充実した教育環境の日大付属高校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
老眼様
>同じことをわたしも過去に書いたような気がするのですが,
そうでした。
こちらでの議論でも、自律、自立が人格形成において重要であることに異論を唱えている方はいらっしゃらないと思います。自立、自律性を備えていれば、学問、修行、何でもストレスなく(やらされているとか我慢じゃなくて)取り組めます。我々は、強いられると伸びず、好きなことほど没頭できることを経験的に知っています。じゃ、強制は全てだめかというとそうではなく、信頼感が育っていれば、今は必要ないことでもやがて必要になるだろうことを受け入れ、強制をストレスなく受け入れることもできます。(これが初等教育)
信頼感→自律的判断→慈愛のある強制を受け入れる、ということが可能です。
ですから、向かう方向とは、自律、自立の獲得、老眼様の仰る通りだと思います。
>ご指摘にあったように,ニュートラルに思考することを試みているのですが,うまくできません。
複雑化したものを考えるのは苦手です。ですので世相や背景、感情という要素を出来れば排除して原因を知りたいと考えています。
イジメの問題でも、イジメる側、イジメられる側の価値観に左右されます。「イジメをなくそう」と始めた話が、何時しか価値観を強いる議論になります。どういう経緯でイジメをするようになるのかを突き止めるだけで、実態は見えてきます。(一応、イジメに至る経緯のひとつのパターンは、説明させていただきました。)イジメを受け、心に傷を受けた人への外野の対処は、また別の話です。
飲酒運転の話を引き合いに出しましたが、「ひき逃げによる要救護者の保護」を目的として罰則が強化されました。善悪を判断せずに純粋に要救護者の人命を最優先する目的と考えると、「罰則」「賠償なし」とした方が、逃げる人が減ると思いませんか?でもそんなことは出来ない。感情が許さなし、公平性、秩序も保てないと錯覚しているからだと思っています。
こういう問題は、ロボット(感情を勘案しない)に判断させてみて、その判断を真剣に人間が議論してみることもよいのかもしれません。(金融業界ではやっているようですけど)
人命最優先が目的→厳罰化→感情最優先となる結果....これでいいのでしょうか?
人間の心には、社会的善悪の価値観を重んじる「ペルソナ」と自己の生命を最優先に思考する「影」から構成されています。(私はそう信じているだけ)「影」の価値観は自己の生命を守ることが目的ですので、人間の決めた価値観にとらわれません。むしろ、それを無視する方向に行動します。「影」にとって「ペルソナ」で得た価値観は、無価値ですから。特に社会で人格否定をされ自我が傷つきそうな場合に「影」が働きかけ、自己否定を防ぐ為に責任転嫁をさせます。これによって自己否定を回避し、心の安定を得ます。(責任転嫁している本人は、その論理矛盾すら気づかない)
このように価値観を重んじる人格と価値観は、無価値であり生命に主眼をおく人格から形成されていると思っています。
人の行動を考察すると「ペルソナ」の部分は、わかりやすく、社会的善を基に思考すれば理解しやすわけです。一方、「影」は、価値観を無視しいていますので思考するうちに矛盾してしまうのです。何故矛盾するかと申しますと「ペルソナ」の人格によって「影」を考察するからです。「ペルソナ」は価値観の権化ですから。「ペルソナ」の価値観とことごとく違う思考や行動をとってしまう人格がいる自己の存在について悩んでしまうわけです。
「影」は、可哀想、残酷、惨い、悲惨、生命倫理....etcという感情を意識しません。或は意識しても行動を決める材料にはならない。
「影」というものの行動ロジックを把握したければ、善悪の判断をしない、価値観を持ち込まない......感情を無視して「影」を考察するしかないと考えるわけです。
過去を振り返って、「何故あの時、あのような言い訳めいたことを主張してしまったのか...」と考えたりしませんか?「ペルソナ」人格で思考しても原因はわかりませんし、行動の是非ばかりに執着してしまいます。間違いなく云えることは、「影」によって言い訳を選択する必要があったということだと思います。その言い訳を公使しなければ、自己否定に向かう危険性があったのだと私は理解しています。
長々とニュートラルの必要性を述べてみました。
>幼児期の自律獲得における内と外というくだりがございますが,内から外への移行,これはどのように行われるのか
何でしょう....このようなことを述べましたっけ???
>ニュートラルな思考に結びつくのであれば,むしろ信頼感さんに分析していただけるとありがたい
だめですよ、分析もできませんし、仮に出来るような立場であったとしてもそんな無責任なことはできませんよ。
無常感さん
やはりせき立てられるように子どもの教育を考えては
いけないってことあると思うのですね。
はい、数学はこちらの塾
英語はこちらね。なんて親が次々用意するのは
子どものためになるのかなと。。
最終的に大学に勝ちとすればあとからなんでもついてくるという
いままでがあったからでしょうか。
>おっしゃるとおり・・突破力をもつためには、オリジナリティが必要ですね。
オリジナリティって自分自身の摸索から始まりませんか?
韓国が、ノーベル賞がなかなかでないのは
もしかして、教育が競争しすぎて
創造を伸ばす時間がないのじゃないかな。
中には、アメリカ留学している子どももいるので
こちらの方が、のびのびしていそうです。
無常感さん
>一方的に電話を切られたことがあります。
ああいうのも、成長に役に立っているのでしょうね。
わざわざ苦労を買う必要もないとは思いますけど
若い時どんどん挫折をしておくほうが
よいかなと思っています。
安全な道ばかり通る人生ってそうはないでしょうけど。
今の生き方ってお金がなくても
工夫して、趣味や自給自足に取り組むっていう
価値観も生まれてきましたよね。
老後の年金もそのうち70歳とかになるんなら
豊かとはなんぞやなんて考えるきっかけに
なっているのかもしれません。
老眼様
コメ返した内容....解りにくいですよね。
飲酒運転の厳罰化も私の中では、繋がっているんですけど....ちょっと不適切だったかもしれません。
先日、根本的様と未来様に同意していただいた「母性の大きさで父性を受け入れられる大きさも決まる」という話.....。私的には、散々繰り返し同じことを述べてきたつもりなんですけどね、要するに全然、意図が伝わってなかったわけでして、その原因は、偏に私の文章力のなさ....漸く同意されたことを喜びつつも、不甲斐なさに凹んでおります。弱点様にもちゃんと意図を伝えられず.....一瞬、途方に暮れたりもしました。
とりあえず、端的に述べられるように精進します。
無常感様
>携帯電話が当たり前になって、会話が安直になりましたが、
むかしは、ガールフレンドに電話をかけたら、おっかない父親が出てくることもあるし、
どうやってそれをクリアするのか・・大変でしたね・・
そうですよね....どうやって連絡してたんだろ....もう忘れちゃったけど。
とりあえず、会話の想定問答はしてましたね。
■信頼感さん
「ペルソナ」と「影」を仮定すれば、人の行動を説明しやすくなるとは思ってますが。
>「影」によって言い訳を選択する必要があったということだと思います。その
>言い訳を公使しなければ、自己否定に向かう危険性があったのだと私は理解し
>ています。
必要性があったとして・・・
>「影」の価値観は自己の生命を守ることが目的ですので、人間の決めた価値観
>にとらわれません。
であるなら、私は・・「影」が存在したとしても、それを「どうこうできるものでもない」というイメージを持ってしまうのですよね。
私は、もっと階層的な意識、無意識で考えてしまいます。(もっと相互に交流のある)
で・・
「自己の生命を守る」のが、本能なのか、DNAなのか、影なのかは・・・ちょっとおいておきまして・・・
以前、ミラーニューロンは、動物に「も」ある。と書きましたが。
内容は、またまた、うろ覚えなので、あまり正確ではありませんが・・・・
その先があるようです。
人間に近いチンパンジーやゴリラでも、ミラーニューロンが脳内で反応しています。
ただ、チンパンジーは、基本的に、自分に、直接攻撃があれば、文字通り「自己防衛」しますが。仲間が、喧嘩や、やられているのを見ても、あまり反応しません。見てるだけだそうです。
ところが、ゴリラは、
仲間同士の喧嘩を、より体の小さい子供のゴリラが「止めに行ったり(仲裁)」する。
それで、怪我をすることも、たまに、あるようですが。
力の強いゴリラが弱いゴリラを受け入れて自らの行動を「抑制」することができる。
それを、子供のゴリラが期待している。ということです。
(仲裁は年輩のサルには、少し、みられるらしいが・・)
困ってる?『仲間』を助けようとするのです。
この行動は、かなり「共感力」が高いのではないか?と推察されています。
ゴリラは『フェイス トゥ フェイス』ができます。
猿と人間の大きな違いは相手の目を見ないということで。猿の場合は、相手の目を見ることが威嚇になってしまう。目を見ると脅したと思って逃げるか、逆に攻撃を仕掛けてくるんですね。ところがゴリラは、相手の目を見ても威嚇にならない。じっと至近距離で相手の顔をのぞき込むことがある。
さて、
社会的価値観の少ない、言葉のない、野生動物が、なぜ、利他的行動ができるのか?(集団での、生き残りを優先するという考えもありますが、それは、おいておいて)
面白い話でした。
ミラーニューロンは、同じ種同士が、同じ空間で活動することが、大前提です。
同調するのですから。
『周囲の人?』が「何を」しているのかが、重要になります。
逆に、他者と過ごしても、その他者から、虐待を受けた場合、幼児なら、脳の発達が阻害されます。
研究では、肉体的、性的虐待、無視は発達期の脳に構造的にも化学的にも重大な影響を与える事が分かっています。
これは、その後の対応で回復可能と言われています。しかし、虐待を受けてから治療を受けるまで時間が経つに従い、神経回路の修復は難しくなるとも言われています。
人間ですから、行動、や感情が、かなり固定された神経回路やホルモンなどの化学物質で変えられてしまうのも事実です。
幼児期の教育というのが、何が必要かといえば、平和な環境であることは、間違いありません。
「共感力」が高い子が多ければ、自然と他者を大事にしますから、外部から強制する必要が少なくなるでしょうね。それは好循環になるでしょう。
書いたあとですが・・ネットで
参考になる?のがありましたので・・・私が読んだのは別ですけど。
山極さん
http://www.iias.or.jp/academic/pdf/book/sample_s27[削除しました]
茂木さん
http://d.hatena.ne.jp/logues/20081219/p2
[削除しました] は [削除しました] です
>「母性の大きさで父性を受け入れられる大きさも決まる」という話.....
母性、これこそ「共感力」の原点でしょうね。
『フェイス トゥ フェイス』ですから。
しかし・・私は兄弟の年齢が近かったので、
母親には「抱き癖がつかないように、あまり、あなたを、だっこしなかった」と、大人になってから、さらっと言われましたが・・・手遅れでしょうか?(笑)
まあ、そういうこともあって
幼少期の母親の母性が「足りない」と・・・取り返せない、それで決まる。
といわれるとつらいので、そうでもないのでは?と思うのと。
重要は、重要ですが、現在は、「多くの手」で、母性が補完されればいいのでは?
という考えです。
信頼感さん
>「影」の価値観は自己の生命を守ることが目的ですので、人間の決めた価値観にとらわれません。むしろ、それを無視する方向に行動します。「影」にとって「ペルソナ」で得た価値観は、無価値ですから。特に社会で人格否定をされ自我が傷つきそうな場合に「影」が働きかけ、自己否定を防ぐ為に責任転嫁をさせます。これによって自己否定を回避し、心の安定を得ます。(責任転嫁している本人は、その論理矛盾すら気づかない)
自分のアイディンティティが覆されることにおいて
無意識は、ものすごい勢いで抵抗しますよね。
これを客観的にみることができなければ
ある意味ツボに入ってしまい
自分の人生においてこれを繰り返すことになると思います。
人生とは面白いもので、自分がクリアできていない問題が
繰り返し襲ってくることがあります。
しかし、価値観というのがなんであるかに気がつけば
柔軟に対処できるのではないかなと思っています。
その場合相手と自分を切り離して考えることができるように
なるからです。






























