充実した教育環境の日大付属高校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
未来さん
わたしは東北生まれで今は首都圏でお世話になっている身です。
私学知らずの流入組ですので「関東の私立中学の価値」を知りたいと思っているひとりです。
知ろうとしている立場から申しますと、
こちらで、私学の、良いこと、悪いこと、双方聞けるのはためになります。
(時とともに変化してしまうであろう)事象の真相を知るためというよりは、
じゃあどうするかを考えるため、にです。
おかしなもので、否定論を聞けば聞くほど、
否定の対象となっている私立中学や人への魅力が増します。
強い否定は、肯定っていうこと、なんて思ったりしてですね。
遺伝さん
流石御見事
弱点さん。
>全体と受け止めて不快に思う人がいることは、ここを見ていればわかります。
それで十分です。
>なぜ全体と読むのでしょうか。
よめないほうが???です・・としか言えません。
あのね。1人いたから。それが、理由になるなんてことはないよ。
『ほとんど(全体として)』そうだから、「必要ない」『理由』になりえるのだよ。少なくても。
まあ、ちょと、書いておきます。
無常感さんの主張は・・
中高一貫校の生徒は、東大京大医学部という個人的的欲望があって、「その為」に存在するのが中高一貫進学校ということだ。
その流れで、その中高一貫校の生徒について・・
(私は、その為とか 限定的存在とは思っていないけど)
>とにかく、オレが医者になれたらいい・・そんな人間に公的助成が必要でしょうか?
教育行政批判というは、行政と学校間で助成金が、やりとりされるから。
「主語」にこだわる人がいる。それが、どうした?って感じだが。
私は、実際は『誰を』批判しているか?ということが、問題であって、その「主語」なんてどーでもいいのです。
「あのAって会社、いいのか、あんなにもうけて?国からも優遇うけてるらしい。」
これだと、A会社が、批判されている。
「なにが、いけないのか?」
「いやー。あの会社の社長や社員・・自分さえよければいいって、違法ギリギリの汚い手をつかう、そんな人間なんだよ。・・いいのか国から優遇うけて」
(まあ、これは・・・事実でも、なく。1人あったのが気に食わなかったのかもしれない)
「そりゃ、そんな人間に、優遇のおこぼれが行くなんて、ゆるせないしね」
でA会社で、まともにやってる、『社員』がそれを聞いて・・どう思うか??
怒るだろ。かんたんな話だ。
A会社なんて主語は関係ない。
未来さん、弱点さん
いろいろとお手間をかけてすみません。
ご理解いただき大変うれしいです。
バイアスがかかっていない方が読むと、おふたりのような受けとめ方になるはずです。
そのように書いているわけですから。
でも、バイアスがかかって偏ってしまっている方は、
どうしてもそう読めないのですね。
おっしゃるとおりで、私は引例して私学助成を批判しているわけで、
引例は個別のものだし、野球特待生でもかまわなかったわけで、
多くの方が知っている意味で、受験私学を使ったにすぎません。
私学の生徒を攻撃しているというのなら、当然
灘はどうだとか、開成はどうだとか・・特定私学だって攻撃をしているはずですね。
私が過去に、そんなことを書いたことはありません。
また、私は個人的欲望も積極的に肯定しています・・書いてのとおりです。
恥ずかしがらず、そのとおりだよ・・と胸を張ればいい。
個人的欲望だ・・と言われてなぜ腹がたつのか?は、個人個人の心の問題です。
腹がたたない人も多数います・・そこを制約されてしまうと、何も言えない世のなかになります。
以上のように、文脈がどうだったのかということで、議論をよんでいるわけですが、
じゃあ、視点さんへの個人攻撃・・これは許されるのでしょうか?
私はこちらの方が、よほど問題だと思っています。
私学の生徒への攻撃に読める・・じゃあ、視点さんを執拗に個人攻撃していいのか?
一度、考えていただきたいところです。
公立一貫は良いことだ さん、量的さん
経済同友会の「企業の採用と教育に関するアンケート調査」結果の中に、求める人材についての項目があります。
行動力、論理的思考力、問題解決力などのポイントが上がってきています。
ある私立一貫校の責任者と話をしたのですが、この内容についてはすでに把握されていて、6年間の学校生活の中でどのように身につけさせて次のキャリアに進めさせるかということを考えていらっしゃいました。熱意とか協調性といった普遍的な要素だけでは就業環境に耐えれないとの課題意識を持っていらっしゃいました。
昨今の就業環境で言えば、製品やサービスを展開する上でのスピード感や大きな決断を迫られることが多くなっています。新入社員で言えば、かつてはミスしても許される仕事(例えばコピーなど)が派遣社員に取って替わり、ローキャリアでも難易度の高い仕事を割り当てざるを得なくなり、腰を据えて育成していくという環境が難しくなったように思います。そういう意味では、会社側も人を育てる環境としては厳しくなっているのではないでしょうか。
私も営業経験がありますが、現在は課題解決型営業が主流になってきてますので、今後より「行動力、論理的思考力、問題解決力」がさらに要求されてくると思います。
私たちが小さかった頃のコミュニケーションは対面が主流でした。対面は相手の表情や言葉の扱い方などをその場で確認しながら、またコンセンサスを得ながら物事を進めてきました。現在の新卒は、中学時代にPHSか携帯、高校ではメール、大学でSNSとバーチャルなコミュニケーションが当たり前になってきています(私たちの子供世代が大人になったときは、中学生から携帯&メール?)。
またここで難しい課題に直面しているのですが、上記項目にある背景に「子供たちの置かれているコミュニケーションのとり方の環境」があります。
具体例ではお客様(法人)への失礼があったとき、まずはお客様のところに行って会ってお詫びをするわけですが、これが出来ない。理由は2つあって、ひとつは「メールでお詫び文を送ったので伝わったと思っている」こと、もうひとつは「怒られることが怖い(相手が悪いと置き換えてしまう)」こと。
その心理的背景には普段のコミュニケーションが一方通行的になっていると考えられています。特に「行動力、問題解決力」を実行するうえでの初動部分に大きな障害があるということです。早い話が腰が重い、動かない。
普遍的な能力以外に、私たちが置かれている環境に対してどのような教育を展開していくべきか、教育関係者もかなり高い感度で対応していかなければ、アンマッチ感の低減は難しいと考えています。
文脈に関係ないことば遊びです。
>『そんな人間』という単語と使って、○○が必要でしょうか?という文章作ってみればいい。
>たいがい、『そんな人間』が怒る文書ができますよ。
こんな文章もつくれます。
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そんな人間に富や名声が必要でしょうか?






























