アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
無常感さん
早く読むのがもったいないという本に久しぶりに出会った
感覚です。
現代において、すべての学問は分業の方向をたどっている。それによって
たしかに学問は、より精密になり、より正確になるが、同時に全体な
視野を見失いやすい。
鋭い指摘ですよね。
未来さん
>現代において、すべての学問は分業の方向をたどっている。それによって
たしかに学問は、より精密になり、より正確になるが、同時に全体な
視野を見失いやすい。
まさにそうですよね。学者が失敗しやすいところですね。
残っている文献を読んで、「書いていることだけが正しい」と言っていても仕方ない。
以前申した「知の考古学」と同じように、梅原氏に言わせれば、
時代をさかのぼって、法隆寺が建ったときに立ち返り、
イメージを膨らませて、その時代がどんな時代だったのか、
当時の人たちが、どんな気持ち、思いでこの寺を建てたのか、
そこを深く考えないと、法隆寺は分からない ということなのでしょうね。
当時、文献として書けないことが、たくさんあったでしょうね。
書いてしまうと、言霊が生まれ祟りがありますから・・なにせ、人の名をよんではいけない時代です。
書けなかったこと・・梅原氏は、それを残った痕跡から推理するわけですね。
体調は崩すは忙しいわで、ロムしていました。
量的さん、老眼さん、未来さん始め、遺伝にレスしてくださった方、
スルーになっちゃってごめんなさい。
>金融機関の人も、全員「円高は、ありえない」と、誰かに騙されていたのでしょうか? それとも、知っていたのでしょうか?(適性さん)
金融業界の人といわれるウチの旦那と仲間たち。
たぶん3年以上前から、円は70円台は当然に。
もしかしたら60円台にいっても不思議じゃないっていってたよ。
米国の状態が悪すぎるから、そうすると一時、極端な円高にふれると。
大きな買い物や取引は、今でなくていいなら待て、みたいな。
ただツカエナイことには、いつ?っていうのが、
材料が揃わないとわからない。つまりほぼ直前(笑)
材料がでるタイミングって、ほとんど米国の気まぐれですからね…。
なので、70円台には余裕でなるなるな~ると唱えていた人も、
100円きったくらいでドル圏の不動産買ったら、さらに円が上がってショボーーン、みたいな。
ただ70円台にそなえ、ヘッジのための余力は当然残してたから、問題ないみたいですが。
とはいえ、ドル建てのfeeは、ないも一緒。ほっておくしかないでしょうね。
数理経済学の準天才×人並みはずれた野生の勘を備えた文系猛者の集団でも、こんな感じです。
極端な円高になるのはわかっていたが、
それがいつかは、なかなか予測しづらかった…みたいな。まあ、一例です。
上の訂正
誤)数理経済学の準天才×人並みはずれた野生の勘を備えた文系猛者の集団でも、こんな感じです。
正)経済学、数理経済学の準天才×人並みはずれた野生の勘を備えた文系猛者の集団でも、こんな感じです。
適性様
コメントありがとうごいざます。
>別に、自己都合でも「いい」のではないでしょうか。
適性様の過去ログの一部を拝見しました。
過去にやり取りがあったようですね...重複してしまって申し訳ないです。
適性様の「利他性」に全然考えが追いつけておらず、もう少し考えてみたいと思います。
>他者を救うとは、自己の拡大という「側面」があります。
他者を、他者としてみるのではなく「自己」としてみるわけです。
なるほど、「他者を自己としてみる」....納得できますし、ミラーニューロンにも繋がります。
>それが、近所、学校、などの属性、集団的属性でなくても、様々な人と交流することで、自分の世界が広がれば、それだけ「自己」も拡大します。(当然、うすまりますけと)
コレも、納得なのですが....コレでイイのかと考えると....まだ自信がもてません。
なにが引っかかるかというと(当然うすまりますけど)...というところです。
人間の世界だと条件が複雑すぎるので、やっぱり、アリ、ハチで考えてみました。
ハチで考えると、兄弟の為に自らの命も差し出す....個と兄弟のDNAは、近いので個の差が、少ない→兄弟を自己として考えれば「自己の拡大」と解釈できる。
それとは別に、先日少しお話した、個の差が少ない→主体性に欠けるという...仮説。
飛躍し過ぎとは自覚しているのですが、どうしても引っかかるのです。
人間で考えると、自己は、他者を通して自己を理解します。
「鏡映的自己」と云われますが、相手が自己の映し鏡となりそこで類推することで自己の価値、自己肯定、自己愛、感動などを認識します。正にミラーニューロンが深く関与していると思われます。
で、個の差がないと他者と自己の区別が限りなくできなくなり、個の意識の希薄化が起ると思われます。そうすると「主体」もその意識が希薄化すると思うのです。
適性様のお考えになる「様々な人と交流することは、自己拡大をもたらす一方、そのコミュニティでの個は希薄化する」(解釈が違っていたらごめんなさい)と解釈するとコミュニティ内での主体性はあまり発揮されない方向になる....このような意識が利他的行動を導いているという(コミュニティの主体と個の主体が似通うので).....漠然とした疑問が拭いきれない状況です。
主体性弱→利他的行動の一因となっている....とか....思いつきですけど。
コミュニティにおいて個が、積極的に利他性を発揮しているのではなく、主体性の弱まりから何を行動してよいか判断できず、その属性の利と思われる方向に従っているだけってことも可能性として否定できず....ひねくれて考え過ぎでしょうか....。
適性様への反論とかそういう意味ではなく...ガツンと歯車が噛み合わない部分もあり(あくまで自分の中での話です)、どう考えればよいのか立ち往生しています。時間のあるときにまたご教示下さい。(利他性を遺伝子から離れて考察してみました。)
>製薬会社や、医療機器メーカーが、儲けすぎなら、消費者に、利益還元するのはいいことです。
>では、オリンパスには、金がない・・なぜ?あんなことになったかな? (適性さん)
>医療機器のことについては値段が高いのですね。
>米についても、ここは開発などする人件費がかなりかかっているからではないですか? (未来さん)
すいませんが、具体的なことは、あんまりよくわかりませーん。
>強い企業が残って、、強い国になるのだろうが・・・ (適性さん)
結局それしかしょうがないのでは?
>でも、農業に関しては、利益ということだけでなく食の安全ということに付加価値があると思うのです。中国だって韓国だって他の国だって日本の食の良質な安全性を買っていたのですよね。 (未来さん)
このあたりに焦点をあてれば、強い企業として生き残るチャンスもあるのでは?中国韓国その他のアジア諸国にはない一段高いレベルの「付加価値」で勝負するしかないでは?これからの日本は。だから、オリジナリティなんですよ。大事なのは。そうでしょう?
無常感さん
>>でも、もしかしたら、プリンシプルがない、というふうに見られてしまいませんか?
>>とくに、西洋関係の方から。
>まあ、いいじゃないですか・・他人から、どう見られたって。
>そろそろ、日本人も他人の目から自由になりましょうよ。
いやいや、私はプリンシプルを重視する立場だから当然そう思うんですけど、無常感さんは「世間の目」重視なんでしょう?だったら「西洋人の目」を気にしなくてもいいんですかって、ご忠告申し上げたんですよ。ご忠告。
>アメリカの学者は見方をあまり変更しないのでしょうが、
>では、フランスの学者はどうですか?・・多分、無常を大絶賛だと思いますよ。
>アメリカ人なら「たしかに信じられないな」と言うし、フランス人なら「そりゃそうだよ」と言いそうですね。
ほら、やっぱり、気にしていらっしゃるじゃないですか。
でも、アメリカ人じゃなくて、フランス人の目でしたか。なるほどね。もしかして、レヴィ・ストロースとかのファンでいらっしゃるのかな?
>学者的、官僚的の区分はエラーですね。
>また、官僚といっても、アメリカの官僚だったら、見方を変更しないのでしょう
>だから、政権交代のときに、人(官僚)をまるごと、変えるのでしょうね。
そうそう、アメリカでは官僚だってプリンシプルがない人間は信用されないんでしょう。そもそも西洋人だろうが日本人だろうが、いい年して原理原則がないなんて変ですもん。だから、当然日本でも「政権交代のときに官僚をまるごと変えること」が必要なんですよ。でも、日本の現状は?学者ですら、リーマン・ショックやらで雲行きが怪しくなると、簡単に変節する。ブッシュ政権で勢いづいていた頃は市場原理主義の何が悪いなんて息巻いていたのが、いきなり反省文、謝罪文を書いて出版したりするわけ。みっともない。あの敗戦で、軍国主義から平和主義にいきなり180度方向転換したのと同じじゃないですか。ついでに言うと、教育勅語が平和憲法に変ったのも同じことです。
無常感さん
>ただ、理系の方は、理系学者に関して、その研究内容にこだわる傾向がありませんか。
>福岡氏は、他人の研究の紹介はとてもうまいが、自身の研究のオリジナリティが無い
>・・といった感じではないですか。
これは違います。福岡さんはサイエンスライターですから、「研究のオリジナリティ」なんてなくてもいいんです。「他人の研究の紹介」がうまければ、それで十分ですよ。私が問題にしているのは、この人の思想傾向の方です。この人は、「堅実派」。ワトソンのようにスタンドプレイをする人間が大嫌いなんですよ、きっと。
週間「バカ新潮」が書いていましたが、スティーブ・ジョブズは傲慢で鼻持ちならない奴だったそうです。ワトソンもそうだったのかもしれません。私だって、ジョブズになるならいいけど、ジョブズの付き人にはなりたくない。だから、周囲の人間に疎まれ、アップルから追い出されたんでしょう。それはわかりますよ。でも、アメリカなら、そういう奴でもやる気と能力さえあれば、いくらでも再チャレンジの道が開けているのでは?
日本はどうですか?「理系的」人間が自由に能力を発揮する邪魔をしているのは、「文系的」なひとたちではありませんか?「文系的」といっても、学問的(梅原猛のような)ではないひとたち、官僚的でマスコミ的なひとたちではありませんか?私には、福岡さんはそういう人に見えるということです。ちなみに、内田樹さんも。






























