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【2043250】私立中学の価値 2校め

投稿者: ようこそ!書き込み歓迎   (ID:4Xzxz71IPe2) 投稿日時:2011年 03月 02日 23:08

既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。

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  1. 【2328023】 投稿者: 未来  (ID:i8D4Aw.Vf52) 投稿日時:2011年 11月 15日 15:33

    根本的さん


    >アメリカでは官僚だってプリンシプルがない人間は信用されないんでしょう。

    アメリカって宗教もっていないと人間としてどうよみたいな
    感じみたいですね。日本人のこの受容感は日本人の価値観として
    受け止めたらているかどうかはわからないけれど

    イギリスは、関係なかったですね。
    あそこは、やはり階級社会がベース。
    宗教は後から都合に合わせて作った国ですものね。


    ジョブズ氏 傲慢で鼻もちならなかったんですね。
    バカ新潮なるものの存在があるとは知りませんでした。

    根本的さんのおっしゃる通り
    理系の場合
    日本では、いまだに和の心とか協調性ばかりが先行して
    こういうタイプは、凡庸なそれらに圧力をかけられ
    開花できないみたいです。

    そういった意味では、アメリカは懐が広いわ。

  2. 【2328029】 投稿者: 未来  (ID:i8D4Aw.Vf52) 投稿日時:2011年 11月 15日 15:36

    遺伝さん


    無理は禁物ですよ。
    スーパーウーマンだって休息は必要ですから
    ちょっとマイタイムみたいなの作ってブレイクして下さいね。


    金融専門家さんと同じ見解をしていたなんて嬉しいところです。
    どうかんがえても世界とアメリカと日本のバランスを考えたら
    60円台はそれほど突飛な発想でもなかった。


    私が予想していた18年ぐらい前はアメリカいけいけどんどんだったけれど。

  3. 【2328034】 投稿者: 根本的  (ID:feby7YDNQDI) 投稿日時:2011年 11月 15日 15:40

    地域、時代さん


    >先程日本の医療制度の良くない点を数点書いて下さっているのですが、他にも根本的様からみた日本の医療の良くない点ってどういった所があるのでしょう?


     具体的なことはよく知らないんですが、たとえば、救急医療とか。よく話題になるでしょう。救急車のたらい回し。東京でも大阪でも。なんでそんなことになるんだろうって疑問に思いませんか?病院なんていっぱいあるのに。知り合いに聞いたところでは、日本は中途半端な病院は多いけど、しっかりした救急体制を組んでいる病院が実は少ない。それで人材が分散してしまっているということがあるらしいですよ。救急医療というのは、マンパワーがなければとてもやってられないみたいです。あんまり報酬も出ないしくみになっているようだし。


     しかも、病院長など上のひとたちにそういう現状を改革しようという意識が乏しい。たぶん天下りみたいなひとが多いんですよ。夜間診療なんて、現場の職員はみんな嫌なわけです。そこを、地域住民のために職員を説得して、なんてパワーのある病院長はいないということでしょう。基本的にそこは定年後の老人たちの椅子でしょうからね。病院を統合してマンパワーを結集するするなんてとんでもない。自分たちの椅子が減ってしまうじゃないですか。それじゃ老後が心配じゃないですか。要するに官僚と同じマインドなんですよ。逃げ切ることしか頭にない。

  4. 【2328093】 投稿者: 根本的  (ID:feby7YDNQDI) 投稿日時:2011年 11月 15日 16:27

    未来さん


    >ジョブズ氏 傲慢で鼻もちならなかったんですね。
    >バカ新潮なるものの存在があるとは知りませんでした。


     「バカ新潮」って、橋下大阪府知事が自分の出自をバラされて言った言葉ですよ。肉親が同和だかヤクザだかってね。「バカ文春」も同じこと書いちゃってさ。新潮、文春もね、左翼全盛のころは読みごたえがあったけど、今はすっかり御用週刊誌だ。ポスト、現代の方がよっぽどおもしろい。私は、橋下さんには期待してるんです。比叡山焼き討ちやってくれるのは、信長は、やっぱりこのくらいのひとかな、なんてね。


    >理系の場合
    >日本では、いまだに和の心とか協調性ばかりが先行して
    >こういうタイプは、凡庸なそれらに圧力をかけられ
    >開花できないみたいです。


     そう思いますよ。ですからね、TPPにも期待しているわけ。少しは変わるきっかけにならないか、と。どうせ日本は外圧がないとダメだから。

  5. 【2328208】 投稿者: 適性  (ID:hEFiR5iy/m6) 投稿日時:2011年 11月 15日 17:51

    ■根本的さん

    >日本はどうですか?「理系的」人間が自由に能力を発揮する邪魔をしているのは、「文系的」なひとたちではありませんか?「文系的」といっても、学問的(梅原猛のような)ではないひとたち、官僚的でマスコミ的なひとたちではありませんか?私には、福岡さんはそういう人に見えるということです。ちなみに、内田樹さんも。

    福岡さんは、知りませんけど、邪魔してますかね?
    内田さん?

    二人とも、有名という意味では、マスコミ的でしょうが、さて、官僚的なのか?

    官僚的・・の「悪い」イメージとしては

    強烈な自己保存本能をもつ
    主張も、場所によりけり、対応も、人によりけり。
    困ると、煙に巻く・・。
    慇懃無礼と、不遜が、交互に出てくる。

    というイメージだが・・・

    内田氏の文で・・・(※企業人さんは、読まないように(笑))
    *********************************************************************************
    秀才たちは官僚であれ、ビジネスマンであれ、政治家であれ、査定者(それは上司であり、メディアであり、株主であり、有権者である)のまなざしをつねに意識している。だから、何を決定するときも「説得力のあるエビデンス」を求める。エビデンス抜きの直感的な決断を彼らは自分に許すことができない。「あとになって言い訳が立たないこと」ができない。エビデンスとエクスキュースが整うまでは「フリーズ」して待つ。それが秀才のピットフォールであり、その「遅れ」はときにシステムに大きな被害をもたらすのである。
    誤解してほしくないが、私は秀才が「悪い」と言っているのではない。そうではなくて、上から「正解」が示される前に、論拠も言い訳も立たない時点で、なお自己責任で決断が下せる人間を、統治の要所に一定数配備しておくことはシステムの保安状必須であろうと言っているだけである。
    別にオカルト的な能力が要るわけではない。身体感度と判断精度を体系的に涵養すれば、「胆力のある人間」は組織的に生み出すことができる。現に、武道はそのためのものである。それゆえ、「胆力のある人間」の育成は教育の最優先課題であると私は言い続けてきた。しかし、教育行政の要路にもメディアにも、私に同意してくれた人はひとりもいない。
    *********************************************************************************

    これは、大学でも、会社でも、社会でも、同じであって。
    「変わり者」を、一定数確保することが、集団の延命になることは、ずっと主張してると思う。
    それに、教育は、現場に任せろ。口出しするな主義だろうし・・

    でも・・
    *********************************************************************************
    浮き足だって、「とにかく既成のものはみんな壊せ」というようなことを口走って、それでよい結果が出るというふうに私は思わない。
    とりあえず日本近代史を徴する限り、「みんな壊せ」というようなことを口走った政治運動はすべて「大失敗」に帰着した。
    日本の社会制度の中にはまるで機能不全のものもあるし、そこそこ機能しているものもあるし、ずいぶん順調に機能しているものもある。
    その「仕分け」が重要である。
    だが、その基準をほとんどの人は「採算」で量ろうとする。
    「採算がとれるもの」はよいもので、「採算がとれないもの」は廃絶すべきだというふうに考える。
    けれども、社会制度中には四半期とか単年度のアウトカムでは良否を判定できないものがある。
    何度も書いているように、社会的共通資本はそもそも共同体の存立に不可欠のものであるから、「採算が合わない」とか「政治的に正しくない」とかいう水準の議論にはなじまない。
    「仕分け」をするとしたら、まずそれが採算を度外視して守るべき「社会的共通資本」であるのか、あるいは政治や市場のレベルに出来する(なくても別に誰も困らないもの)なのか、その見極めだろう。
    例えば、教育の場合、そのアウトカムは数値的には考量不可能である(教育の制度的目的は「知性的・感性的に成熟した公民を作り出すこと」だが、ある人物が公民的成熟を果たしたかどうかは、卒後数十年待たないと判定できない)。
    私たちの有限な可処分資源をどのようにその緊急性に応じて配分するか。
    それを決定するのがほんらいは統治者の仕事なのである。
    *********************************************************************************

    なんて書いてるので、根本的さんは、保守的に感じて「嫌い」なのかもしれないけど。・・・

    蛇足
    全然、関係ないけど、こんな、記述もあった・・・

    以前ここで、「人じゃなく、コンテンツが大事」だと主張してた人が・・いたが・・

    *********************************************************************************
    『人を見る目』というのは、コンテンツの理非については判断できないが、『この人の言うことなら信じてもよい』と判断できる力のことである。あるいは、話のつじつまは合っているが、『この人を信じてはいけない』と直感できる力のことである。
    *********************************************************************************

    うーん、これは、大切だと思うね。ほんとに。
    信頼とは、最後は、直感だからね。
    でも、見る目がないと・・カルトに入ったりするしね。

  6. 【2328218】 投稿者: 未来  (ID:i8D4Aw.Vf52) 投稿日時:2011年 11月 15日 17:57

    根本的さん


    > そう思いますよ。ですからね、TPPにも期待しているわけ。

    確かにこの状態だと八方ふさがりですよね。
    でも、改革をしてくれるかと思って民主に期待して
    裏切りどころか取り返しのつかないことになっちゃったんじゃないか
    というトラウマがある中

    TPPで立ち直れなくなったらどうしようなんて考えるのは
    やはり保守的でしょうか。



    理系夫には聞いていないけれど多分根本的さんと
    同じ発想しているんじゃないかなと思います。

  7. 【2328228】 投稿者: 適性  (ID:hEFiR5iy/m6) 投稿日時:2011年 11月 15日 18:06

    ■信頼感さん

    外見的には・・
    自己の利益や労力を、他者の為(社会の為)に使用することを、利他的というわけです。

    でも・・私が思うに・・・
    『強制以外』で・・
    自分で、自発的(主体的)に、利他的な行動することが可能な範囲は??ということです。

    たとえ所属してなくても、「共感」があれば、行動が可能でしょう。(外国への募金など)

    所属団体で、自発的ではなく、なんとなくある義務感での行動は、ありますけど。
    それは、「強制」に近い可能性も、当然あります。

    だから、外見的に、利他的行為であることと、内面的な「共感」とは別です。

    会社などで、その属性に求められていることを、選択するのは、それをしないと、自己が保証されない可能性が高いという、利己的な話でもあります。
    会社が儲けないと、会社がなくなってしまうという、運命共同体的部分もあるわけです。
    そこで、利他的行為(会社につくす)を選択する可能性は高くなります。

    物理的、精神的な距離が遠ければ、共感部分も「少なく(うすまる)」なりますので、自発的(主体的)な、利他的行動は、困難になります。(そこまでする気がおこらない)

    「共感」なしの、利他的行為は、WIN WINではないです。強制なので、ある種の搾取に感じるかもしれません。

    税金に、ほとんどの人が、「共感」しないのは、いったい、何に使われているのか、よくわからないし、税金の性質上、自分の好きなもの(共感するとこ)にだけ、税金がいくわけがないのです。
    自衛隊が大嫌いな人の税金も、自衛隊に行くのです。
    私学が大嫌いな人が、おれの税金を、1円たりとも、私学に入れるなと言ってもダメなんです。
    共感どころか、ご立腹です。(笑)

    だから、税金の使い道は、国民に説明され「共感」を持ってもらうことは必要でしょうが。
    でも・・誰もが、共感する完璧な税金はありません。
    ただ、国民の誰もが「共感」できない使われ方(仕事の無い団体に税金投入など)はやはりダメなのでしょうけど。

    無理なことではありますが・・・
    自分の、周りが、「共感」する人、地域、属性・・・ばかりなら、自分が「そこで」何をしても、WIN WINに近くなります。

    積極的に、共感する部分を増やした方が、実は、利他的行動しても 幸せに近くなるハズ。

    そうなるような、社会にしたほうがいいとは、思います。でも、現実はいろいろあります。

    自分にとって(合理的な理由も無いのに)排他的な人や、地域や 属性に、自分は、「共感」することができるのでしょうか?
    自分が大嫌いな人や、地域や 属性が「喜ぶ」ことを、自分は「共感」することができるのでしょうか?。なかなか難しいでしょう。

    強制や義務での利他的行為が、個人の幸せとは、きっと関係ない。

    ボランティアで、子供を教える、スポーツ指導者は、そのスポーツや子供への「共感」が強いのであれば、すでに、自分への報酬があるわけです。
    使命感なんて、のは、共感なしには、成立しないでしょう。

    ハチが巣を守るのは、本能的な共感と使命感によって、成立しているのではないですか?

    利他的行為だが、しかし、ある意味、自己中心的(利己的)発想でもあるのです。けっして、自分をなくしてるわけではありません。

    共感だとうが、強制だろうが、社会は、一定の『利他的行為』ぬきに「存続できない」のです。
    で、どっちがいいですか?ということです。

  8. 【2328259】 投稿者: 根本的  (ID:feby7YDNQDI) 投稿日時:2011年 11月 15日 18:33

    適性さんの引用した内田さんの文章は殆ど同意できる内容ですね。私もあんまりよく読んでいないものでね。「日本辺境論」をちょっと斜め読みして、適当に判断しておりました。すいません。でも、私は「とにかく既成のものはみんな壊せ」なんて主張してませんよ。それから


    『人を見る目』というのは、コンテンツの理非については判断できないが、『この人の言うことなら信じてもよい』と判断できる力のことである。


    これは大切な能力ですね。適性さんと同じ意見です。

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