充実した教育環境の日大付属高校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
たしかに、「社会的価値0」の人はいないのかもしれません。しかし、様々な性質において、相対的な優劣はあるでしょう?クローン人間でもない限り。
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根本的様
様々な性質において、相対的な優劣は「ある」その事は理解しております。
ただ、私はスポーツでその「優」を大人から無理矢理引っ張り上げられる体験をしているので、「伸ばそう」(他者の手で)という言葉があまり好きでないのかもしれません。
本人が「伸びたい」と思う気持ちこそ大切で、それが「劣」の部分でも全く構わないと思うんですよ。
私はとにかく、その道が好きでもない子供に、その能力があるからって無理強いをする大人ってものが好きではないのです。
頭がめっちゃエエからって勉強の道に進まなくてもエエやん。
運動がめっちゃ出来るからってスポーツ選手になる必要もないやん。
本人が好きな事を人生をかけてずーーと出来る、それが私にとっての幸せな生活です。
だから、うちの子にも「好きな事をずーーと出来る」人生を歩んで欲しいです。
それが、仕事じゃなくても良い、趣味でもよい。
なんか、一つ、人生の中で「これやってる時、最高!」って一生の何かを子供には見つけて欲しいです。
未来さん
>たとえば、大根の漬物名人がいるとするではないですか、
>それとアインシュタインではどのような優劣になるのですか?
大根の漬物つくりという「性質」において、名人は「優」、下手な人は「劣」。これ客観的事実。でも、アインシュタインとは比べられません。違う「性質」ですから。学問という「性質」においては、アインシュタインは「優」、私は「劣」。これも客観的事実。当たり前のことです。
ついでに言うと、こうした評価自体には「我性」「自我」は関係ありません。ここに「我性」という情念の働きが加わると、「自分」が「劣」であることに苦痛を感じるコンプレックス(劣等感)、あるいは「優」であることに快感を感じる優越意識が発生して、客観的評価が困難になります。
地域、時代さん
>「我性」を捨てて、難しいですぅ~。。。
いやいや、捨てる必要はまったくないんですよ。
自分の中で別々に考えてみればいいだけのことです。
「個性」 私はアインシュタインより「劣」である。単なる事実。
「我性」 悔しいなあ。羨ましいなあ。妬ましいなあ。






























