アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
地域、時代様
>それは私の中ではすごく衝撃的な書き込みだったので、その時から、私は「信頼感様と私の職業は本質的に違うもの」という風に思うようになったのですね。
申し訳ありません。説明が不十分でした。
私がこの職業の代表として述べるつもりはありません。ただの人生観です。楽しむ=利害を無くしたいという願望です。逆に楽しめないのであれば、ソートー市場規範に引っ張られている可能性もあります。(絶対じゃありませんよ)
そして今回の件は、職業的価値観とは無関係と感じていて、人と人が尊重し合うというごく自然な価値観の話をしているつもりです。「この職業だから、そのように感じるのでは・・・」ということじゃないと直感しています。
高校生親様
やっと、本読み終わりました~。
苦手分野の本でしたので、亀の歩みのような状態で、、、(^_^;)
哲学の授業を適当に聞き流していたのが、亀状態の最大の原因?(笑)。
「タテマエとホンネ」
「建前」という言葉に「方針、原則、標準」という意味が出てくるのは大正くらいからなのですね。
そして、辞書にそれが出てくるのは、戦後。
そして、今私達の知っている「表向きだけの方針、表向きだけの原則」という意味に変わるのは1970年代になってから。
という事。
これには驚かされました。
第四部の「日本の嘘」のあたりは同意する部分も多く納得する部分が多かったです。
たぶん、本の内容の半分位しか理解できていないと思いますが、久々に「う、、難しい。。。」って本に出会えた事、すごく刺激になりました。
ありがとうございました。
企業人様
>今、いいものを作れば売れる、とか、自分が作ったものの価値がわからなければ買わなくてもいい、と思っている企業の技術者は、ほとんど表舞台に立てないのではないか。あるとすれば、コスト競争疲れ、それから、ビジョンと現場を結び付けるマネジメント能力かな、という気がしています。
私の場合商社という立場なので「製造の方」=メーカーさん全体なんですが、価値が分からなければ買わなくてもいいというのは言い過ぎですが、徹底的なコスト競争に踏み込まない言い訳け的な使われ方を含めて、この手の発言はメーカーさんからは良く出てきます。本当の製造現場の方とお話しすることはめったにないので、それが「職人気質」と呼ぶべき様なものであるのかはちょっと自信なしですが。
ビジョンと現場を結び付けるマネジメント能力、の点は全くその通りだと思います、
通りすがり2様
追記させていただきます。少しだけ意図が伝わっていないと感じましたので。
>確かに、「速い車をつくること(人を育てること)」「アクセルを強く踏めること(強い志・気持ちを育てること)」両方、大事なんですよね。
↓この部分の解釈が問題だと感じています。
>「アクセルを強く踏めること(強い志・気持ちを育てること)」
「強く踏む」が合理的選択(市場規範)として最初っから決まっていると思うのです。強く踏めないと価値がないので・・・。合理的評価に基づいて志を測れば、そりゃ「踏む」という選択しか選べませんから。仮に自分の意志で「踏んでいる」と表明しても合理性に抗うことができず社会の望む価値に心が引っ張られている可能性大だと思うのです。意志じゃなくて、実質的半強制に近いんじゃないでしょうか?合理性は遠まわしな半強制の意味合いを持っていると感じています。
だからこそ、損得で判断してはいけないエリア(気持ち、教育、愛情、信頼)があるのだと思います。
自律した個人が、多様性を否定しない社会環境で、踏むか、踏まないかのを判断することの方が重要じゃないですか?というか・・・それが出来れば、他に求めることってないんじゃないかなって思います。
「両方大事」と仰るけれど、「人を育てる」に尽きるのでは・・?主体性がなければ、志も持てません。人は、志溢れる養育者(親、先生、社会)に囲まれて育まれると自然とマネたい(参照機能)と主体的に感じるようです。志が低いと感じるなら、参照する人が少なすぎるから・・・じゃないかと思います。
地域、時代様
日本の無思想、ご参考になれば幸いです。あの本の主張はごく簡単に纏めてしまうと、充実した社会(市民社会・公)を構築するためには、中身のある・信頼に足る言葉で物事を語り、議論することが重要。日本にはそれを阻害する要因が多い、その例としてタテマエとホンネ、更には語られざる内心の存在によって、言葉が希薄化・無意味化して行くことなど...。それを変えていく案として、ホンネとしての私利私欲を貫くことを提案している、ということじゃないかと。































