充実した教育環境の日大付属高校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
弱点さん
>そういう上下の状態ではない何かが、きっとあると思うのですけど。
先程の私の書き込みでは、改善しなかったら、許さないままということになります。そこには、「条件づけ」がある。
しかし、自分の子供を親として躾けてもどうしても改善しない、善くならないことだってありえる訳です。いや、むしろ、そういうことのほうが多いかもしれません。では、よくならない子供を親は許さないかというとそんなことはない。「善くなる」とか「善くならない」というような「条件づけ」を超えて、そのものを受け入れる概念を「愛」というのではないでしょうか。
許しと救いの関係性を超越するもの、それが「愛」なのかもしれません。
通りすがり2さん
>無常感様が、「公立主義」で「学歴主義」と書かれているのを見て、気になることがあるので一言書きます。
このスレの中では、私は「公立」という書き方をしていますが、身近な人に話すときには、「高校」の話をする時は「都立」と「県立」、「中学」の話をするときは「区立」と「市立」ときちんと言い分けるようにしています。
(首都圏なので、「府立」「道立」は出てきません。)
憲法をもとに、理念的に私学助成を論じており、
私が公立主義と言っているのは、「(狭義の)公教育」を指しているわけで、
都立、府立、県立、道立・・・なんでもいいのですよ。
>もしかして、無常感様は、それで「私立憎し」なのかなと感じてしまいました。
違っていたら、ごめんなさい。
違いますね・・私は大阪出身、首都圏在住です。
また、私立が憎いわけでもない・・・問題にしているのは私学助成です。
>受験生の所属が、公立、私立なんて関係無い。
何度も言いますが、私が問題にしているのは、個人的欲望、受験に「公金投入」することです。
(何度言っても、一部の方には分かっていただけませんけどね・・)
個人的欲望を受験で実現することは、公立も認めていますよね。
公立一貫校も進学重点校も、大学実績と、それを実現するための受験指導を
アピールポイントとして前面に押し出しています。
そういう学校により多くの税金を投じているのはどうなんでしょう。
教育行政とか公金の扱いとかに言及するなら、
個人的欲望を問題にするなら、それを認めている公立にも、同様に批判の目を向けるべきでは。
公立、私立関係ないということは、受験に特化した学校はすべて対象ということですか?
それに、(何度も質問してますが)個人的欲望は誰にでもあるとしても、それを目に見える形で
つまり公的に妥当か否か判断できるように定量的に表せるのでしょうか。
公的に診断するときの具体的な方法を示していただければ
無常感さんの感覚を多少は理解できるかもしれませんが。
>かつて、公立の時代・・みんなとの学校行事を放ったらかしてガリ勉するのは、
「恥ずかしい」ことだったわけですね
受験私学はそういった社会から生徒を隔離して、堂々とガリ勉をする環境を整えている。
しかし、この場合の「恥ずかしい」といった感情は、社会で生きていくうえで、本来、必要なものではないのか・・
採用担当さんが書いていらっしゃるように、今は勉強すること自体かっこ悪い、
恥ずかしいと思う風潮が蔓延しているように思います。
私は、ゆとり教育によって、ゆるい勉強で満足してしまうこと、
直接的な競争にさらされることが少なくなったことが一つの要因だと思っています。
それが問題視されて、公立でも表立ってガリ勉できる、ガリ勉させてくれる学校が求められ、
人気を集めているんではないでしょうか。
第一、先にも書いたように、最難関レベルの私学では学校でガリ勉するような環境は整えていない、
むしろ受験に対しては生徒任せなところが多いと認識していますが、そこを混同していませんか?
たぶん、無常感さんの持ってくる理由が個人的感情の領域なので(個人的欲望にしても、
恥ずかしいという感覚にしても)、誰でも、どこでもあるよね、ということになり、
公につなげるほどの決定的な理由とはみなされないのではと思います。
公的助成は、学校の具体的な対策なり取り組みなりに対してされるものですから、
在学生がどんな感情を持った生徒かは、公的助成の条件には関係ないのでは。
あくまでも、学校の具体的取り組みにのみ言及することです。






























