充実した教育環境の日大付属高校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
無常感さん、
カントの「自律的自由」、センスのいいコメントありがとうございました。
切り口として分かり易いですね。
<補足説明>
カントの「自律的自由」は定言命法にしたがうもので狭義ですが、それとラズなどの少し広義のものまでとった「自律」であっても、幼児の行動例での自律を含みません。より、わかりやすく易く言えば、親にしつけられて、やってはいけないことをしないようにできることとは、むしろ、自律の対である
他律(heteronomy)を含むと考えます。理由は他人の命令や法に従って行動することであるためです。
(これも下記WEBに、関連記述があります)
「大人にとって生活の理想は、自己支配と自らによる方向決定である。 大人であるということは、自分の決定は自ら行ない、 自分の計画は自ら選び、自分の将来は自ら決めるということである。 それは、自律的な選択を行なうことである。」
http://plaza.umin.ac.jp/~kodama/ethics/wordbook/autonomy.html
弱点さん
付け加えておきます。
日本国憲法については、
素晴らしいとは思っていなくて
無常感さんの云われている叡智の上に立っているということは
認識していても
あまりにも、時代にずれていたり
改正していかなければいけない問題が沢山あると思うのですね。
でも、そういうことって一般の国民が本当に学ぶ機会って
なかなかかいとのではないかしら。
法学部の生徒なんかはやるんでしょうね。
この国を見たとき今までのんきにしていたつけは
全部国民に回ってきている状態。
総理大臣なんて誰がなっても同じとかいった
空気さえあった。
でも、震災のあの時のトップの状態
その後のこの状態を考える時
もう無関心でいるわけにはいかないというところにきている。
相手を打倒するには、まず相手を知る必要があるように
日本の国を立て直すには、やはり日本国憲法を
子どもの教育として考えるアイデアは
なかなかすぐれていいると私は考えました。
量的様
「自律」の件、翻訳の問題なのかと感じておりました。(ニュアンスの問題とお話したのはそのことです。)
で、言葉のニュアンスをお互い修正できたと思います。
そして量的様のニュアンスは、明確に理解しました。
ただ、日本では、このように「自律」という言葉を学術的にも使用しておりますのでご容赦ください。
弱点様
>いじめた側でしょうか? いじめられる側でしょうか?
どちらの側も分け隔てなく同じ考えです。
>試練を受け入れて納得したとしても、そこにある種の我慢や諦めは生じたと思います。
もちろん、それもありです....我慢、諦めとなるとコンプレックスに昇格します。そして次に同様なことがあるとコンプレックスが発動し「諦めたのは君のせいじゃない」と自我を保護してくれます。それを人は責任転嫁と受け取る場合があります。
やり取りで、語気が荒くなってしまったかもしれません。
ご不快な思いをされていたらごめんなさい。
量的さん
量的さんに御礼を言われると恐縮してしまいます。
アメリカの学生さんは製造業に戻ってきているのですか。
物に価値を置くという、ちょっと明るい兆しなのでしょうか。
私は、優秀な人は普通の人の目線を忘れないでほしいなと思っています。
いろいろなものを託される立場でしょうから、使命として持ってほしいです。
大変申し訳ないことなのですが。
高校の「温室のイチゴ」、子どもだけでなく大人も温室なのではないかと思っています。10年以上も3万人の自殺者。去年のトップは主婦だったとか。
主婦ってことは、たぶん専業主婦やパートの女性ですよね。ちょっと驚きました。
人が苦しさに負けてしまうのは、なぜなのか。
こちらでいろいろな話を聞くにつれ、やはり何か弱くなっている気がして、
温室と関係があるように思えて、何かを変えないといけないと意味もなく焦っています。
無常感さん 未来さん
>だから、まずは、その論理をきちんと理解して、
>必要であるのなら、日本の事情に合わせて改正する・・こうあるべきですね。
それはそうですね。
欧米人の知恵の集約なのでしょうけれども、理想だったのでしょう。
自らの国の憲法とは違う。追随する気もない。
子どもの教育でも理想を教えますよね。しつけも理想を教えます。
それはそれで必要なことなのですが、それだけでいいのか。
現実も教えないといけないのではないかという思いを消すことができないのです。
ギャップが大きすぎるんですよね。
そこも学びの一つなんでしょうけれども、どうも乗り越えられない場合もあるようなので。
信頼感様
私ならばお気遣いは不要です。
なかなか思い通りに受け止められなくて、申し訳ないことと思っています。
>我慢、諦めとなるとコンプレックスに昇格します。
>そして次に同様なことがあるとコンプレックスが発動し「諦めたのは君のせいじゃない」と自我を保護してくれます。
>それを人は責任転嫁と受け取る場合があります。
次に同様なことが起こる前に、我慢や諦めた時点で、
どうにもならないこと=自分のせいじゃない、と自我を保護しますよね。
私はいじめられた側の話しかしていないのですが、
これも人から責任転嫁といわれることなのでしょうか?






























