アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
そもそも学校歴社会が弱まっていく中で、企業は実力ある人材を採りに行きますね。その中で中学、高校、大学や大学院に行く価値とは、生徒の側では一体、何なのか。
・・・実力を付けること。これはこの30年の変化です。(*)
以前は、良い大学に入って、「レッテル」を得ることがありました。(**) あとは人間力アップとばかりに、部活・合コン・趣味で授業は、友達のノートで済ます、出席は代返ですんでいました。(非難している訳でなく、それでも優秀なひとはその後の努力で通用した)
しかし、今、それではすまない、ところが少しだけある。そこでは、全てにおいて進みが早く、知識の吸収・消化も驚くべきスピードで求められる。知的社会という部分。
30年前というと1980年ですので、コンピュータも普及し始めた頃。知的社会ではなかったです。そのころ学生は二極化していましたが、そのときにそういう雑駁な学生生活の過ごし方をしていたら、2010年代の世界では、スペックアウトであることは多くの会社では明白です。(グローバル化していない、残された聖域とも言うべき部分や学校教員では通用する)
同じ学校を出ていても違ってみえます。できるかできないかは、同じ大学・大学院卒といっても天地ほども違います。学校で判断はできない。これは企業に取り重要です。かかるコストが一緒でも仕事のアウトプットが10倍以上も違うからです。以前は入社年次と大学が同じなら給料は一緒でしたが、いまは年で数百万万円-もう一桁は同じ学校出で同じ職場でも違うと思います。これは出世するとかしないとかではないです。(ライン管理職が沢山貰うとは限りません)
ということは実力を付けるか付けないか、が鍵になります。
学校歴でない社会とはそういう社会と思います。
ここで書いたことは視点さんと矛盾することは言っていないと思っています。基礎学力あればあとは部活に打ち込めば、よい。これです。わたしも完全に同意です。生きられる世界は狭いですが、そのような社会はあり、教育のベースライン、基本です。
でも、”もし知的社会を目指すなら”は、社会が変化しているので、企業人さんや私のいうように、高校時代から科目を勉強して、それが大学・大学院で実力になるようにしないとその社会からおよびが掛からない、ということだけです。これは、教育ではOptionの部分。{能力に応じて」の教育。合い補う部分でしょう。
知的社会については、
今、公立からも狙えます・・・未来さん、ご安心されて下さい。
私立を活用しても良い。・・・・私立派の皆さんが受験させて悪いことはないと思います。
塾なんて関係ない,害毒すらある・・・視点派の皆さんとも同意、
実力あれば、塾を活用してもよい。・・・鉄緑に通ってもかまわない。
英語より国語が先・・・英語が苦手でも大丈夫。「銅メダル英語をめざせ」(***)
ではその先、2020年に向けて、どう変化していくか。2010年と同じ戦略でよいのか・・・・
考えどころは尽きません。
(*)趣味で大学に入り直すとか、花嫁修業で、というケースは除外します。驚かれるかもしれませんがそれ以前は、実力無くても大学教授になっているひとが難関国立でさえ多数みられました。
(**)誤解を避ける為にひとこと。英語をやらなくてもよいということではないです。国立の受験英語は結構、国語の試験です。・・・国立大学の英語は英文和訳、要約があるところは英語の姿をした国語力を見る試験なのです。あとはリスニング。出来ても所詮、英語力で言えば、20点低レベルです。だから逆説的ですけど、英語は出来なくても良いが、英語の点数は低くては困る。これが例えば東大の二次の英語の本質的なところだろうと思います。
単なる感想ですが、
先週、某アジアの国の若い友人と飲みました。
(一緒に仕事をしたことがありますので旧職場の会。東大院卒の優秀層レベルの力は当時からありました。)
今は、日本の大臣などが来ると会議において大臣同士の通訳などもしているようです。・・・彼は母国語と、英語、日本語がよくできます。一緒に仕事をしていたとき彼はポスドクでした。今は、さらに日本の大手企業の現地法人の役員もしているそうです。語学で生きているわけでは決してないです。語学プラスαの専門性が大切ですが、彼はまさに語学+αの体現者に見えます。日本語もさらに磨きが掛かっていました。
自分の持てるモノ/知的財産を棚卸ししてとことん見つめ、逞しくステップアップしている。学校歴が彼の人生を決めているわけではないです。平均よりも多くの子供を抱えて家庭面も驚くほど基盤がしっかりしている。こういう40代の人を見ると、日本にもこういう若い世代のチャレンジャーを育てないといけないなあ、その学びの基盤と根っこの動機が必要だな、とつくづく思いました。因みに彼も国語力のことを言っていました。
弱点さん
>無常感さんならば、新たな○○主義を提示できそう…と思っていました。
>リアル世界でお待ちしております。
新たな○○主義・・なんて滅相もありません。時代の移り変わりを、見詰めているだけで。
そういった観点では、サンデル教授はとてもおもしろいですね。
①「福利の最大化」(帰結主義、功利主義)
②「自由の尊重」(義務・権利論:リベラリズム、リバタリアニズム)
③「美徳の促進」(目的論:コミュニタリアニズム)
欧米では、①、②の「正義論」が主流だったわけです・・そこでは「正義」は、「道徳」とは別の問題であると。
ところが、現代を見渡せばわかるとおり、①や②の観点では解決出来ない多くの問題が生じています。
そこで、サンデル教授はアリストテレスまで遡って、③の観点が重要だと主張する・・「共通善」のあり方です。
近代経済学の基本的な帰結は・・
市場に規制をかけず自由に委ねれば、「神の見えざる手」が働いて、その結果、最も社会は豊かになる
(効用最大化)が達成される・・そういうことなんですね。
まさしく「予定説」的だし、最初はとてもおもしろいのですが・・だんだんヘンだな・・と懐疑的になっていく。
たとえば・・
売春して金を儲けて何が悪い・・自分の身体を使うだけだし、誰が困るわけでもない・・
このように主張されたときに、①と②の観点では、抗弁するのはとても難しいですよね。
そこで、目的論が重要になってくる・・その身体は売春するためにあるのか?・・と。
>私は誇りだと思います。
>日本人としての揺るぎない誇り。
>個だけでは、どうしても弱いように思うので。
そう・・日本人としての 美徳 ですね。
>世界の中で、日本人ほど信頼されている国民はいないように感じます。
信頼・・かどうかは分かりませんが、
「日本が好き」か、「日本が嫌い」か、と世界中の人たちにアンケートをとったら、
ほとんどの国で「日本が好き」が優位だったらしいですね・・「日本が嫌い」優位は中国と韓国だけです。
日本はもっと自信をもっていいと思います。
遥か昔の小学校時代を思い出すと「授業参観」で母親が来るとなると・・・・・今日はちょっといいところ見せないといけない・・・・と子供心に何だかわくわくしたり嬉しかった記憶があります。
それが今は母親同士の私語がひどかったり携帯メールに熱中していたりでまともに授業参観していない親もいるらしい。
親がそうなら子供も集団生活のルールなどどこ吹く風。先生も本当にやりにくいと思うし鬱になってやめる新人が出るというのも分かります。東京から東北の学生に先生募集のリクルートツアーやっても「都会の学校は怖い」としり込みされてしまうそうだ。
公立小を良くするのにはまずもって親を教育しなければいけません。その親が前記のていたらくなのだから・・・・・・・・・・私立中に逃げようという人達がいるのも分かります。
老眼さん
>>神の視座をもたず、どこまで個が育つか
>神を信じる信じないは別として、 わたくし個人の糧にしたいので、
>どうか、これについて、 無常感さんのお考えをお聞かせ願いませんか。
私的に「神の視座」と書いた意味は、「キリスト教の創造主」とは限定したものではなくて、
人間を超越した絶対的な存在・・そういったものです・・別に「宇宙」と言ってもいいです。
絶対的な存在を反対概念(テコ)として「個」を育てる・・それが肝要である と私は思っています。
ただし、「個」を育てること が最終目的か?・・というと そうではないのですね。
それはあくまでも、法華経でいうところの「方便」であって、そのまま固執するのではなくて、
わざと「崩す」のですね・・そして、また、作り直す。
「空」とは、「有」でもないし「無」でもない
・・このトンチのような謎解き・・その答えは、
時間とともに移り変わっていく「無常」にあると、私は考えています。
私がもっているイメージは、DNAのらせん構造のように少しずつベクトルを変えながら、
無1→有1→無2→有2→無3→有3→・・とスパイラルに移り変わっていくイメージです。
たえまなく続く、「無」→「有」 ・・このプロセスを経るために、
どうしても、「絶対的な存在を反対概念として「個」を育てる」・・これが重要なんですね。
「有」を目指す局面、局面で見たら、「予定説は正しい」のですが・・
いずれ時代、環境に耐えられなくなる。だから、自ら崩すのですね・・シェーンハイマーが発見した
「生命観」・・細胞の機能と同じです。
よって、一見すると矛盾する「予定説」と「無常」は、並立出来るといえる。
そこが「動的」平衡のおもしろいところです。
そして、 無1→有1→無2→有2→無3→有3→・・ このスパイラル ですが、
・・これが「生きる」ことと理解しています。
>それが今は母親同士の私語がひどかったり携帯メールに熱中していたりでまともに授業参観していない親もいるらしい。
授業参観に今も参加している身からの感想としてもこの風景です。
確かにマナーとして困ったものです。
ただ、私語については、背景があると思います。
乳児健診等でのアンケート調査で7割の母親が「子育てについて悩みがある」と回答しています。その内の32%は、「子供を産んだことに一度は後悔したことがある」と回答しています。
核家族化、転勤に伴う頻繁なコミュニティー移動によって母親は、十分な子育て情報に接することができていないと思うのです。
街角で井戸端会議をしている母親の集団を散見しますが、地域の生の情報得る上で必要なことなのだと思います。
それを授業参観の場で(廊下)大声盛り上がっちゃうわけです。
見かねた先輩ママさんが、キリッと注意する場面を何度か目撃しました。
講習会などで就学前の母親へのカウンセリング、マナーの周知をするも必要だと感じています。
-------統計局資料より--------
平成18年調査の女性労働人口:2759万人(前年比9万に増)
労働人口の50%はサービス業
15~39歳女性の就業状態
昭和62年:49.9%→平成19年:59.9%
末子3歳未満を持つ女性の有業率:33%
第一子出産後7割離職
------------------------------------------
それとは、別の問題としてシルバースプーン様の仰る「ヤカラ」があると思うのです。
私も役員を経験しましたし、「ヤカラ」と向き合うことがございました。
公共サービスを「お客様は神様」的発想でいかなる制約も受けず、権利を主張する方が少なからずいらっしゃいます。(実際に主張しないだけでこのような価値観を持っている養育者は少なくない)
責任の上に権利は存在するはずなのに。
休んだ日の給食代の返還を要求するような親もいますから・・・疲れます。






























