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私立中学の価値 2校め

【2043250】
スレッド作成者: ようこそ!書き込み歓迎 (ID:4Xzxz71IPe2)
2011年 03月 02日 23:08

既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。

【2303840】 投稿者: 地域、時代   (ID:72dLRaJYHr6)
投稿日時:2011年 10月 23日 00:56

世の中,勝ち/負け,これが現実にあることはわかっております。
共栄・共存という選択枝を求めることは意味合いとして小さいのでしょうか。 
勝ち/負けを幼少時から叩き込めば,その価値観が優位なものとなるように,共栄・共存を叩き込むのは間違っているのでしょうか。

老眼様

私の、個人的生き方ですよ。
私は「激烈な競争をする相手」と「共栄、共存する相手」を明確に自分の中でわけております。
なので、、激烈な競争をする相手の中に、自分の心惹かれるものを見つけた時、相手から優しさを見せて貰った時、胸を引き裂かれる思いです。
なので、第一線でやっていた時は、仕事仲間とは、お茶してバイバイ。
仲の良い仕事仲間でも、自分と得意な表現が違う人と色々相談をしあっておりました。
でも、やっぱり、彼等と話していても、どこかで一線を引かねばならない。
結果、仕事の利害関係のない昔からの友人、仲間との何気ない無駄話や長電話(笑)が何よりの心の糧だった気がします。

【2303846】 投稿者: 地域、時代   (ID:72dLRaJYHr6)
投稿日時:2011年 10月 23日 01:03

信頼感様

お話ありがとうございます。
いえいえ、、狼の皮を~なんてとんでもない。
私は、信頼感様のような夢の分野に飛び込んでそこで飯を食ってる男性達の強さ、知っておりますから。
本当に強くなければ出来ない事です。
子猫ちゃん~なんて、似合わない似合わない。
信頼感様がいてくれる事によって、お母様達本当に心強いと思います。

【2303847】 投稿者: 適性   (ID:.EHeG/LNF/Q)
投稿日時:2011年 10月 23日 01:04

老眼さん

>話の流れで。
>世の中,勝ち/負け,これが現実にあることはわかっております。
>共栄・共存という選択枝を求めることは意味合いとして小さいのでしょうか。 

私は、子供であっても、勝ち負け勝負に挑んだり、それにわくわくするのは自然なことだと思っています。ある意味、求めていることです。

勝ち負けを意図的に排除することは、私は、あまり賛成しません。
(手をつないでゴールとか)

共栄・共存とは、自分の役に立つことで、他者をフォローするわけですから。
ある意味、どこかで、勝たないと(役にたつ)難しいのではないですか?

自分の「強さ」を求め、その理由が、自分の為だけでないということではないですか?

究極的には、自分が、負け続ければ、相手は勝ちつづけるのですが、それでは、なりたたないのが、社会でしょう。
ただ。
自分より弱い相手に、勝つ必要もないのに、わざと勝負をしかけ、勝って喜ぶのは、論外ですけど。

そうですねー。では。
勝ち負けの関係ない、武道は、合気道ぐらいです。
お茶や、お花は、勝ち負けは、たぶん、ありませんね。

【2303849】 投稿者: 凡才   (ID:56ynyx5gAKg)
投稿日時:2011年 10月 23日 01:07

もう遥か昔の話ですが、そう言えば、まだ私が就職したての頃、高校の友達から三星電機の名刺を頂ました。私も、

そちらの業種には無知だったのもありましたが、今を思えば、その頃は、まだまだ日本に名前は浸透していなかった

と思います。それに比べて、現在は、かなり日本人にも名前は浸透しているのではないかと思います。

別な業種で言えば、ロッテは子供の頃から、チューインガムがあったような気がします。ロッテは、日本の企業では

ないと知ったのは、かなり大きくなってからです。話が外れてしまいますが、朝鮮人参のチューインガムを食べたの

は、就職して、初めて旅行に行ってからです。

【2303850】 投稿者: 適性   (ID:.EHeG/LNF/Q)
投稿日時:2011年 10月 23日 01:07

老眼さん

そうそう。

無敵ってのは、最強の人ではなく、敵がいない人だそうです。

【2303859】 投稿者: 地域、時代   (ID:72dLRaJYHr6)
投稿日時:2011年 10月 23日 01:20

共栄・共存とは、自分の役に立つことで、他者をフォローするわけですから。
ある意味、どこかで、勝たないと(役にたつ)難しいのではないですか?

適性様

そうですよね。
私の個人的な話を発展させると、、適性様のおっしゃるような状況になってくると思います。
自分にそれが出来ているかは疑問なんですが、リアル社会では、私は今、自分の職業で闘う立場におりませんので、他者(若者)のフォローをしていますもの。

【2303861】 投稿者: 量的   (ID:gMEgW33mp2w)
投稿日時:2011年 10月 23日 01:27

未来さん、
それは確かに”時代”であり、”歴史”ということなのかなと思いますが、わたし個人の置かれた境遇・環境でもあります。

繰返しになるので、スルーしていただいて結構ですが、
酒飲み話でついでに書きます。

良いか悪いかを一切考えずに振り返ってみますと、私が小学→中学→高校→大学生きた時代とは、高度成長期で、社会全体に競争原理の意識の強い社会であったこと、そこで弱者になった場合に切り捨てられた傾向があったということです。


個人の事情では、(あまり書きたくないですが) わたしは小学校では、身体が弱かったことと、低中学年では普通の存在で、今から想えば非常にきつくいじめられていました。当時は「いじめ」などということばもなく、生きるのにいっぱいいっぱいでした。わたしは当時、自家中毒にさいなまれていて、朝礼などではよくぶっ倒れていましたが、担任の先生などは、やさしくはなく、結構ほっとかれてきつかったのが強い印象です。越境が主体のクラスメートも基本きつかったです。


母親は塾というモノは知らず、周りの意識の高い御母様方に育てられた旧友達、・・・当時日進、四谷大塚に通った優等生や、主要教科は皆5というような良い児童がいました・・に囲まれて、特に優秀でもなかった。芽が出たのは中学生くらいから。暖かい先生と暖かい友達に囲まれたような3年間の公立中学生活でした。小中両方の環境が学習面にまずは役立ったと思います。


でも人間的に成長したのは、高校生と浪人の苦悩の時代。大学時代もそうかもしれません。でも劣等感・負い目はありました。それが軽減できたのは、研究室の教授や先輩に、ことのほか評価されはじめたころ。誰しもが、深い負い目のよいうな思いをどこかにもって生きていることが最近わかりました。それが整理されて、開き直りというか前向きになると、一種土台になってくるかもしれません。・・・自分語りに陥り過ぎました。


夢破れて自殺した人も5-6名はいます。夢が叶った後に自殺している人も。一杯一杯だったのでしょう。ビルマ戦線で水に辿りついて死んだ日本軍の兵隊さんの様でした。これもある意味で、「厳しいな」という切迫感を自分の中に生んだと思います。マスコミ的には、競争社会の「殉教者」的なもので言われました。今は自殺は非常にネガティブですね。このことは良いことです。


わたしも頑張らねば、という方向にどこか駆られたことも確かです。(これを肯定的に言ってるわけではありません。念のため。)


昔のイメージ、いわば「崖っぷち感覚」と違う所なのでしょう。今の人にこれをオーバーラップさせて見るなら、親が引いた「安全でまっすぐな線路」のイメージ。現実の日本あるいは世界の社会の実情からの乖離。この辺が、このスレのグローバルな部分に多く接する人々からも、またドメスティックな社会からも、指摘の核となるポイントは違うようですが「両方から今の時代、ちょっと変だよね」と言われる部分なのでしょうね。わたしにはそのように感じられます。


今の私立中高一貫校も公立も、自殺者は最も避けねばならないという優先度の高い項目になっています。そのため、進学実績が犠牲になったり、しゃにむに頑張るワイルドな生徒が育たなくても、それは仕方が無い、との整理(苦渋の選択ですが) この状況の中で、建設的な提案とは、マスプロ教育の制約からどれだけ個に則した教育が出来るかです。


解決の糸口はどこなのでしょうか。パソコンを使える教師が5割程度(私の見立てでは5割以下ですが)という状態をまず変えて、さまざまな電子教材を生徒一人一人に則したものとして届けられるとするなら、状況は変わるでしょう。どなたかが指摘された様に、それは日本が最もおいていかれている所です。これでは先が憂慮されます。この辺りの具体的な対策をタンタンとすると教育の質は何段階か、違ってくると思います。そして、加えて、様々な崖っぷち感覚は少しは必要なのでしょうし、個人個人の動機も必要です。


ノスタルジックに昔の時代を復活するのではなく、「個」の教育、「キャラ」を大事にする教育が私の中高での基本イメージです。「普通人」にも多様なキャラが本当に多くありますが、社会が、技術革新や社会システムの進化などで、単純労働から徐々に解放されていくとき、そういう部分が先進国では大事になってきそうですね。


<未来さん>
>やはり、量的さんの時代の人って骨がありますよね。

【2303864】 投稿者: 地域、時代   (ID:72dLRaJYHr6)
投稿日時:2011年 10月 23日 01:30

老眼様

「共存、共栄」は、前提とした「競争」をセットで子供達にやって貰う必要があるんじゃないかな、、と。思います。
前提に競争、、がないと、幼少期に「共存、共栄」を強烈に叩きこむ事は、私は少し難しいのではないかな、、と。
なので、意味合いとしては決して間違っていない。
しかし、その「共存、共栄」と、セットで「勝ち負け」も同時に教えないといけないような気がします。

「命」についてもそうです。
この前、私はフナの実験の話をしました。
たぶん、本を読んで幾ら「命は大切なんだ、尊いものなんだ」と言われても、きっと、あの時の友人の一言には叶わなかったと思います。
なので、競争の体験とセットで共存、共栄を教える事で、より一層共存、共栄の意味を子供達は強く意識出来るんじゃないかな?、と。私は考えます。

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