代でしょ。
東北地方の例や東京都の占拠率が変わらない点から、今でも東大へ行くのにあえて中高一貫私学に行く必要がないでしょう。
それでも私学へ行くのは、優秀層の群集心理(優秀な子の多くが私学へ行くので、私も行くという心理)や保護者の「不安」とそれを利用した塾の商法の結果でしょう。
視点さん、東大受験における中高一貫私学の優位性の根拠を、思い込みではなく、データに基づいて説明できればお願いします。
「東大受験における中高一貫私学の優位性」がそれほどあるとは言えないと結論していいでしょうか?
何言ってるんだろうね。
皆「効果=環境格差」があると思ってるから、多額の金使って、「中学受験→私立→鉄緑等の塾」に行っているわけ。
つまり、払った多額のお金分の「効果=環境格差」があるというのが皆さんの認識。
「私立や塾に行っている人間と経済力のない家庭との圧倒的な教育格差ができている」という私の仮説が正しいと思うかどうかは、1人1人が判断すればいいだけのこと。
私は、受験のデータを集める受験オタクでもないし、そんなデータに興味もない。
白黒つけたい人がいれば、その人がデータを探したらいいでしょ。
>それに、安堵(安藤?)や浅田やダルビッシュといったトップアスリートを東大合格者のたとえにするのは、トップアスリートに失礼です。
そう、最後の最後どうしようもない才能で左右されるのは、彼らのようなトップアスリートレベル。
才能がなくても金の力でごまかせるのが大学受験。
視点さん
>皆「効果=環境格差」があると思ってるから、多額の金使って、「中学受験→私立→鉄緑等の塾」に行っているわけ。
>つまり、払った多額のお金分の「効果=環境格差」があるというのが皆さんの認識。
1行目の「皆」とは「中学受験→私立→鉄緑等の塾」に行っている人指します。
2行目の「皆さん」はこのスレに参加(ROMも含みます)している人ですか?
それとも、1行目の「皆」=2行目の「皆さん」ですか?
いずれにしても、思っていることや認識していること=事実とは言い切れません。
>才能がなくても金の力でごまかせるのが大学受験。
「大学受験」を「東大受験」に変えてもよろしいでしょうか?
「才能がなくても金の力でごまかせるのが東大受験」が正しのなら、東京都出身者の東大占有率が1973年に比べて上がっていてもおかしくないと思いますが。
「東大受験における中高一貫私学の優位性」がそれほどあるとは言えないと結論していいでしょうか?





























