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私立中学の価値 2校め

【2043250】
スレッド作成者: ようこそ!書き込み歓迎 (ID:4Xzxz71IPe2)
2011年 03月 02日 23:08

既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。

【2294470】 投稿者: 未来   (ID:B356RGy62cw)
投稿日時:2011年 10月 13日 22:22

教員試験の内容と
教員資格として6年生を義務付けて
学校のボランティアを含め実践も採点すること

補足)これは、大学6年ということです。

【2294577】 投稿者: 判断   (ID:7PknSJofXAk)
投稿日時:2011年 10月 13日 23:42

子どもが通っていた公立小学校のことを前に書きましたが
面白い取り組みをしてくれる先生の中には、
海外生活を経験されている方が何人かいらっしゃいました。
「なぜ」と深く考えさせたり、物事のつながりをわかりやすく
教えてくれたり。
自由に考えて提案することも推奨されていたように思います。
校長先生が有望な人材を引っ張ってきているといった
ウワサがありましたが、真偽のほどはわかりません。


うちの場合、公立小は大満足だったんですが
公立中(上の子の)がちょっと…。
当時の先生方の方針が管理主義的で、公立小で施してもらったいい教育が
どんどん薄れていくような残念な感じでした。
学力、進路、家庭環境が様々で、
まとめていくのが難しかったからかもしれませんが…。
公立小、中がうまく連携して、
「こんな教育をしています」というのが誰にも
もっとわかり易ければよいのにと思います。

【2294608】 投稿者: 未来   (ID:B356RGy62cw)
投稿日時:2011年 10月 13日 23:59

判断さん


>「なぜ」と深く考えさせたり、物事のつながりをわかりやすく
教えてくれたり。
自由に考えて提案することも推奨されていたように思います。


すばらしいですね。
やはり先生の幅広い見識ってストレートに子供に連動している。


うちの場合
田舎の学校にはまたそれなりのよさがあって
地域と連動した体験などありました。

大江健三郎さんも、愛媛の綺麗な川と山の中で育った経験が
彼の思考の一部を構築していると本で書いていました。

自然と子供は、大切なテーマかも。



>公立小、中がうまく連携して、
「こんな教育をしています」というのが誰にも
もっとわかり易ければよいのにと思います。



今、公立でも小、中学一貫校がありますよね。
現状としてそこでそのメリットを反映しているかどうか。

小学校のよさをいかしきれないのは残念です。

公立の場合バラバラに作用しているっていうところ
問題ですね。




公立にもすばらしい先生がいるでしょうけど
中学になるとしばりが多すぎて活かしきれない部分もあるのかもしれません
高校受験というテーマもかかえていますし。

【2294670】 投稿者: 遺伝   (ID:0W3M2egGq7Q)
投稿日時:2011年 10月 14日 01:30

>小学校のよさをいかしきれないのは残念です。
>公立の場合バラバラに作用しているっていうところ
>問題ですね。(未来さん)

外からみるとエスカレーターの私立でも、
ほとんどの場合、小と中高は別物ですよ。
比較的つながっているといえるかもしれないのは、
完全小中高一貫の田園調布フタバくらいでは。
近々、聖心も中学からは入れなくなるので、将来的にはそうなるかも。

小学校の教育を受け継ぐのは、学園、学院の教育理念というか啓蒙教育の部分で、
(宗教教育とか)
勉強に関する部分のリンクはほぼなく、
中学の先生からみると、ほとんどの内進生は常識も知らない
(中受組なら常識の川や山脈の名前を知らなかったりとか)
と、勉強面では小学校の教育に、クレームの嵐だったりもするようです。
これは子供の学校だけでなく、中高がある程度の偏差値の学校においては
どこも同じような話を聞きます。

小学校が、例えば、考えること、助け合うこと、認めること、認められること、
自信を得ること、努力が報われること、誰かのために何かをする喜びといった、
人としての生きていく糧を、勉強や行事などを通して育むことを重視しているのに対して、
(勉強らしい勉強ももちろんしますが)
中高では大学受験で結果を出さなければならないので、
やはり成績重視になってくるんですよね…。
大学附属の学校にしても、あまり↓だと大学からクレームがくることもあるようで、
上位校ほど高校に上がれず、出されてしまう場合も。
大学に内進するにしても、成績がイマイチだと、場所が辺鄙だったりする
人気のない学部行きになっちゃいますし。

だらだら書きましたが、エスカレーター校であっても
小学校の教育と中高は、どこもほとんどリンクしていません。
小学校をもつ学園、学院であっても、ほとんどの中高はごく普通の成績重視の学校です。

【2294843】 投稿者: 信頼感   (ID:pIp28uNP7i.)
投稿日時:2011年 10月 14日 09:31

通りすがりの企業人様

>ということで、再現音楽に行くか、インプロヴィゼーションに行くか、作曲に行くか、そもそも、表現したいものが違うのではないかと思います。表現したいものがあれば、作曲技法を習得して、自分の世界をつくれる、ということでしょう。何度も譜面を書きなおせる分楽かな、という気もする一方、ピアノなんぞとは比較にならないくらい作品を発表するのは大変なので(純粋電子音楽を除く)、どっちもどっち、かも知れません。

流石、いろいろご存知というか・・思考錯誤されたご経験からのご発言ですね。
「表現したいものが違う」とは、同意見でございます。
企業人様のように根っこがクラシックではないので、お話を伺っていて
いろいろ発見がございます。
これからもいろいろ教えてくださいませ。

私くしは、インプロの世界を生きて来た人間です。
オーケストラのようにアンサンブルというか・・ある意味調和を大切にしつつ
一つの楽曲をまとめ上げてゆく様・・(いくつものさざ波が大きなうねりとなって
まとまるような)を私も経験してみたかったなと思います。
一方、インプロの世界で私が体得したことは、インプロは会話だということでした。
4リズムのアンサンブルでも調和は、最後の最後・・・云いたいこと云い合いながら
ぶつかりあったり、共感したり、無視したり、という世界を音楽というフィルターを
介して演っていました。
時に、格闘技のようでもありましたが、そこには、お互いを強く求め合う
何とも不思議な世界であり、楽しかったり、落ち込んだりしました。
他人の目を通して(他のプレーヤー)、自分の知らない面を感じられたりすることも
多々ありました。
若いころは、スケール中心の頭でっかちなプレーばかりして、自己嫌悪に陥って
いたのですが、あるきっかけでコード進行の支配を拒絶し、メロディーを感じること
優先したら、目から鱗が落ちるように、弾けるようになったこと記憶しています。
頭と心が繋がった瞬間だったのかもしれません。
昔話でした。

【2295058】 投稿者: 通りすがりの企業人   (ID:B3w0RIsED9Y)
投稿日時:2011年 10月 14日 12:38

地域、時代さま

昨日の昼ごろにいただいたご質問への返信です。難しい内容で、遅くなりました。

噛み合っていないのを承知で、思うところを書かせてください。

音楽については、つねに、自分の中に占める領域を制限しよう、という意思を働かせて来ました。
アマチュアの仲間の中には、仕事も音楽も私よりずっと高いところで両立させている人も居ます。物理の、ある分野の大家(日本の一人者)で、プロの作曲のコンクール、ワールドワイドのアマチュアのピアノコンクールで入賞、という、親しい友人も居ます。
しかし、多くの、私レベルの凡人は、今の私以上に踏み込むと、天秤が反対側に傾くように、音楽中心になるんですね。仕事は、最低限の生活を確保するため、空き時間はすべて音楽活動、というように。そういう生き方は否定しないけれど、そうなりたくはない、と考えて行動してきたことは、間違いありません。

私の演奏は、たぶん、ピアニシモの表現はプロに負けない、大きな音も出せますが、鋭角的になってしまうのが、メカニックの限界です。譜読みは、今はともかく、昔は非常に早く、近現代の錯綜とした譜面を音にするのが得意、それから、小品より長大な曲を得意にしておりました。今は技術が落ちて何も得意なものはありません。

職業については、博士課程の専門から企業にはいるときに分野を変え(技術的な関連性は多少あります)、その後、もう一度、大きく分野を変えています(興味はあった分野ですが、技術的な関連性は、ほとんどありません)。後の分野変更は、自分から自発的にやったものではなく、事業撤退し、開発部隊全体がリストラ対象になったためです。偶然に助けられ望外のヒット商品を生んだのは、リストラで流れて、別部署で新しい仕事をはじめた後です。
その間、前からお話ししているように、とぎれとぎれに、文系職場にも何度も配置されたので、なんというか、無茶苦茶な会社人生です。

それで、趣味の音楽を除き、ひとつのことを継続した、という意識は、あまり無いです。

そういう私自身の経験、および、昔の仲間の活躍状況をトレースすると、あまり薄く広い知識よりも、深い専門性や、研究開発の方法論を持っていたほうが、環境が変わっても、適応できるのではないか、ということを感じています。中途半端な専門性の人が、新しい展開を恐れて殻にとじこもる、それが、専門●鹿のように見える、とも感じています。逆に、評論家的にいろいろなことに首をつっこんであーだこーだ言う人もうまくいっていないですね。
リストラ前に、私の部下でシミュレーションパートを担当して、学会でも注目されていた、理論物理の若手ドクターが居ました。彼は、リストラ時に、超一流大学からの招聘(助教授ポスト)を袖にして開発から営業フロントに転身し、さすがの私もびっくりしました。彼は、今は100人単位の部隊を率い、事業の屋台骨を背負って華々しく活躍していて、私は自分のことのようにうれしいです。

【2295074】 投稿者: 通りすがりの企業人   (ID:B3w0RIsED9Y)
投稿日時:2011年 10月 14日 12:55

信頼感さま

プロからのコメントおそれいります。

バロックや室内楽に凝っていた時期がありまして、これはこれで非常に勉強になり、楽しかった経験があるので、おっしゃることを、この経験に照らして、かみしめております。

上原さんが、ある日、セッションで、チック コリアの10の問いかけに、2か3くらい、返せるようになったと感じた、その日、チックに、いっしょにアルバムをつくらないかと誘われた、と言っておりました。

時間があったら、私も、こういう経験をしてみたいです。ピアノに向かって、一人で対話するのは、けっこう孤独なんですよね。

【2295122】 投稿者: 根本的   (ID:feby7YDNQDI)
投稿日時:2011年 10月 14日 13:43

信頼感さん


>私は、インプロの世界を生きて来た人間です。
>インプロは会話だということでした。
>時に、格闘技のようでもありましたが、そこには、お互いを強く求め合う何とも不思議な世界であり、楽しかったり、落ち込んだりしました。


 舞台芸術の方はとくに、こういうところを最も大事にしていらっしゃるんでしょうね。目前の聴衆の喝采、単純に聴衆を酔わせることができるかどうか、それだけが勝負だ、という世界?だから、「自分の評価」より「他人の評価」という結論になるのでしょうか?


 芸術作品の評価は「歴史に残るかどうか」だと書きましたが、舞台芸術はその場で消えてしまいますからね。それが唯一の価値というわけにはいきませんね。それはあくまで結果論だし。「歴史に残った」ならば優れた作品と見なせる、とは言えるでしょうが、それは十分条件に過ぎない。分野にもよるでしょうし。


 私はクラシック派ですが、コンサートには行きません。もっぱら、レコードCDでのファンです。でも、やっぱり、ライブ録音でないと聴く気にならないんですよ。スタジオ録音では、「会話」とか「お互いを強く求め合う」という雰囲気が感じられないからでしょうね。ただし、新しい録音はまづ聴きません。「歴史的録音」が好みです。

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