アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
灘の先生の意見とか京大の先生の発言とという「根拠」を示して、そのご指摘は現実とは「違いますよ」って書き込んでいるだけなのだけどね。
ここは相手が正しい意見を言っていても自分が「嫌だ」って言えば勝ちのゲーム?
視点様
>京大医学部に免疫学で著名な本庶佑教授がいたが、私の京大時代に「灘などの受験校から多く京大医学部に来ることを避けたい」とある会合で述べておられた。「なぜですか」と私が尋ねると、「難関医学部に入学することだけが目的の学生がいて勉強しなくなるし同窓生だけでつるんでいることが多い」という回答であった。そのため、「私も灘OBです」と伝えにくくなった記憶がある。
『「大学入学」が「目的」になってしまった学生が(何人か)いる(と本庶佑教授が感じている)』
という事柄だけから、
『中学受験する親のほとんどは、子供に「偏差値主義(=結果主義)」を洗脳している』
と推量するのは、少し飛躍していると思われますが。
視点さん。
最近きいた話で面白かったのは・・
人間の脳は・・自分ではなく・・『他人が受けている暴力』であっても「その映像」を見ると「不快」に思うのです。脳の反応として。
ところが。・・・ところが・・同じ映像なのに・・暴力を受けている他人にたいして
「この人は、××だから、悪い人で、ある。で、これは、罰をうけている。」という説明があると。
不快に感じるハズの他人への暴力映像でも、脳の即座核が反応し、「不快」ではなく「快」を感じてしまう。
基本構造は簡単です。
つまり、理由さえ(それっぽく)あれば・・暴力を「快」にできるのが、人間です。
「それっぽく」で、そうなるのですから・・・そりゃ・・自覚的になる必要が人間にはあるのでしょう。
まあ
視点さん。は。「この仕組み」で動いているのだな。
自分の中で、それを、何度も繰り返し、強化する。
相手が、どんどん悪いイメージになれば・・自分の攻撃は正当化されるし・・自分が「快」を感じる。
で・・このサイクルにいる。
普通なら、自分も不快になるハズの、他人が受けている攻撃(暴力)も・・・
自分は「この人は、××だから、悪い人で、ある。で、これは、罰をうけている。」と思い。
他人に「この人は、××だから、悪い人で、ある。で、これは、罰をうけている。」と思わせる。
自分の攻撃が、単なる暴力で、悪ではなく・・「罰を与えている。」ことになります。
で、他人も、その意見に同調させられれば・・自分の攻撃も、その他人には、攻撃ではなく・・罰として認識してもらえます。
さらに、自分も、その意見に同調した他人も・・・攻撃で『快』を得る。
「はまる」と、抜けられそうに、なさそうですね。視点さん。
自制的でないと、攻撃する、正当な理由なんて、どーでもよくなります。それっぽい話で十分です。
推測で十分です。うわさで十分です。
だれ1人、知らなくても・・推測でいいのですから。ブログ、雑誌、本の一部・・なんでもいいのです。
目的が、「不当なことをやめさたい」わけでもないのですから・・他人から批判されるほどの不当でもなんでもないからね。
>『「大学入学」が「目的」になってしまった学生が(何人か)いる(と本庶佑教授が感じている)』
>という事柄だけから、
>『中学受験する親のほとんどは、子供に「偏差値主義(=結果主義)」を洗脳している』
>と推量するのは、少し飛躍していると思われますが。
中学受験塾が理想とする学生の多くは「偏差値至上主義(=大学合格至上主義)に洗脳されている」とは言えるのではないですか。
その比率が多いから「京大医学部に来ることを避けたい」と言われているのでしょう。
>中学受験塾が理想とする学生の多くは「偏差値至上主義(=大学合格至上主義)に洗脳されている」とは言えるのではないですか。
それが、「唯一」の価値であると思って欲しいのは、視点さんでしょ。あなたですよ。
中高一貫校の親も子も、もっと多元的価値観が必要であると、思っていますよ。
これからの時代、○○至上主義でなんとかなるとでも、思ってるのですか?
「唯一」の価値であると、子供に、思われたら、困るんですよ。
下記の引用部分はさすがに妄想でしょう?
>>>
中学受験塾が理想とする学生の多くは「偏差値至上主義(=大学合格至上主義)に洗脳されている」とは言えるのではないですか。
その比率が多いから「京大医学部に来ることを避けたい」と言われているのでしょう。
・・・全部の灘の学生が悪いとか、「レッテル」を京大教授がそう思っているとしても、他のそうおもっていない先生は、別に「思っていない」とか敢えて言わないですよね。それからたかがが一大学教授がいったことを鵜呑みにするのもどうか。(私立進学高校を中傷するような言いぶりは、公立シンパに多い?)
灘の東大生とか、理3とか、生でみたことないからそういうこと言うんじゃないかな、と思われます。
学校でレッテルを貼るような精神は、ギャグとして”面白い”ということを別にしたら、特に必要ありませんよね。
それから、逆に、
”奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち”とか灘の校長生の本を読むと、
灘の教育は、なかなか面白そうなものも中にはある、ッテ思います。
勿論、外れもあるだろうけど。
灘から来た人は10人以上知っているけど、素通にしていれば自然に東大に行こうって思うって
言っていた人が結構、多かったですね。勿論、人それぞれで、性格も考え方も大分違うように見えますが。
そういう多様性という面ではどこも一緒ですよ。
って書きましたが、別に灘高のシンパや心酔者ではありません。
視点さん
>京大医学部に免疫学で著名な本庶佑教授がいたが、私の京大時代に「灘などの受験校から多く京大医学部に来ることを避けたい」とある会合で述べておられた。「なぜですか」と私が尋ねると、「難関医学部に入学することだけが目的の学生がいて勉強しなくなるし同窓生だけでつるんでいることが多い」という回答であった。そのため、「私も灘OBです」と伝えにくくなった記憶がある。
単にその頃にいた本庶研の灘出身者が今ひとつだった、なんてオチなんじゃないの?
量的さま
(ほとんど私信、かつ、流れには何の関係もありません。ご興味の無いかたは、どうかスキップしてください)
昨夜、PCを開いたのは、ドビュッシーに関する意見とお聞きしたかったからでした。いろいろ私の対するコメントがあったので、昨日、聞きそびれました。
>あるいはドビュッシーの取り入れたジャポニズムとして取り入れられた部分は言うに及ばず
ドビュッシーをさらいなおす必要があり、昨日は、ピアノに向いながら、ずっと考えていました。交響詩「海」が北斎の「神奈川沖浪裏」のインスピレーションであることは有名ですが、映像2集の「金色の魚」も、輪島の金蒔絵漆塗りの錦鯉の絵皿からのインスピレーションと言われています。その前の曲「そして月は荒れた寺に落ちる」は、たぶん、アジアの小乗仏教の幻想で、インドのガムランの音が聞こえます。
動と静の対比ということであれば、うなずけるのです。そして、このころのドビュッシーが多用した、5音や全音階は、東洋的と言えなくもない。
しかし、あんまり、それ以上に日本的なものを感じないんですよね。私には、プロコフィエフのほうがよほど近く感じます。
彼、ほんとうに、日本のなにかを取り入れたんですかね。
青柳いずみこさんの指摘する、オカルト趣味のほうが、しっくりくるように思ったので、ご意見を伺いたかったのです。
プロフェッショナルである信頼感さま、その他の方も、ぜひに。






























