アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
ピースさん
> 親は自由な環境で自由に思考し、自分の哲学みたいなものや確固たる自我を確立して欲しいと思っていましたが、
> 達成できたかはわかりません
京都は「魔都」です、あそこで学生時代を過ごしてきたものにとっては死ぬまで影響を受けるのです。
自我の確立そのものが大切なのではなく、その時代に存在出来古都の空気にふれた事、このこと自体
が息子さんのレーゾンデートルの基盤となると思います。
私は今の時期、出町柳から今出川通りを慈照寺まで歩き、若王子神社まで緑あふれる哲学の道を歩く
事が大好きでした。
かの西田幾多郎も、桜吹雪の春よりも、紅葉に染まる秋よりも、雪で白と黒の墨絵のような冬よりも
命が萌える新緑の頃が一番好きだったのではと勝手に思っています。
> いつか対等に?対話が出来ると嬉しいのですが、いつになるやら、です。
私のようなものが、横の話題ばかり書き込んでもじゃけんにされたことは有りません、それにもまして
真摯なレスをいただけるので感謝しております。
内容ではなくて、素直な感性を出せればそれで良いと割り切り投稿させていただいております。
疲れた~、今、昼寝してやっと復活。
土日私用でバタバタしてて、今やっと土日分読みました~!
書きたい事山盛りなんで、「一枚一ページで使うなよ!」って思わないで下さいね~っ。
って、思われても書くけど。。。(笑)
ピース様
公立一貫様がおっしゃる通りですよ~。
皆、対等ですから♪
私はここで、むしろ自分の無学っぷりが「ええわ~」って思ってるんです。
ここにいて下さる方達に一杯質問できますから。
で、ここに書き込みして下さる方達は、それをものすごく丁寧に教えてくれる。
それが、すごく勉強になるし楽しいです。(*^_^*)
適性様
お久しぶりです♪
野口さんの本、面白いですよ。
まだ第1章までしか読んでいないのですが、氏の話は前向きですね。
グローバル社会にあって、「日本企業が外人を受け入れるのなら、それに刺激されて、日本人社員も伸びるだろう。」
という考え方、私は、基本このような前向きな考え方が好きです。
そして、野口氏はこれを「大競争時代」と表現なさっています。
そして、そのためには「実力をつけるための勉強」が必要である、と書いています。
今までの日本は「学歴をつけるための勉強」それではこれからの大競争時代はダメ→「グローバル化時代に飛躍する手段が勉強」と位置付けて、一生懸命学ぶ事が大事。だと。
そして、氏は学歴を「能力のシグナル」と表現しています。
(以下、抜粋)
_______________________________________________
ここで注意すべきは、学歴は能力そのものではないことだ。それは、能力と相関が高いだけである。したがって学歴の高い人が能力が高いとは限らす、また能力の高い人が学歴が高いとも限らない。~(中略)しかし、他のシグナルと比べると学歴のシグナルは信頼性が高い。
_________________________________________________
↑は、野口氏の逃げ腰的な発言ではなく、氏は「能力のシグナル」というものを考えた時に、学歴をそのように捉えているという事のようです。
まだ、ここまでしか読んでいませんので、今週はかなり暇(嬉しい♪)なので、その都度アップさせて頂きますね。
適性様
しかし、最近思うのが・・「親のキャラ」です。子供のキャラの前に・・
↑
おおおおお!!!
見逃しがちな部分。灯台下暗し、ってやつですね。
子供の教育、キャラ教育、、という部分に目がいきがちで、現実「では、私は?大人は?」に目を向けるとは、、、さすが適性様です。
「親のキャラ(能力を含め)」で、出来ることと、出来ないことがあって。
出来ないことは、「他」で教育してもらうしかないわけです。
↑
おっしゃる通りかと、深く同意いたします。
だからこそ、私は幼児期の我が子に繰り返し繰り返し「人の話を一生懸命聞きなさい」と言ってきました。
これのみが(幼児期の躾以外で)私自身が、意識して「やった」事の一つです。
で、子供の教育で必要な「一部」にでも、なればいいや。ある意味、開き直りかもしれませんけど。
↑
ここの部分は開き直るしかないんじゃないかな~、と思います。
むしろ、私は個人的な理想として、親とはまるで違う方面に子が伸びていってくれる事の方が「面白い」と思っておりますから。
子供のキャラも尊重します。でも「自分のキャラ」による価値観の提示(明示、暗示とも)や選択などは「しない(押し付けになるから)」というのは、逆に教育的じゃないとも感じます。
↑
以前、別スレで書いたように、私は「一度は枠にはめた方がエエ」という考え方なのです。
「押し付け」が多少なりともなければ「何が自由で、何が不自由」なのかも??なのが子供なんだと思います。
私は昨今の「個性を伸ばそう」というお題で子供を「自由に育てる」という部分は実は反対なんですね。
「個性を伸ばすためには、一度なりとも多少の枠にはめこまなければいけない。枠にはめこむからこそ、その枠から出てきたものが’個性である’」というような考え方です。
ただ、そこで「勉強しなさい」とか「00しなさい」的な命令的な事を口うるさく言うタイプではないと思います。
「先生の話をちゃんと聞いとけよ!」「コーチはなんて言ってたんだ?」と、子と子に関わってくれる大人達や友達の間の「約束、ルール」=「枠」をしっかり意識する事を子には求めてきたように思います。
(まあ、それでうちの子がどうよ?って言われたら、全くもってわかりませんが。。。)
私自身は基本、「ほったらかし」教育だとは思っておりますが、「枠からはみ出て良い」などと子に言った事は一度もありません。
まあ、根っこが体育会気質ですので「やるときはピシッとせえよ!」みたいな親です。
ですので、私のほったらかしは自由奔放とは対極にあるかもしれません。
■量的さん
>適性さん、
>日本の理工系教育は、いまほんとに瀬戸際だと思います。
>クリエーティビティだけではなく、「企画力」(*) and/or「創造力」が核で、
>これが基礎学力の土台に存する姿が、Issueを解決しうる(つまり、適性さんの
>仰る「大人の理系人になる」という将来像です。
そのNHKの番組は
基本的な教育についての議論であったので・・抽象的な話になったのですが。
このような、明確な将来像(明確な人材論)が「多くの人」で共有されることも「必要」なのだと思います。
これは、「自分の子がそうなる」というような個人的な話ではなく・・・・『社会』として、必要な人材を、「社会として作り出す」という意味があるからです。
となると、作り出す場合「意図」がありますし、その為にバックアップされるのですから、「特別扱い」であり、他からは、不公平と思われるかもしれませんが、そのような人材を社会で確保できないこと、を考えれば、そのような不公平なんて、小さなことと思ってもらわないといけないでしょうね。
「大人の理系人」「大人の●●」は一定数『確保』しないで、この、社会を保つことは、困難なことぐらいは、誰でも、分かるでしょう。
だから、一定数に、自分の子が、なる、ならないは、関係なく、可能性ある子を「応援」しなくてはならない。どこの属性だろうと。
ただ・・
一定数の前段階の「層」を厚くする。
可能性ある子に、その将来像が、その子にとっても「魅力的」な将来像であることのアピール。
現実的に必要な「ステップ」の提示。
は、当然必要と思いますが・・
そんな誘導的で、個人の自由意志は??となるかもしれませんが・・
現在は、個人から見れば、理屈では、360度どこへでも行けるわけだが、なんとなく、こっちの方向かな~。
そこで「人材を欲する属性」から「明確な将来像」が提示されれば、そして、可能性ある子に、このステップを踏めば、必要な思考力を身につければ、そこに「近づける」というモチベーションを与えることができる。。
「明確な将来象」が「魅力的」なら、個人の自由意志と、「明確な将来象」はつながります。
イチローを目指す、野球少年のように。
つまり「社会で必要」だが、「魅力的でない」なら難しい・・・しかし、まだ、「魅力的」であることが認知されていないのなら、認知されなくてはならない。
「キャラの立った大人」はたぶん「明確な将来像」に近く、「当然魅力的」でしょうから、やはり、「そこから」つなげるのは『正解』なのだと思います。そこでしか、自由意志に影響を与えられないのではないかと・・。
セミナー頑張ってください。
■地域、時代さん。
コメントいろいろ、ありがとうございます。
>野口さんの本、面白いですよ。
それは、良かった~。
今後は、立ち読みでない本にします。(笑)どうも罪悪感が~































